弥生時代再考(3) 古墳の謎を一挙解明 |
メイン
2013年02月11日
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?8(最終回)~統合様式と宗教の関係
ブッダガヤの画像は、ここからお借りしました。
こんにちは。静かなマイブームのインドですが、この「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?」シリーズでは、インドの歴史と社会構造、社会規範、仏教やヒンドゥー教などの人々の観念世界などをみてきました。
このような、共認統合された社会が私権社会(略奪と市場原理の社会)に出会った場合、その社会が生み出す観念には、特徴があるように思えてきました。共同体体質の残存度が最も高いといわれる日本が作ってきた観念(神道に代表される精神構造など)と似ているところもあり、その本質を探っていきたいと思います。
また、このような社会統合様式が人々の意識=観念体系を規定している要因を探って最終回としたいと思います。
画像は、ここからお借りしました。
★各ブログ記事で解明されたインドを追っていき、まとめて見たいと思います。
★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?1」~プロローグ~
>インドの社会状況から、統合様式(支配様式)が最先端の観念(宗教等)を規定するという構造を解明していきます。
プロローグでは、統合様式と最先端の観念がインドではどのような関係になっているのか?を提起しました。
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?2」~仏教とインドの歴史(概要)~
>仏教は、カースト制度(身分制度)と女性蔑視を生んだバラモン思想への違和感から生まれました。その時代は、交易から商工業が発達し、貨幣経済に入り、私権意識が顕在化し、貧富の格差が拡大する時期でした。豊かになるとカーストのトップは腐敗し、最下層は困窮します。その一方、王侯や商工業者の新勢力は、自らの私権の拡大を阻害するバラモン思想への反を希求し、仏教を支持して行くようです。
市場化・都市化の押し寄せる中、バラモンの衰退と仏教の成立が見て取れます。クシャトリア・王侯貴族・商人たちには、バラモンやカーストが邪魔な存在であり、それを捨象している仏教を新しい教えとして採用した経緯が見て取れます。
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?3」~先住民に触れ変化したアーリヤ人~
>侵入した民族(アーリヤ人)側が先住民の文化を取り入れている点は、大変興味深いです。
というのも、通常、大陸における侵略の場合、『皆殺し』が常であるのに、インドに侵入したアーリヤ人は、先住民を皆殺しにするどころか、先住民と融合を図っているからです。
当時の時代背景を鑑みると、これは世界的に見ても極めて稀な事例と捉えることができそうです。
また、先住民と触れることでアーリヤ人の『言葉』と『生産様式』が変化したことの意味合いは大きく、これは先住民が、アーリヤ人を受け入れたと見ることができます。
>先住民(ドラヴィダ人)が、侵入してきたアーリヤ人と激しく闘うことなく、受け入れ体質(縄文体質)を有する民族だった場合、アーリヤ人は先住民の共同性を完全に破壊しなかったと考えられます。
最先端の私権原理を持ち込んだアーリヤ人は、先住民(ドラヴィダ人)に触れることによって、彼らを征服・皆殺しにしないで融合していったようですね。特徴的なのが、①言葉と生産様式が変化した。②共同体を壊さなかったの2点については、特に重要で、共同体体質を色濃く残す社会の私権原理への適応様式が見て取れます。
画像は、ここからお借りしました。
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?4」~カーストに繋がる身分制度の形成~
>インド人に脈々と受け継がれている、輪廻思想が影響しています。
>この輪廻思想により、信仰心が高いインド人は、神官(バラモン)を頂点とする身分制度を甘んじて受け入れました。また、元々の共同体も残存し、職業の役割分担も含めて、安定的な秩序を守るための、社会統合、共存のシステムとして確立していったと言えます。
もともとインドには輪廻という思想があり、ヴァルナ、カーストにつながっていきます。輪廻思想は、これらを裏付ける原点となっていることが分かりました。
シリーズ「なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?5」~古代インドの社会構造~
>カースト制度とは単なる差別制度では決してなく、私権社会と共同体性を両立させる統合システムだったのです。
共同体性が崩壊した私権社会では、固定の身分序列は差別制度になってしまいますが、共同体性を色濃く残したインド私権社会では、争いを止揚し社会全体の秩序化、安定化を第一とした社会役割共認の重要なシステムとなっていました。
私権社会における上下関係は明確にしつつ、それぞれのカーストが職業=生産の場、婚姻制度=生殖の場を保証された共同体維持を前提としつつ、社会の中で無駄に争わず共存できる、人々の安定期待・秩序収束に応えるもの、それがカースト制度だったのです。
