縄文時代よりも古代~近世の方が飢えの圧力は大きかったのではないか |
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2008年02月16日
中国は周辺遊牧民が集積し単に膨れあがっただけの大国
先日のtanoさんのコメント
まずは中国がおかれてきた外圧状況を分析して、古代中国はなぜ大国となったのか?現代の中国はなぜその体質を変えることができないのか?環境の変化に適応できなかった恐竜のように超大国中国もまた激変する社会に適応できない事態を迎えているのかもしれません。
古代中国からここまでなぜ大国となったのか 少し、いろんな切り口でみていきたいと思います
今日は「民族」を視点にしてみたいと思います。現代中国は、漢民族+少数の55の民族から形成されています。これほど民族が多い国もかなり珍しいのではないでしょうか
byさーね
応援よろしくおねがいしまーす
まずは、少数民族はどのような出自か?この辺は、以下のサイトとこの記事巻末のサイトを見てください。まだ未解明な民族もあります。
中国少数民族一覧表
出自がはっきりしていない民族もありますが、概ね以下のような民族系統が支配的です。
モンゴル系
テュルク系
ツングース系
チベット系
いずれも、その背後には遊牧の歴史があります。チベット系も歴史をたどると、中国北部の東胡(古代中国では遊牧民)から出た民族であるようです。
そうではない部族はこの中でも数えるほど。ミャオ族・シュー族・ヤオ族・コーラオ族・ワ族・ドアン族・プーラン族・カオシャン族・キン族でしょうか。どうも遊牧以外の民族が圧倒的に少ない。
人口の92%を占める漢民族も、遊牧の血筋が混合した可能性が大いにあります。
漢民族の起源
漢民族は今、確実に知られているかぎりでは、紀元前10世紀ごろ、おそらく西北方の中央アジアから「中原地方」といわれる大陸の中心部に入ってきた周という部族が黄河流域に定着し、徐々に周辺の諸部族を同化してゆく過程の中でできあがったものである。(るいネット 漢民族とはなんだろう?より)
古代の周王朝は、遊牧民であった姜族と結束し、殷王朝を打倒しました。
このブログで報告されている以下の記事も参考にしてください。
波状的に遊牧民がやってきた古代中国 ~殷(商)・周~
ここで、現代中国の人口13億人を遊牧民族系統とそうでない系に分けて比較してみましょう。(ちょっと大づかみすぎるかもしれませんが )
遊牧民族系:12.9億人
上記以外の民族:723.1万人
⇒圧倒的に、遊牧民族系が多い。
遊牧民族系以外は、先にあげた少数民族の人口推定(中国少数民族一覧表より)を合計しました。
中国は、北方と西方から次々と遊牧民族がやってきて、争い,勃興した歴史です。広大な領土を掠奪しあい、民族同士は決して一枚岩にはならない。その結果、単に人口が膨れ上がった大国になったのではないでしょうか。
現代の地域格差拡大や地方での汚職や横領などの不祥事の横行は、単に民族が集積しただけで、国として統合できない事の表れ。歴史にそのルーツを辿るとすれば、遊牧民族の単なる集まりだから、統合できないのではないでしょうか。
他参考サイト
中国55の少数民族一覧
ウィキペディア 中国の少数民族
投稿者 sawatan : 2008年02月16日 TweetList
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コメント
投稿者 熊谷啓一 : 2008年7月25日 01:36
熊谷さん、コメントありがとうございます。
「争い」は、それが集団内であれ、集団間であれ、さらには国家間であれ、根本原因は「自我」にあると考えています。
したがって、「争い」を避ける為には、「自我」がいかに発現するのかを明らかにする必要があります。
その上で、いかにして「自我」を押さえ込むのかを考える必要があります。
>「意識」が、集団の争いを制御してきたとするのは、正しくないと思います。
「争い」=「自我の発現」を抑止してきたのは、集団内にあっては、「規範」(集団規範or共同体規範)だったと思います。
それが明文化されれば、法律なり制度になりますが、本質は「意識」であると考えています。
>「議会」がなければ、「民主主義」がないわけではないことに注意ください。
私は、現在の「議会」も「民主主義」も欺瞞でしかないと感じています。
むしろ、重要なのは「議会」に変わる「共通認識形成の場or機構」を創ることであり、イデオロギーとしての「民主主義」に変わる「事実認識」をみんなの手で紡ぎだしていくことなのだと思います。
熊谷さんもよろしければ、協働していただければと思います。
投稿者 naoto : 2008年7月29日 22:03
はあ?
自我意識で、東京大空襲が起きたのでしょうか? 自我意識で、函館戦争が起きたのでしょうか?
むしろ、集団の利益、名誉、幸福の追求権などの、権利の獲得競争が、戦争を引き起こすと見なすべきと思います。
「臣民」を、あなたの言う意識集団とすれば、日露戦争は正しい戦争で、それによって死亡した多くの中国人、ロシヤ人は、必要な「損失」であったということになりませんか?
私の言う事は、その「古代文明」になってしまったアイヌ民族のすごいところは、たとえ、悪質なテロ行為が伏せられていたとしても、その「非・常設の」会議には出席して、話を聞こうとする、ということなのです。
それが何を意味するか、わかりますか? 現代文明にとっては、それが、失われた、平和を求める最低のルールだと思います。
松前藩はそのアイヌの行動様式を熟知し、罠を仕掛け、暗殺することを得意にしていたのです。
投稿者 熊谷啓一 : 2008年8月3日 09:05
>むしろ、集団の利益、名誉、幸福の追求権などの、権利の獲得競争が、戦争を引き起こすと見なすべきと思います。
戦争の根本は大きく見れば、naotoさんが言うように自我の正当化にあると思います。
宗教の為の戦争=聖戦もそうですし、食糧獲得の為に他集団を襲う事もそうです。ましてや近代の戦争は全て自集団の利益を獲得する為に行われる極めて自己中なものばかりです。
自我は本来、個人の中に発生し集団を破壊する性質のものです。熊谷さんはそれで誤解されたのだと思いますが、自我は必ずしも個人の中だけに留まりません。
自我は本来は集団の中で抑制されるものですが、それが集団に拡大する事もありうるのです。自集団の正当化、他集団の否定は自我構造そのものです。戦争の拡大とは集団全体が自我を部分的に認め合う事で、それがどんどん伝播していったというのが本質ではないでしょうか?
逆に熊谷さんが出されたアイヌの事例は注目に値します。
>たとえ、悪質なテロ行為が伏せられていたとしても、その「非・常設の」会議には出席して、話を聞こうとする、ということなのです。
目には目を、刃には刃を!というように突きつけられた自我には自我で対応してきたのが西欧の戦争の歴史です。アイヌが最後まで報復の闘いを望まなかったのは熊谷さんが言うような姿勢があったからだと思います。アイヌの事をよくわからない私があまり多くは語れませんが、ひとつずつ紹介いただければありがたいと思います。
投稿者 案山子 : 2008年8月5日 01:22
「意識」が、集団の争いを制御してきたとするのは、正しくないと思います。
「北海道史」だったと思いますが、沙流川の領有権は、(あるいは、棲み分け)4人の首長の話し合いによって決められたとありました。
この、コメンティターの考えるような、「常設の統制機構がなければ、住民の意識の問題だ」とすることは、軽率も甚だしいと思います。
アイヌには、いつでも自由に、話し合いを申し入れる仕組みがあって、誰かが問題だと思ったときに、話し合いを持っていたわけです。つまり、「非」常設の、統制機構が存在していました。「議会」がなければ、「民主主義」がないわけではないことに注意ください。