弥生時代の大集落③~服装と生業~ |
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2022年08月10日
土器模様の変化と文様のつくり方
みなさんこんにちには。先日、東京国立博物館へ足を運び、縄文から弥生、古墳時代をメインに発掘された、土器や埴輪を見てきました。
土器は時代ごとに、さまざまな形状、文様のものがあり、その意味合いもさまざまであることを肌で感じました。と同時に、どのように土器のような形状、文様が変化し、つくられたのか?当時の制作過程や様子についても気になったので調査していこうと思います。
<文様の変化>
文様形態は草創期に始まるが、文様が単独で配置されるのが一般的であり、それが早期にはさまざまな組み合わせが発生していることがわかる。中期以降もより複雑な組み合わせ、重ね合わせが発展しており、記号などの意味を持っていたとされています。
▽文様の変化
〇文様に込められた意味
文様の意味については、正確なものがまだ判明はしていませんが、以下のような意味を持っているという見解もあります。
・蛇体文
モチーフ全体の形状的なイコン性(全体形状の類似性)がはっきり認められる文様が蛇体文。蛇体文は中期の土器を特徴付けるといってよいほど、様々な土器についている文様。蛇体文が多い理由として畑の作物を食い荒らす鼠類を捕食する蛇は人間にとって有益性が高いことがあげられる。
・渦巻文
渦巻文は植物が豊かに成長する様子を抽象化して表現した記号であるとし、意味は「熟稔」(豊かに実る)であるとした。しかし武居は渦巻文にもイデオムが存在していることをうかがわせている。
<制作について>
土器ができるまでは、①粘土採取、②形成・調整、③施文、④焼成という様々な工程があります。土器の形は、時期や地域で異なっています。その土器の形、内外面に表れる調整の痕跡、文様を観察することによってどこの地域の土器か知ることができます。
〇土器の文様と文様のつけ方
壺や高坏はハケ調整の後「ナデ」調整、「ミガキ」調整を行うことが多いです。「ナデ」調整はハケ調整によってできた線を消していく工程ですが、手でなでるのではなく、何らかの板状工具を使用していると考えられます。この工程によって、ほぼ完全に器面を平滑にすることができます。
最後は焼成になります。縄文土器は一般的に野焼き、弥生土器は覆い焼きと言われています。覆い焼きの場合は、熱を逃がさないよう、上に泥を被せ、窯のようにしていたとされています。そのため、弥生土器を見ていて、たまに表面が真っ黒に焼けているものがあるものは、そこが泥と接触していたためと思われます。
土器は、当時の人々の生活や思想を反映している重要なものであり、単なる器ではないことが深く伺えます。と同時に当時の人の創造力は、現代の人とはかけ離れたものであったこともわかります。
投稿者 anase : 2022年08月10日 TweetList
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