2012年1月31日

2012年01月31日

庶民が作り出したお上意識2~浸透しなかった天皇制

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現代では、私達の誰もが「天皇制」「天皇」の存在を知っています。憲法でも、天皇は日本国民の「象徴」であるとされ、多くの人はそのことに対してそれほどは違和感を感じていないでしょう。
しかし、突き詰めて天皇の何が「象徴」で、どのような系譜を辿ってきたのかを考えることはせず、むしろそれを考える事は天皇に対する冒涜でありタブーであるとされています。また明治以降、津田左右吉など何人かの歴史学者がそれに異を唱え、史実との整合性を見直そうとしましたが、忽ち当時の国粋主義者に取り押さえられ、学問としても取り上げられる機会はありませんでした。
したがって現在では、庶民にとっての天皇とは、その存在そのものが当然であり、日常でもあるのです。最近ではマスコミの後押しもあり、皇室の行事は忽ち国民的行事として取り上げられ、少し前ですが雅子さまのご成婚が新聞紙面を覆ったことをご記憶の方は多いでしょう。国家体制が不安定になり、秩序収束、民族収束が加速化している現代、天皇制はむしろ為政者に利用され、また大衆も無意識に望んでいる兆候すらあります。
しかしこの天皇の大衆化、誰もが信じ、誰もが否定しない天皇史観は、天皇の始まりとされる大和朝廷の頃から脈々と流れていたのでしょうか?
この答えは後に回します。読者の皆さんも、本文に入る前に少し考えてみてください。
今回の記事はそれを明らかにする目的で、まずは天皇制と古代信仰の関係を見ていきます。
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ありがとうございます:D

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投稿者 yaga : 2012年01月31日  



 
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