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2020年12月25日

農耕なしの「縄文的定住スタイル」が社会持続の秘訣

我が国日本で、もっともサステイナブルな社会を実現した時代といえば、なんといっても1万年以上続いた縄文時代です。なぜ縄文時代は同じような文化を1万年も続けることができたのか? その秘密の一つは、自然を支配するのではなく、自然のほうに人間の生活を合わせていく、彼らの生活スタイルにありました。

一般的に歴史の中の時代というのは、政治の中心が変わったり、人々の文化体系そのものが変わったと思われる時に区切りをつけられます。縄文時代であれば、一般的には旧石器時代にはなかった「土器」の出現を持って、その幕開けとされています。そしてそれからおよそ1万2000年後、大陸からやってきた人々の伝えた水田稲作文化を受け入れることによって、縄文時代は終わりを迎えます。現在日本で見つかっている土器でもっとも古いものは、青森県で発掘された1万6500年前のもの。

土器を作るには、大変な時間と労力を要します。まず粘土となる土を選び、精製して、水を加えつつこねて下地を作り、そこから寝かせて、さらに造形し、何日も乾燥させてから、野焼きの作業を持って完成します。獲物を追いながらキャンプしつつ暮らす遊動生活ではとてもなし得ることではありません。土器の使用開始がなぜ、旧石器時代と縄文時代を分けるのか? それは土器を作るということが、新しいアイテムを手に入れるという単純なことではなく、遊動から定住へと変化した人々の生活そのものを示唆するからなのです。つまり縄文時代とは、人々が日本列島に定住し、水田稲作をはじめる前までの時代、ということができます。

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一万年サステイナブルの秘密①暮らし方

ではさっそく、一万年も続けることができた暮らしの秘密に迫っていきましょう。まずは縄文人の定住スタイルからです。定住なんて、現代人からしたら至極当たり前のことですが、縄文人のそれはちょっぴり違っていました。

獲物を追って場所を移動し続ける遊動生活」というのは、今も人間以外の多くの動物たちが採用している、自然の理にかなった生活スタイルです。この方法なら、人間も有機的な自然の一部に加わり、自然がダメージを受けることはありません。しかし人類は、こともあろうか「定住」を始めてしまいました。定住という生活スタイルは、土地を平しムラを形成し、自然を人間が継続的に食糧を得られる仕様に加工する、多かれ少なかれ「反自然的な暮らし方なのです。

しかし縄文人の定住スタイルは少し独特でした。なぜ独特なのか? それは縄文人が、自然の一部に自らを組み込みながらも、人間らしい定住生活を送ったからです

世界初?! 農耕なしの「縄文的定住スタイル」とは?!

一般的に、定住とは農耕の開始をもってはじまることになっています。自然を大幅に加工し、栄養価の高い穀物を集中的に生産することで、一箇所に留まっていても、一定の人口を安定的に養うことができるからです。これを「新石器革命」と言いますが、世界では約1万年前のメソポタミアがこの「革命」の先陣を切り、その後インド、ペルー、エジプト、中国が後に続きます。

ところが日本列島ではだいぶ事情が違ったようです。縄文人は、メソポタミアで起こった世界初の「新石器革命」とちょうど同じ頃定住を始めていたにもかかわらず、農耕時代を迎えてはいなかったのです

変化に富んだ自然に支えられた縄文人の定住生活

およそ1万2000年前、最後の氷河期が終わると、日本列島は現在のように雨の多い温暖湿潤な気候となり、春夏秋冬がはっきりと訪れるようになります。針葉樹ばかりだった大地は常緑樹や落葉樹の美しい森に覆われ、それに伴って動物たちも小型化していきました。現在の私達にもお馴染みのイノシシや鹿が、山野を駆け回っていたことでしょう。日本列島の多種多様な生態系、世界に誇る豊かな自然環境は、縄文時代に作られたのです。

変化に富んだ自然環境は、食糧事情に余裕を与えます。そしてこれこそ、縄文的定住生活の要(かなめ)となっていくのです。春には山菜を採り、夏には魚を獲り、秋には木の実を拾い、冬には脂肪をたっぷり蓄えた獣の狩猟をする。縄文人は、豊かな自然環境の中で、季節に合わせた旬の食材を効率よくいただくことによって、自然を大幅加工することなく特定の場所に長く留まる「定住生活」を可能にしたのです。

 

一万年サステイナブルの秘密②なりわい

縄文時代の「なりわい」といえば「狩猟採集」というイメージですが、近年の研究により、彼らがヒョウタン、クリ、エゴマなどの栽培、植樹も行っていたことが明らかになっています。

また、縄文時代には「分業」という概念がありません。もちろん住む場所によってなりわいに制限はあったはずですが、特定のなりわいを専業に行う人はほとんどいなかったと言われています。逆を返せば、全ての人が漁師であると同時に猟師であり、農民であり、ギャザラーであり、土器職人でもあったのです

海も山もひと繋がりの自然界は、非常に有機的です。一つのなりわいに依存していては、いつ食糧がなくなるともわかりません。まさしく縄文人は、なんでもこなす「マルチプレイヤー」だったからこそ、変わりやすい自然の中に人間社会を組み込んで生きることができたのです

 

人間社会持続の秘訣は、自然の声をよく聴くこと!

