再考「扇」~第2回 古代信仰の謎を解く鍵 |
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2015年03月17日
再考「扇」~第3回 ビロウはなぜ男根に見立てられたのか
日本文化において極めて重要な位置にある扇。その神聖性はビロウを模したものであるところから来ると、第2回の記事で展開されました。今回の時記事ではそれについて、さらに突っ込んだ追求になります。ではなぜ、ビロウを神聖なものとみなすのか。男の視線では分からない、意外な見立てがあります。そして、そこには現代人とは異なる、おおらかで力強い、性に対する意識があることが分かります。
=========以降原文の転載です=========
なぜビロウは男根に見立てられたのか?
この著作でビロウが男根に似ていると記述されていますが、私は正直に言うと、どのあたりが似ているのか、 ピンときませんでした。樹皮の質感が似ていると書かれていますが「そうかもなあ・・・」くらいにしか思えませんでした。
私の他にもネットで吉野先生の「扇」を検索すると読後感想に 扇とビロウの葉との関連性は理解できますし、文化的重要性は納得できても、ビロウが男根に似ているとされている事に躓きを感じる人は多くいるようです。
扇=蒲葵≠男根
私も同じような疑問を感じていましたが「扇」を読んでから数年が経ち、ようやくこの疑問を解く事ができました。そしてわかったことが嫌になるほど“ビロウ”は男根に似ています。
蒲葵=男根
正直、あまりにセクシャルすぎて唖然としました。吉野民俗学の原点ですから、改めて驚きました。その答えは上下をひっくり返すことでした。
※ここから、 ビロウが神木・霊木になる過程を説明するため曖昧さを回避して具体的に記述します。
葉っぱの部分が陰毛を表しているのです。どうしても男性の視線だと先端部分を上にして男性器を捉えるので、どこが似ているのか疑問でしたが上下を替えることによって謎は解けました。立っているのではなく、大地に突き刺さっているのです。これは女性器に先端部分だけが挿入されている状況です。
ビロウの生育状況とは大地に亀頭部分だけが挿入された男性器を表していることになります。更に続けます。葉も見立てに関わります。ビロウの葉は枯れ始めると、葉先が細かく裂け、縮れて垂れ下がります。その様子は陰毛に酷似しています。
筆者撮影
ヤシ科の植物は幹に枝は無く、上方のみに葉が生い茂る形状をしていますので、すべてのヤシ科植物が男性器に見立てられてもおかしくはありませんが細かく部分を点検すると“ビロウ”がもっとも男性器に似ている要素を多く備えていることに辿りつきます。
古代の人々は「何となく」「ちょっと似ている」くらいでは見立てを行わず、厳密に仔細な部分まで観察し、呆れるほどの凝り性を発揮して見立てるようです。ちょっと似ていて「笑い話」にするレベルではありません。ビロウは男性器と酷似しているため神木・霊木なりえたのです。
Wikiに掲載されている写真を見ていただくと判断の材料になると思います。吉野先生が「扇」を書かれた頃とは違い、現在では古代信仰に性器崇拝があったことは多く知られるようになりました。世界には性器崇拝が濃厚な古代宗教があります。
国内においては川崎市の「かなまら祭り」が有名です。奇祭といわれるお祭りの御祭神である男性器は常に水平もしくは上に向かって立っています。しかし、古代人の性に対する情熱は男性器が勃起していることよりも交接の状況にこそ重要性を見出していたのだと思います。
wikiより転載
次に似ていることは理解できましたので、この交接の見立てに文化的・人類史的な意味を探っていきます。それがこのテキストの目的になります。
本文「視線」
一般的に樹木の神格化は多くの場合以下のように説明されます。「天上の神様が地上に降りるため、目立つ樹木を目印にして神様は降りてくる。」この考えは折口信夫が“ヨリシロ”という概念で提唱しました。
話しは良くまとまっていますが、このようなファンタジーに私は与しません。古代の人々は力強い性意識があり、心地よいファンタジーはまだ産み出されてはいなかったのではないかと想像します。そのため、見立てが行われた「視線」を考えます。重要なのは男女のどちらの「視線」によって見立てられたのかです。
それは、間違いなく女性の視線によって見立てられました。言い換えれば、男性が思いついた見立てではありません。この視線は正常位の交接状態で腰を浮かし結合部を女性が見た場合に可能となる視線です。図1
ビロウが神木・霊木とされるには女性の視線が必要だったと考えます。
図1 図2
この視線から人類史における信仰を探ります。ビロウの見立てには発想の転換が必要になります。この視線から得られる読み解きは以下になります。天に向かって立つ男根(男性的な発想)ではなく、大地に突き刺さる男根(大地を女性に見立てた発想)になります。
それは、地母神の大地に男根が刺さり、この交接により「大地の地母神から新しい生命が産まれる。」という発想になります。これは男性原理から母性原理への発想の転換になります。性交→妊娠→出産 こそ、超越概念となり地母神信仰が重要視されていたのではないでしょうか。
世界の人類史を眺めると宗教の始まりは男性原理の一神教ではなく母性原理の地母神信仰が最初にありました。余談ですが、マリア信仰もその名残を伝えます。イエス・キリストが重要ならばイエスを産んだマリアがもっと重要と考えます。
新興宗教のキリスト教は布教のため土着の地母神信仰と結びつきました。いわば布教のため妥協した信仰形態がマリア像のイコンになります。
(第4回に続く)
投稿者 tanog : 2015年03月17日 TweetList
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コメント
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2015年3月30日 10:28
地母神に突き刺さる扇・・・女性から見た扇・・・
まさに、扇は男根ですね。
男性から見ると、さっぱり分からなかったけれど、女性の目線だったか・・。