2022年8月22日

2022年08月22日

古墳時代の日本先住民

皆さん、こんにちは。今回は、これまでの追究を念頭に、改めて縄文(前16,000年頃~前3,000年の13,000年間)、弥生(前3,000年~後3世紀の3,300年間)、古墳時代(後4世紀~7世紀の400年間)を俯瞰し、日本人の成り立ちについて考えてみます。

※古墳時代では、渡来人が日本で社会の基礎を創り、縄文人や弥生人などの、先住日本民族は、どこかに消えてしまったように見えます。が、本当にそうなのか。

国立歴史民俗博物館考古研究系教授の藤尾慎一郎さんの「弥生文化の輪郭 灌漑式水田稲作は弥生文化の指標なのか(2012年)」より引用します。

弥生文化を「大陸・半島から移住してきた人びとがもち込んだ灌漑水田稲作農耕と連動する一連の社会システム」の存在として,縄文文化と区別するのは山田康弘である[山田2009:179 頁]。一連の社会システムとは社会文化と精神文化に分かれ,前者には排他的テリトリーの成立を象徴する環壕集落と武力による問題解決という,新しい思想の生起を意味する集団的戦闘行為の発生。後者には土器埋設祭祀「生と死と再生・豊穣」という,循環的思想に基づいて発現・施行させる土器埋設祭祀の消滅と,稲魂を運ぶ容器として機能して送り返すといった用途を担った鳥形木製品をあげる。
つまり一連の社会システムとは「弥生化」のプロセスが認められることに他ならず,弥生文化の地域性とは,弥生化のプロセスにみられる違いということになるから,弥生化への複雑化がみえない利根川以東の地域を弥生文化の枠内で捉えることはできず,あくまでも弥生文化とは別の文化,ということになる。
弥生文化に後続する古墳文化は政治史的観点から弥生文化と区別されてきたし,現在もその点に変わりはない。特に古墳時代の前半期を経済的側面で弥生文化と区別することはできないからである。3 ~ 4 世紀の古墳前期は名実ともに変化した5 世紀以降とは異なり,集団的催眠状態による巨大古墳築造の時代として位置づけられていて,汎列島的な政治同盟が初めて形成された時代とはいっても,各地の社会段階や政治関係には大きな差異があり,汎列島的に統一化された時代にはほど遠い段階であった[土生田2009]。
つまり弥生文化と古墳文化(特に前半期)を分けているのは,生産・経済的な側面ではなく,地域ごとの差が著しかった祭祀・葬制・宗教が汎列島的な共同幻想にとりつかれて,首長層が同じ墓制をとり同じ祭祀を行うに至った点にある。

葬制、祭祀を再検討

藤尾教授によれば、古墳時代に祭祀、葬制、宗教に関し汎列島的に共同幻想に取りつかれた、とのことです。それまでの弥生文化が地方で差があるのに対し、古墳時代になるとほぼ一斉に古墳を創り、地域の有力者を埋葬するようになったとの指摘です。

「弥生文化の輪郭 灌漑式水田稲作は弥生文化の指標なのか(2012年)」図3弥生文化の三要素の時期別地域別分布

葬制に関してはこれまでも、
【縄文再考】すべては循環している~”死者”は”生者”と、そして集団の中で共に生き続ける~

①「単葬単独墓」「再葬合葬墓」は共通して生者と死者が近接し密接な関係にあること
②再葬合葬墓(縄文中期以降)は一つの墓に死者を集結させ単一集団を組織集団に統合するために行われていたこと

土葬から古墳への進化の過程~弥生時代の埋葬・墓制より考える

弥生時代には縄文時代には見られなかった“墓”や“棺”が作られるようになった。
■九州
・支石墓(弥生時代前期~後期)甕棺墓(弥生時代前期~後期)石棺墓・箱式石棺墓(弥生時代前期~後期)
■畿内
・方形周溝墓(弥生時代中期~古墳時代)方形台状墓(弥生時代中期~古墳時代)
■関東・東北
・再葬墓
弥生時代に「有権者」が現れたことにより人々の意識が循環→消失へと移ろい、その消失を避け固定(=墓)へとしていった

など、記事にしてきました。

そして、藤尾教授の言う集団催眠、共同幻想で古墳時代化。死者にどう対応するか。当初は、死体への物理的対応と再葬合葬するという循環をイメージさせるもの、身近なものでしたが、古墳は王や豪族の長など、有力者を埋葬し祭祀を伴うものです。

葬制の違いは民族の違いか-日本先住民が古墳を創る理由

この違いは、日本的なものと大陸渡来の文化、風習の違いと考えがちです。

これまで見てきたように、弥生時代が各地で均質でないこと、定着度に差があるものの中国山東半島由来の灌漑式水田稲作があることから、先住縄文人以外の渡来人が地域ごとにそれぞれ根付いたと考えることは自然です。一部に大陸の古代王朝で殺し合いを経験した人々もいたようですが、大きな戦にはならず、各地で部族なりの生産、風習で暮らしていた、と思います。中には東北地方や北海道、南九州や沖縄などの様に弥生化の進まない地域もありました。

その後一斉に古墳を作り出すのですが、これを大陸由来とすると、日本の先住民(いわゆる縄文人や弥生時代の日本人)は、服従したか居なくなったか、と考えるしかありません。

が、古墳を創る理由に着目すると少し変わるように思います。

大陸からの渡来は、弥生時代後期により活発化し、戦争経験者も多くなる。日本列島内で併存するうち、「何か違う」ことが懸念されるようになり、「防衛」や「対抗」など、要するに負けて殺されたり、服従するのは嫌だ、と先住民らは思うようになります。

相手が神やら王やら言うなら、同じ仕組みにして同じ=劣ってはいない様にせねばならない。そうして、馴染みのない墳丘墓を作り出す。

こうした先住民部族が続出したと考えると、必ずしも、縄文~弥生を生きてきた原日本人ともいうべき人々が、古墳時代にも生き続けていると考えることが可能と思います。

投稿者 sai-yu : 2022年08月22日  



 
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