縄文を骨相学から語る(後半)~縄文人は存在するが、それに対応する弥生人はいない。 |
メイン
2018年08月14日
明治中期の日本庶民~小泉八雲 「日本の面影」より~
小泉八雲は有名な「耳なし芳一」や「怪談」などの再話文学以外にも、パトリック・ラフカディオ・ハーンとして、日本の美しさを西洋に向けて紹介する紀行文や随筆、評論を多数遺しました。
今回ご紹介する『新編 日本の面影』は1894年に八雲が来日して最初に上梓した紀行文『知られぬ日本の面影』を小泉八雲研究を専門とする英文学者、池田雅之がまとめ直して刊行したものとなります。
著者がはじめて訪れた日本は、彼の目にどう映っていたのでしょうか。八雲作品を読む上で忘れてはならない、必読の1冊です。
小泉八雲は明治時代に島根県の松江に赴任し、1年余を過ごしました。本書に収録された紀行文はほとんどがこの期間に書かれたものであり、そこには西洋人である彼の目を通して見た明治の日本の姿が、美しく表現されています。
日本に魅せられ、日本人としてその生涯を終えた西洋生まれの作家、小泉八雲。本書は日本を愛した彼の原点というべき作品だと思います。彼によって描かれた美しい明治日本の景色に、今度は読者が魅了されてしまうに違いありません。
本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。
ギリシャ生れのイギリス人で、来日前はヨーロッパからアメリカまで、世界各国を流浪し、アメリカで文才を見出され 明治23年(1890年)雑誌特派員として来日しますが、同年、英語教師として松江中学に赴任。 明治24年(1891年)1月に小泉セツと結婚し、熊本の五高へ転任。 明治29年(1896年)日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗ります。
八雲は近代化・産業化に強い危惧を感じており、それが痛烈な西洋批判に現れているのと同時に、対極にある日本人と日本文化に魅了され、日本の風景のなかに、人間の、社会の本当の美しさを「知られぬ日本の面影」の中に綴ったのです。
以下は本文より引用です。
>日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。
>日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。
>旅人が、社会変革を遂げている国を――とくに封建社会の時代から民主的な社会の現在へと変わりつつあるときに突然訪れれば、美しいものの衰退と新しいものの醜さの台頭に、顔をしかめることであろう。そのどちらにも、これから日本でお目にかかるかもしれないが、その日の、この異国情緒溢れる通りには、新旧がとてもうまく交じり合って、お互いを引き立てているように見えた。
>街道沿いでは、小さな村を通り抜けざまに、健康的で、きれいな裸体をけっこう見かける。かわいい子供たちは、真っ裸だ。腰回りに、柔らかく幅の狭い白布を巻いただけの、黒々と日焼けした男や少年たちは、家中の障子を取り外して、そよ風を浴びながら畳の上で昼寝をしている。男たちは、身軽そうなしなやかな体つきで、筋肉が隆々と盛り上がった者は見かけない。男たちの体の線は、たいていなめらかである。
>田舎の人たちは、外国人の私を不思議そうな目で見つめる。いろんな場所で私たちがひと休みをするたび、村の老人が、私の洋服を触りに来たりするのである。老人は、謹み深く頭を下げ愛嬌のある笑みを浮べて抑えきれない好奇心を詫びながら、私の通訳に変わった質問をあれこれぶつけている。こんなに穏やかで優しい顔を、私はこれまで見たことがない。その顔は、彼らの魂の反映であるのだ。私はこれまで、怒鳴り声をひとつも耳にしたことがないし、不親切な行為を目にしたこともないからである。
>これまで立ち寄った小さな田舎の村々と変わらず、ここの村の人たちも、私にじつに親切にしてくれた。これほどの親切や好意は想像もできないし、言葉にもできないほどである。それは、ほかの国ではまず味わえないだろうし、日本国内でも、奥地でしか味わえないものである。彼らの素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。そのどちらも、心から素直にあふれ出てきたものなのである。 >この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造型に対するすぐれた美的感覚を表してないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。実際に、今日の日本のどこかで、まったく面白味のない陶器や金属製品など、どこにでもあるような醜いものを目にしたなら、その嫌悪感を催させるものは、まず外国の影響を受けて作られたと思って間違いない。
>この国の人はいつの時代も、面白いものを作ったり、探したりして過ごしてきた。ものを見て心を楽しませることは、赤ん坊が好奇心に満ちた目を見開いて生まれたときから、日本人の人生の目的であるようだ。その顔にも、辛抱強くなにかを期待しているような、なんともいえない表情が浮かんでいる。なにか面白いものを待ち受けてる雰囲気が、顔からにじみ出している。もし面白いものが現れてこないなら、それを見つける旅に、自分の方から出かけてゆくのである。
>神道は西洋科学を快く受け入れるが、その一方で、西洋の宗教にとっては、どうしてもつき崩せない牙城でもある。異邦人がどんなにがんばったところで、しょせんは磁力のように不可思議で、空気のように捕えることのできない、神道という存在に舌を巻くしかないのだ。
>と同時に、同じような理由で、日本の古い庭園がどのようなものかを知った後では、イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、いったいどれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを造って何を残そうとしているのか、そんなこともわからずに、ただ富を誇示しているだけではないかと思われたのである。
>しかし、心得るべきことは、どんなに貧しくて、身分が低いものであろうと、日本人は、不当な仕打ちにはまず従わないということである。日本人が一見おとなしそうなのは、主に道徳の観念に照らして、そうしているのである。遊び半分に日本人を叩いたりする外国人は、自分が深刻な誤りを犯したと思い知るだろう。日本人は、いい加減に扱われるべき国民ではないのである。あえてそんな愚挙に出ては、あたら命を落してしまった外国人が何人もいるのである。
>日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。
西洋と違い、自我のかけらもなく、警戒心も私利私欲もなく、周りの人のために生き抜いている日本人は、世界一、幸せを手に入れる術を知っている人種です。 現在失いつつある本来の日本人の姿が、つい明治の時代まで色濃く残存していたのです。 日本人からは見出せない日本人の魅力を、小泉八雲は気づかせてくれていたのです。
投稿者 tanog : 2018年08月14日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/08/3318.html/trackback