『日本人』と『大麻』の関係3 |
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2007年11月10日
「日本考古学の発祥」に感じたこと
縄文ファンのみなさま今晩は。
今日は、考古学の基礎情報をお届けします。
下の写真の「考古学発祥の地」って、どこだかご存知ですか?
何を今さら!常識じゃん!っていう方は少しご辛抱を 😉
答えは、東京は大田区の大森駅にこの碑があります。
そう、大森貝塚の地ですね。
この貝塚を最初に発見したのは、アメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モース。
腕足類という生物の研究のため1877年(明治10)来日し、初めて上京した6月19日、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝塚を発見したそうです。詳しくはコチラ
大森停車場を過ぎた線路脇、鉄道建設のため削られた斜面に貝が大量に露出しているのを見たモースは、それが貝塚であることを直感し見逃さなかったようです。
明治5年に開通して以来多くの日本人が同じ風景を見ていましたが、誰も古代人が捨てた貝の堆積した物だとは気付かなかったわけですね。もし、モースが海側の座席に座っていたら貝塚の発見はもっと遅れており、日本の考古学の始まりも数十年は遅れていたのかもしれませんね。これってスゴイ!
貝殻が堆積している様子 発掘の様子
モースの大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことでした。このことから大森貝塚が「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。
ちなみに、大森貝塚からは縄文式後期の土器や土偶、石斧、石鏃、骨角器など、動物の骨はサル、シカ、犬、鯨を含む大量の貝殻などが発掘されています。モースは発見された土器に“cord mark pottery”と名づけ、その和訳から“縄文(土器)”という言葉が生まれたそーです。
大森貝塚といえば学校でも習ったし、なにより大森の隣の駅に会社があってすぐ近くなのですが、外国人が、しかも電車の中から発見したというのは全く知りませんでしたし、驚きでした。
なにも遺跡の発見など大それたことではなく、普段私たちが何気なく暮らしながらも見過ごしてしまっている大事なことって、実はいっぱいあるんじゃないかな~って思いました。
「なんか気になるなー」、「それって本当かな~?」、「何でそうなんだろう?」、「なんか違うような気がするな~」などなど、ついつい曖昧にしてしまい時間が経つと忘れてしまいます(そんなことありませんか?)。 そう感じたら、潜在思念の囁きにフタをせず、耳を傾け、とことん探ってみることが大事だなー、などと感じる今日この頃、、、etoでした。
注)実際に貝塚があった場所は大森駅から徒歩5分ほどの距離にあり、モース達が大森駅で降りて発掘に向かったことから”Shell Mounds of Omori”と報告し、大森貝塚となっているわけですが、住所は品川区大井でして、例によって大田区と品川区との間で“ご当地争い”があったとかなかったとか、、、そんなのどーでもいいです。
最後まで読んでいただいてありがとう♪ 応援お願いいたします。
投稿者 nishipa : 2007年11月10日 TweetList
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