「東北と縄文~2011年が伝えたかった事」 |
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2012年01月02日
ブータンと日本を繋ぐものとは?
(ヒマラヤの日の出)
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
今年、縄文ブログの照準はいよいよ「日本人って何?」「これから我々はどう生きていくべきか、生かされていくか?」という民族論、未来論に移行していきます。
今日は、アジアの小国ブータンをとりあげます。
昨年11月、ブータン王国のジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王の来日は、大きな話題となりました。
ブータンはヒマラヤ山脈の南側に位置する人口約70万人、国土は九州とほぼ同じ面積の仏教国です。本来の国名は「ドゥック・ユル」=「雷竜の国」と呼ばれ、国旗にも白い雲竜の姿が描かれています。
(アサヒコム)
日本人がなぜブータンに惹かれるのか? そこには日本とブータンをつなぐ大きな共通項が潜んでいるのです。今日は、その秘密に迫ります:D
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いつもありがとうございます
ブータン国王の人柄や顔立ちの良さもさることながら、彼の日本人に向けたスピーチが素晴らしく、それは私達自身が忘れかけていた(あるいは失いかけていた)日本人の可能性を気付かせてくれるようなものでした。
ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。(中略)
このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。(中略)
皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。(中略)
両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。
(「私的憂国の書」より引用)
一般的に言われるような日本の経済的優位性よりも、日本人の持つ民族的特性(いわば縄文体質)に焦点が当たり、それが絶賛されている点が特徴的です。
なぜ彼らは、このように(日本人さえ気づけないような)日本人の本質に迫ることが出来るのでしょうか?
その理由は、ブータン人がチベット系民族であることと関係しているようです。
Y遺伝子分析による系統を見ると、チベットには、日本でも主流とされる(縄文人と同じ)「D」系統の人々が多く存在しているのです。世界でもD系統が多く残っている地域は、日本とブータンを含むチベット、それにモンゴルの一部地域といった、きわめて限られた地域です。他の地域では、一度D系統の人々が住み着いたとしても、その後の遊牧民などの進出によって、森林を生活の場とする温和なD系統の人々は駆逐されてしまったのです。
※D系統の移動や日本への流入過程は、本ブログ記事『「日本人の起源」を識る~3.縄文人を作った採集の民 D2』 をご参照下さい。
(D系統の拡散ルート)
日本でD系統が生き残ったのは四方を海に囲まれていたからですが、チベットの場合には高山地帯で外部からの侵入が困難であったからだと考えられます。中でもブータンは、高いヒマラヤ山脈のおかげで、北方からの遊牧民の侵入を免れたのです。
このような民族・地域特性が、日本とブータンに共通する本源性を育み、今日でもなお、互いの心を引き寄せているのです。
「国民総幸福量」の発想は、なぜ生まれたのか?
国民総幸福量(GNH)とは、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」を示す“尺度”です。国民総生産 (GNP)が金銭的・物質的豊かさを目指すのに対して、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものです。現在、ブータン政府は国民総幸福量の増加を政策の中心としています。
政府が具体的な政策を実施し、その成果を客観的に判断するための基準にするのが主な用途で、1990年代からの急速な国際化に伴って、ブータンで当たり前であった価値観を改めてシステム化する必要があったといいます。2005年5月末に初めて行われたブータン政府による国勢調査では、「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答しました。
(以上は、ウィキペディア「国民総幸福量」を参照しました。)
経済的な発展を目指す世界の趨勢とは真逆の、このような発想(理念)で国が統合されている背景にも、D系統の血を受け継ぐブータン国民の民族性があるのでしょう。
私たち日本人は、ブータンに何を学び、次代に何を残していくべきなのか?
2011年奇しくも震災の年にブータンの国王が訪れ、日本国民に勇気溢れるメッセージを残してくれた事は偶然ではないと思います。ここで改めてブータン国王からいただいた貴重なメッセージの中心部分を伝えておきたいと思います。
このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。
最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。
さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。
ブータン国王はさまざまな国際社会での外交や挨拶の教育は受けて来られ、社交辞令もあるでしょうが、この国王の言葉を私たちは謙虚にこれまでの日本人が築いてきた事実であり可能性であると素直に受け止めるべきだと思います。なぜブータン国王がここまで日本人の事を知っており、特徴をより鮮明にメッセージにできたかまでは定かではありませんが、おそらくはブータン国自体が日本の事、歴史をよく調べ、学び手本にしてきたのだと思われます。日本とブータンの国交は1970年代からわずか40年足らずではありますが、ブータンにおける農業発展において技術面、経済面両面で支えてきた歴史があります。(参考:るいネット①、るいネット②)
そしてこれはODAの活動の一環として発展途上国に支援を続けてきた日本の国際関係の歴史をも、物語っています。ブータンだけでなく東南アジアの小国は同様に、日本に対して友好的な位置をもっています。
今回この記事で最も伝えたかったのは、ブータンが私たち日本人の祖先である縄文人と古い兄弟であるという事、さらにその兄弟が弱っている今の日本に親身になって励ましと道筋を示してくれた事です。日本は時として「奇跡の国」といわれる事がありますが、その奇跡の国の中にいる国民(私たち自身)は決してその資質を特別なものとは思っていません。しかし、国王が言うように数年、数十年では決して失われないこの日本人の縄文的資質、その共同性を次代への可能性へと繋げる事が必要な事だと思います。従って今までと変わる事無く、またより日本人としての特性を再生すべく次代へ自信をもって歩んでいけばよいのでしょう。
国王の示した道を決して小国の若きリーダーの社交の言葉として軽んじてはならないと思います。感謝の意を持ってこの国王の言葉を年初のブログの記事として選ばせていただきました。
投稿者 yaga : 2012年01月02日 TweetList
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