縄文体質の史的足跡~第5回 故郷はなぜ想うのか~生きる場と社会の仕組みを生み出した惣村~ |
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2018年11月22日
縄文体質の史的足跡~第6回 災害は我々日本人に何を与えてきたか
あの災害から早8年。既に記憶の片隅に、過去の出来事として納まっているかもしれませんが、しかしあの震災が我々日本人に等しく与えたインパクトはそう簡単に過去の出来事として片付けられるものではありません。原発の問題は未だに決着が付いていないし、また今年の北部大阪の震災でもあったように、何か事があれば直ぐに“あの時“の何とも言えない記憶が頭を占めます。
そして今年の台風21号。凄まじい風が木々を、建物をなぎ倒しましたが、これもまた私たちの心の奥に何かを植えつけました。そうです、単なる記憶ではない深い部分の感覚記憶です。それが縄文以来連綿と続く私たちの心を作ってきました。自然への脅威と畏れです。
自然外圧は日本だけではなく等しく世界中の地域に存在しました、寒い、暑い、乾きといった徐々に、あるいは常態的に存在する種類の自然外圧とある日突然ふりかかる自然外圧の2種類があります。我々が住む日本列島はモンスーン型で尚且つ火山帯の密集地帯に存在しており、それゆえ途轍もない自然の美と脅威を同時に内包しているのです。これが本質的には特異な縄文体質を生み出した根拠でもあり、日本人の奇跡でもあるのです。
なぜ災害時に日本人と外国人が全く異なる動きをするのか?なぜ誰も何もリードしなくても助け合い、ある秩序が形成されるのか。その答えは非常にシンプルですが我々の中に残存する縄文時代からの記憶とそれによって形成されてきた縄文体質にあるのです。
しかしまた、この縄文体質故に日本は今、混迷を深めているという側面もあるのです。
今回も縄文ブログのシリーズ「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」の中から抜粋紹介していきます。この記事は2011年4月、震災からわずか1ヶ月後に書かれた生々しい記事です。
未だ収束の兆しが見えない、事実が分からない状況のなか、政府・マスコミ・学者たち統合階級の無能さが明るみになるとともに、一方では庶民が一つになって、何か出来ることを探し、どうすべきかを考え、自分たちの仲間や地域や国を守っていこうとする意識が確実に顕在化しています。
すさまじい逆境の中で、日本人の真価が問われる状況になっているのは間違いない。しかし、私も必ずや日本人はこの国難を克服できると信じる者の一人である。そう信じる理由は以下の点にある。
①日本人の同化能力と共認収束力
多くの日本人が、被災者の状況に同化し、なんとかしたい、なんとか役に立ちたいと思っている。日本全体が心を一つにして連携・協力しようとする意識潮流が生まれている。
②「自分よりみんな」の意識の顕現
多くの日本人が、地震の復旧対策に必要な支援をすることを優先させるべきことを理解している。計画停電で不便を強いられたり、ガソリンや食料等の物資が不足したりしても、大きな混乱は起こっていない。多少の混乱はあるものの、自分のわがままよりみんなの方が大事だと思っていることの現れと考えられる。おそらく、多くの人が節電・節約することによって地震の影響が軽減できるのであれば、協力しようと思っている。
海外からは、災害時でも暴動や略奪が起こっていないことに対して驚きの目で見られているようだが、日本人にとってはむしろ当たり前の感覚だろう。
(中略)
“この機会に、みんなで話し合って、考えていこう”
こんな意見が若者から寄せられこと自体が大きな希望であり可能性だ。
目に見えぬ危機をどう乗り越えていくのか、どのように救助・復興していくのかという目前の課題は勿論最優先だが、それ以上に、以前のように市場経済を推し進める社会を望むのか、それとも市場縮小を前提とした共認充足の社会に舵を切るのかを、皆で一緒に考えていく必要があります。
新たな社会の実現基盤は確かにある。それこそが、今まさに顕在化しているみんなの意識=日本人の持つ共同性と本源性、であると思う。
第2回海外から見た日本人の共同性
「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在している」
「日本人がこうした状況下で米国でのように略奪や暴動を起こさず、相互に助け合うことは全世界でも少ない独特の国民性であり、社会の強固さだ」
「日本には決してあきらめないという意味の『不屈の精神』がある」・・・
・・・「粘り強さと忍耐と希望」を映すこの精神により、日本が東日本大震災による「試練を乗り越える」
「難局に対して日本国民は強靭(きょうじん)さを示し、礼節を保って互いに助け合っている」
「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」。
日本人が永く縄文時代から培ってきた人間本来が持っている普遍的な人間性。それを日本人から学ぶことがあるという世界からの声が上がってきています
第7回 地震・災害は日本人の性格をどのようにかたちづくってきたか?
日本人は中国や欧米のように理屈で説明できる「人為」でなく、「天為」で命を落としてきた民なのです。そして「天為」で命を落とした死者への思いは、「安らかに成仏してください」というものにしかなりえない。人が大勢亡くなった時、あるいは愛する者の死に接したとき、人間は最も深くものを考えるものだと思うのですが、圧倒的な自然の力による災害で多くの人が亡くなる経験をしてきた日本人は、「ただひたすらにその死を受け入れる」民になったのです。
人間同士のいさかいではなく、自然のみが驚異であった日本人の精神性が、他国と違っていても全く不思議ではありません。
日本人はグローバル化が進むなかで「人為史観」「紛争史観」の国々とわたり合っていかなければならなくなり、契約の仕方、主張の仕方一つとっても「世界標準と違う」と指摘され、「遅れている」かのように批判されてきました。日本人自身も立ち位置を見失いかけていました。しかし、これは歴史によって培われたものですから、不安に思ったり、自信を失う必要はないのです。
最終回
●日本人の共同体質は驚異であり脅威
多くの外国人が感嘆しているように、危機時の日本人の協調性と忍耐力はものすごい。世界では、震災時暴動や略奪が起こるのはあたりまえ。しかし、日本から見ると危機時に助けあいもせず、略奪するなど考えられないことだ。
※これほど世界の常識と日本の国民性(縄文体質≒共同性)は、異なっている。
原発事故においても、原発の暴走を抑えるために、わが身を振り返らず必死に働く現場の作業員。世界の人々からみれば、もし自分がそこにいれば当然命が惜しいので逃げ出すだろうと見ているので、非常に驚きの目でみられているようだ。
本当はお上や社会に無関心な日本人(縄文人)!
庶民にしても、縄文以来の集団・村を守れれば、それでいいので村内では自治を行なって、税金だけお上に渡して、あとはお上まかせだったのだ。村の中や共同体内で、秩序を乱さずに、仲良くやれればいい、充足できていればよかった。
このようにして、支配階級の世界と庶民の世界は、あまり接点を持たずにやってこれた。社会のこともお上まかせで良かったのだ。
日本人の適応不全
しかし、今回の巨大震災と原発事故はそれでは、全く適応できないことを日本人に知らしめた。巨大な津波は町を消滅させ、より長期的でマクロな方針を必要とする。原発事故は、まだ収束しておらず、放射能を撒き散らし続けており、古来住み続けてきた村落を破壊し、恵をあたえてくれた土地や自然を汚染し続けている。これは、日本人にとってかってなかった事態だし、無能化したお上に従い続けた結末でもあるのだ。
このような事態には、共同性という体質や小さな共同体だけではとても対処できない。
この暴走する統合階級をどうにかしないと日本はますますガタガタになっていく。どうする?どうしたらいい?という不全は、2008年のリーマンショック以降、この震災と原発事故でまた一段階高まった。
投稿者 tanog : 2018年11月22日 TweetList
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