土地を切り拓き、灌漑設備を作り、大量の人員や牛馬を使って農道を築く「農耕」とは、言うなれば「自然を人間社会に合わせる」スタイルです。そこでの主導権は、多かれ少なかれ人間側にあります。一方縄文人が採った「マルチプレイヤー方式」は、「人間社会を自然に合わせていく」スタイルに他なりません。そして自然のほうに主導権がある以上、人々の生活は自然の変化を知らずには一日たりとも許されるものではありませんでした。

たとえば、季節を知り、また動植物の旬を知るには、太陽と月の動き、その法則を熟知していなければいけません。また、雲や風向き、花や鳥の微妙な様子を感じとることによって、雨や津波、雷、地震などの自然災害を予想することができます。またそれらの連関を知ることによって、目先の利益にとらわれることなく、持続可能な自然環境を維持していたと思われます。今ここで、木を切るべきかどうか、どれほどの数のイノシシを捕るべきか、そういったことは全て、自然にお伺いをたてて決めることなのです

特に日本列島は自然が豊かである反面、災害も多いため、自然の声を聴けるか否かは死活問題です。「縄文的サステイナビリティ」は、生を与え、また奪いもする自然への畏怖があってこそ、成り立っていたのです

 

一万年サステイナブルの秘密③食

なんといっても農耕のすばらしいところは、おいしくて栄養価の高い食物を、安定的に得られるという点です。たとえば、人間の虫歯は農耕時代を迎えてはじめて増えてくるものと考えられています。農耕によってはじめて、糖分摂取量を上げることができるからです。

しかし、縄文人はこの点においても、決して農耕民族に負けていません! 縄文人は、世界の狩猟民族に比べるとかなり虫歯多かったといいます

縄文遺跡から出土する食用と見られる動物の骨類は、実に多種多様です。シカやイノシシにとどまらず、ウサギ、熊、ムササビ、テン、リスにキツネ、ニホンザルまで! もちろんこれに魚介類、山菜、また栽培による穀物類も加わるのですから、彼らの食生活は現代にも匹敵するかなり豊かなものだったと思われます。そしてどうやら縄文人は、豊富な食糧を「おいしく」「長く」食べられる方法も編み出していたようなのです。

まず、土器により煮炊きが可能になったことで、火を通せば食べられる毒性の強い食物が料理に加わります。また、各地の縄文遺跡で見つかる「水さらし場」跡は、アクの強いトチやドングリの渋みを取るために使われたと見られています。さらには、土地によってはクッキーやパンのような保存食や、燻製を作る設備、また塩漬けや煮干しを作った跡も見つかっているのです! 縄文人は現代に匹敵する貯蔵技術を持っていた、いやむしろ、「食の国ニッポンの原点は縄文時代にあるといって間違いなさそうです

 

貝塚はゴミの山じゃない! 縄文的自然との一体感

縄文時代の食生活、と聞いて多くの人がイメージするのは「貝塚」ではないでしょうか。日本全国で、およそ2700の貝塚があるといわれています。この「貝塚」、貝殻や獣や魚の骨だけでなく、破損した土器や石器などが積み上げられていることから、縄文人のゴミ捨て場だと考えられている一方、それを疑問視する研究者もいます。というのは、貝塚によっては、貝殻が丁寧に整列されているところもあるばかりか、人骨が見つかっている貝塚も多くあるからです

貝塚は、ゴミ捨て場であると同時に、お墓でもあったのでしょうか。いや、「お墓でしかなかった」のではないでしょうか。他の生物の命を奪わなければ一日も暮らせない現実の中で、縄文人は、人も獣も魚も貝も、命あるものはみな同列と考え、貝塚から丁寧にあの世へと「送った」のかもしれません

 

一万年サステイナブルの秘密④ 縄文的「円環する命」

貝塚から見つかる人骨は、屈葬の形をとり丁寧に葬られ、周りには土器や石器が副葬されています。「屈葬」とは、膝をお腹に抱えた、胎児と同じ姿勢で葬ることです。これは、亡くなった人がもう一度胎児に戻る、再生を意識した葬法だと言われています。

自然の再生サイクルをよく知っていた縄文人は、人も獣も生活の道具である土器や石器も、みな森から生まれ、役目を終えれば土に還っていき、時が満ちればまた役目を担って還ってくる、と考えたのかもしれません。縄文的サステイナビリティは、そんな「円環する命」という考え方にも支えられていたのかもしれません。

自然はできるだけ加工せず、人間のほうが自然の細かな声に耳を傾けながら、自由自在になりわいを変えて生きる。縄文時代の叡智はことごとく、「いかに自然環境に負荷をかけずに、人間社会を充実させることができるか?」という問いからはじまる、現代のサステイナビリティ学を「地で行く」ようなものです。

3000年前の縄文時代など、遠い遠い昔のようでもあります。しかし、その後日本で展開されるどの時代よりも圧倒的に長く続いた縄文時代が、日本列島人の心の基盤を作ったことは間違いありません。今でも日本人は、この列島の豊かな自然を「カミ」として敬い畏れ、それはアニミズムとしての神道に名残を残しています。また、食事の前に必ず「(お命を)いただきます」と唱え、「御御代付け」「おかいさん」と、食物に人間のような敬称をつけて呼ぶ文化も、食物を命の循環として捉える縄文文化の名残かもしれません。

縄文的サステイナビリティ、それは「自然保護」というようなエコな倫理観によって成り立っていたのではありません。むしろ、今でも私達の心の中に脈々と生きる「自然を敬い畏れつつ、寄り添う心」がなせる、当然の結果だったのではないでしょうか。

投稿者 tanog : 2020年12月25日 List  

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