カースト制度は、差別制度、身分制度といわれますが、欧米の私権社会から見れば、そう見えますが、共同体の基盤がしっかりと残っているインドにおいては、共同体を安定⇒秩序化して維持・継続できるシステムであったのだろうと思います。だからこそ、現在までこの制度は生き残り、人々が拠り所にしたのだろうと思います。
シリーズ「なぜ、インドで仏教が根付かなかったのか6」~仏教の成立、社会とのズレ~
>現実離れした理想論、観念論をこねくり回して対立し、権力闘争と分裂を繰り返す。
>仏教は現実社会やそれを構成する人々の意識を対象化せず、現実を捨象した観念世界に埋没してゆきます。観念世界に埋没すればするほど、みなの意識からズレてゆく、というのは当然といえます。
これでは人々の期待に応える事など出来ません。
挙句の果てには教団内で権力争いと分裂を繰り返してゆきます
>新興宗教が勃興する中で、バラモン階級もその存在意義をかけて、現実と人々の意識を直視し、硬直した思想と体制を見直したのかもしれません。
その結果、社会秩序を司る身分制度を「安定」基盤としつつ、様々な現実の問題に柔軟に対応する「変異」の要素を併せ持つことで現代まで続く精神基盤となり得ました。
そしてこれが、「ヒンズー教」へと発展してゆきます。
>観念のみに傾斜し、社会とどんどんズレて行ったインドの仏教。
「安定」と「変異」を両輪とし大衆に深く浸透していったバラモン教とカースト制度。
現代社会の諸問題を解く鍵もここにあるように感じます。
シリーズ「なぜ、インドで仏教が根付かなかったのか7」~ヒンドゥー教の成立~
>(ヒンドゥー教は、)実に柔軟な現実的な考え方で庶民の意識を統合しています。
>共同体的な側面を残す民族は少ないので世界では珍しい統合様式ですね。日本に近いと感じるのは、共同体を残すためでしょう。
★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★
この上記の二つの記事から、仏教は、インド社会とずれていたと理解できたのですが、具体的に何が、ずれていたのか見てみたいと思います。当時は、新たな私権原理・市場原理の圧力に晒されたインドを前提に考えて見ましょう。
まず、生殖:性において、仏教は俗世の煩悩として排除しています。共同体の中で育まれてきたインドのおおらかな性に対して、輪廻からの解脱と称して、排除してしまったところに大きな問題があると思われます。
さらに、仏教は、社会を秩序化・安定化させるカースト制度を排除しようとした点も問題でしょう。
闘争:食=職業において、カースト制度は、インドにとっては、単なる身分制度ではなく、社会を安定・秩序化する制度そのものであったと思われます。社会を構成する集団(共同体)を維持する機能としてみなに受け入れられていたのだろうと思います。
仏教は、私権社会で台頭してきた新しい勢力(私権社会の勝ち組であるクシャトリア(王侯貴族など)・商人)の後ろ盾を得て、成立していた教えであり、本源的な部分を捨象しようとする姿勢が、庶民から見れば、受け入れがたいものと写ったでしょう。
このように仏教は、自ら、社会との断層を生み出して、大衆の共認を得る事ができず、インドに定着しなかったのでした。逆に、ヒンドゥー教は、その全てを柔軟に受け入れ、かつ、己の教義や主張である観念内容を変え、現実のカースト制度と古代インドの観念体系を踏襲して、人々の意識を秩序立て、収束させていったと思われます。この受け入れ姿勢は、庶民との共認形成を得て、インド社会を包摂する大河のような教えとなっていったと思われます。
その基盤となっている原住民(ドラヴィダ人等)の本源性・共同体性は、アーリヤ人の私権意識をも変質させて、共同体を破壊することなく、本源的な安定⇒秩序収束を連綿と受け継いで現在のインド社会が形作られたのだろうと思います。それは、誰もが変えられなかったのだと思います。
その後、仏教は、大乗仏教や、密教へと大衆寄りに変化して引き継がれ、ネパール等の周辺諸国、東南アジアや、朝鮮半島、日本へと伝来していったのだろうと思います。
画像は、ここからお借りしました。
このような本源的な共認原理による社会統合期待が根付いていたインドにおける観念体系は、日本の神道(八百万の神や神話の世界等)に見られ、ヒンドゥー教と似たものとなっています。また、その構造には特長があるのではなかろうか?と思い調べてみたところ、とても、参考になる記事がありましたので、下記に紹介します。るいネットからの引用です。
★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★
『なんでや劇場(3) 武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束 (冨田彰男)』
しかし、イスラムでは王はいないし、インドでは王がいるが形式上は神官の方が上である。(また、身分序列が確立しているからと言って、必ずしもキリスト教のような一神教になるわけではない。日本然り、インド然り。インドのバラモン教でも、シバ神などの部族連合時代の神々が生き残っている。)
イスラムとインドは何故こうなったのか? その共通項は?
