2013年2月20日

2013年02月20日

弥生時代再考(4) 出雲とは縄文である!!

出雲は渡来人と縄文人の合流地
img_914973_28458679_3.jpg(画像はこちらから)

出雲地域は渡来人が入り込む前は、寒冷化に伴い東北から南下してきた縄文人が相当量住んでいました。
今も出雲地方にのみ東北弁が残っているのもそのためなのです。出雲の地は漁労採集を生業とする縄文人にとって安住の地となります。当然かつて東北でそうしたように、出雲を拠点に縄文(交易)ネットワークを形成していたであろうとは容易に想像できます。
そこに紀元前5世紀から渡来人が入り込んできます。地形を見ればわかりますが、朝鮮半島からは北九州を除けば最も近く、中海という良港を持つ出雲は必然的に、海を渡る渡来人が早くから辿り付く事になります。前5世紀、越滅亡に伴い朝鮮半島の弁韓と出雲に別れて渡来したのが越人です。越人は既に呉人が先行して渡来して集落を形成していた北九州を避け、出雲を拠点に日本海側に広がり北は新潟まで辿りつきます。それらの地域は現在でも越の国と呼ばれており、この越の国の基盤が後の出雲の国づくりの基盤となるのです。
つまり、北九州は沖積平野によってきできた平地が広く、そこに渡来人がコロニーを作る事は容易でしたが、出雲に入り込んだ越人は、既存の縄文人ネットワークを上手く利用させてもらうためにも、縄文人集落の間にどっぷり入り込まざるを得えなかったのです。
そこでできあがったのが大国主命信仰です
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投稿者 mituko : 2013年02月20日