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2019年03月20日
「縄文時代、人は何を考え、何を築いてきたか」第6回 世界最古の漆芸は「機能と美の一体化」だった
第6回は漆の話です。
漆と言えば江戸時代の装飾多彩な漆の器を思い浮かべますが、この漆、実は日本が世界最古の漆利用の発生地なのです。約9000年前の北海道の垣ノ島B遺跡で発掘され、その後7000年前頃には東北地方含めて多数漆の利用が発見されています。漆とは漆の樹液から取り、赤、黒と木材や繊維に塗り重ね着色する装飾材として使われました。
大陸では中国の可母渡遺跡での6500年前が最古でその後の発見でも8000年前までしか遡れず、現時点では縄文の漆が世界最古と言われています。従ってこの漆の利用や発見は大陸から由来したものではなく縄文人オリジナルなものとされています。
9000年前と言えば縄文草創期、定住が始まったばかりにも関わらず既に装飾の為の漆が使われていた。定住化した時点でかなり高度な文化が同時に表れていた事の証ではないかと思われるのです。
今回も「縄文探検隊の記録」から紹介します。
>かつて日本の漆文化のルーツは中国にあると考えられてきました。米作りも鉄器も含め、優れた技術はすべて大陸から伝わってきたもので、日本列島には先駆的な文化は少なかったという考え方です。日本列島の人たちは常に大陸から教えられる立場だったとされてきたわけです。中国の漆芸は漢王朝の時代にはかなり高いレベルであったことから、日本では漆器を作る人も研究する人も、漆は渡来文化だと固く信じていた時代がありました。象徴的な存在が仏具です。漆文化は仏教文化から発展したもので、その末端が日本の仏教芸術や漆工芸であるという解釈でした。
そのような偏見が正されるようになったのは大正の末から昭和の初めに、縄文晩期の青森県八戸市の是川中居遺跡で、おびただしい数の漆製品が出土したことがきっかけです。
腐朽の進み難い泥炭層から、赤漆を塗った鉢、台つきの皿、赤や黒に塗って文様を施した弓、櫛や耳飾などの装身具、漆を濾した布などさまざまな漆関連品が出土しました。いわゆる亀ヶ岡文化圏に属する地域です。じつはこの付近を初め東北ではその後鎌倉時代以降も地域独自ともいえる漆器文化が続いたのです。これが3000年前の時代です。
しかしその後、北海道函館市の垣ノ島B遺跡から、まさに常識を塗り替える古い漆製品が出土したことから、日本列島の方が中国大陸より古いという話になってきたのです。今を遡る事9000年で縄文時代の早期中葉です。発見されたのは漆塗りの衣装です。ヘアバンド、肩パッド、肘当て、腕輪、ひざ掛けのようなもので、定住が始まったばかりのころのむらの墓から出土したものでした。全身を漆製品で飾られたところをみるとシャーマンのような立場の人だったと考えられます。
かたや世界でいうと最古と言われるのは中国のせっ江省の河ぼ渡遺跡で6500年前に赤漆の椀が出ています。その後中国では8000年前まで遡った製品も発見されますがそれでも日本より1000年新しい。製法も中国の漆が木製品に塗られたのに対して日本は繊維に漆を含侵させて、ヘアバンドや腕輪のような装身具を作っている。こうした技法は中国にはありません。
日本列島には独自の漆文化が大陸に先行する形であった可能性が高いということです。
中国河ぼ渡の漆が木製品の表面に着色しているだけのものに対し、縄文の漆は見えないところにもしっかりと漆を塗りこみ、しかも重ね塗りをしている。現在の漆芸と同じ技術なのです。つまり今の日本の漆芸の源流は縄文にあると考えます。多いもので5層くらいまで塗り重ねが確認され、そういう丹念な塗りは中国の出土品には見られません。
漆の魅力、価値とは縄文人にとってどういったものなのでしょう?
縄文時代の漆器には顔料を混ぜた赤漆が多く使われており、不老不死とか再生への願いのようなものを感じとる事ができます。赤、つまりは丹は水銀のことで、中国では古くから不老不死の仙薬として知られています。漆の語源は麗しだと言われていますが、赤は再生、血の色だと思います。
もう一つ考えられるのが美しさです。縄文人にとって漆を塗ったものはとても大切なものです。例えば漆塗りの飾り弓がたくさん出ています。糸を巻いたり模様をつけ、そこに漆が塗ってある。部分的に赤と黒に塗り分けて非常に美しいのです。
何のために漆を塗るのか?
装飾性という話は誰でも理解する。だけど弓を強くするという意味では漆はものすごく優秀なのです。飾り弓と言われてきた漆塗りの弓材の9割がニシキギという非常に硬い木から採られています。がちがちに硬くて反発力のある木材です。しかも精巧。そんな道具を供え物にしていたとは思えない。飾りではなく狩という実践の道具に使われただろうし、狩人の魂であっただろうと、武士における刀のような地位ですね。
⇒つまり漆の最初の利用価値とは装飾ではなく実践の狩の道具の性能アップの為であった事が推定され、同時にそれが装飾にも使われるようになった、そういう事なんだと思います。中国の漆が装飾の為だったのに対し、実践、道具としての機能の一部であった縄文の漆、同じ漆文化でも最初からその目的が異なっていたのです。だから日本の漆は何重にも重ね強く、硬く作られたのです。日本人が持つ美意識の一つでもある「機能と美は一体である」、そういう考え方は縄文の時代から育まれていたのです。
投稿者 tanog : 2019年03月20日 TweetList
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