ここで東洋と西洋の違いに触れておく。
6000~5000年前、イラン高原において乾燥化を契機に、最初の略奪闘争(戦争)が起こり、それが玉突き的に伝播して武力支配国家が出来上がったわけだが、その伝播ルートは二つある。一つはメソポタミア・エジプト・アラブへというルート、もう一つは中央アジア~モンゴル高原へというルート。イラン高原は急速に乾燥していったことにより、極めて深刻な食糧危機に陥り、そこでの略奪闘争は皆殺しが常態となったが、モンゴル高原はイラン高原ほど乾燥が激しくない。従って、ここでは掠奪闘争というより覇権闘争の色彩が強く、皆殺しも発生したが、それより支配・服属という形が主流になる。従って、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての共同体性を強く残すことになる。
インドを征服したアーリア人も「我々は神である」と言ってインド先住民を支配したわけで、大して殺戮していない。だからインド人にも共同体体質が残っている。
~中略~
市場圧力は共同体を破壊する。つまり市場原理VS共認原理は決定的に対立する。そこで共同体原理に立脚して宗教集団の強力な規範で以って、市場原理の弊害を封鎖したのが、マホメットが創始したイスラム教である。だから、イスラム教では利息の禁止や喜捨が規定されている他、日常の生活規範までがコーランによって細かく定められているのである。
つまり、インドとイスラムの共通項は、共同体性の残存度が高いということ。
イスラムは国家全体が宗教集団化し、インドは未だにバラモン教時代のカースト制度が残存している。
これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果である。
共同体性を最も色濃く残しているのは日本。実は日本人にとっては身分序列は居心地が良い。実際、縄文人たちも朝鮮からやってきた支配部族に対して抵抗せずに受け容れている。それは共同体体質故に、秩序収束⇒規範収束(身分序列や生活規範)が強いからである。日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。(西洋人はそのことを批判するが、それは彼らが共同体性を失った自我民族だからに他ならない。)
日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体質故の秩序収束⇒規範収束である。
~中略~
日本人は戦前まで村落共同体が残存しており、そこでの本源共認と規範としての身分序列によって統合されてきた。そこでは観念性はほとんど見られない。先に検討した、現実共認と宗教共認の分裂は実は、西洋固有の特徴なのではないか。実際、日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体基盤に立脚した規範統合と言うべきであって、全く分裂していない。
東洋では、庶民にとって必要なのは現実の秩序共認であって、支配者として王や天皇は存在しているが、それは庶民にとってはどうでもいい存在なのではないか。単に、収束した秩序の上の方に天皇がいる。その方が精神安定的で居心地が良いので奉っているだけなのではないだろうか。イスラムやインドの神官も同様で、庶民が収束した秩序の上の方に神官がいた方が安定的なので共認されているのではないか。
言い換えれば、日本人やインド人が、国家や天皇や官僚に期待しているのは、秩序さえ安定していればそれで良いということなのではないだろうか。社会期待としてとらえ返せば、日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。
それに対して、救い期待に応えて一神教が登場したのは西洋特有の構造である。また、仏教も救い欠乏を土台にしており、それがインドにおいて仏教が根付かなかった理由であろう。
★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★
重要なキーセンテンスは、
『これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果』
『日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。』
です。
当初の疑問に答えるなら、共認統合社会が私権統合社会に適応していく過程では、このように、安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造になり、最終的には、みなが充足できるものとなっていく法則がありそうです。これは、社会統合様式(=共認統合)に沿った形で規範や観念群、生産様式などの社会システムが形成されるということがいえるのではないでしょうか?
また、
『日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。』
というところが、日本ととても似ているのではないでしょうか?この両者の精神構造は、今後の新しい共認社会にとって、重要な視点となってくるのだろうと思います。新しい社会の構造を垣間見て、最終章とします。
長い間、ご精読頂き、ありがとうございました。
投稿者 2310 : 2013年02月11日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2013/02/1481.html/trackback