人は何のために働くか・・・・⇒一体化充足するため |
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2021年07月29日
実現塾という追求の基点→これからは追求の時代。
実現塾という追求の基点→これからは追求の時代。いかに追求するか、どう流さないか、全ては構造認識で繋がっていくからこそ皆で追求は楽しいし前に進んでいく。
類グループ中心に1000人規模で参加し、ほぼ毎週開催している集いがある。
「実現塾」という場で、そこでは様々なテーマが追求される。現在追求が進められているのが「活力論」である。人間の活力構造と、自らの活力をどう上げるか、それが可能な社会をどう作っていくかという壮大なテーマ。私も毎回参加しているので、そこで“縄文“に絡んだ内容があれば欠かさずこのブログでも取り上げることにしている。ただ現在扱っている活力論は”縄文“だけではなくあらゆるジャンルや人に絡んでくる重要なテーマだ。そう考えるうちに縄文を追求するってどういう事かも少し見え方が変わってきた。歴史の追求だけではなく私達(現代人)に至る心の追求ではないか?認識の追求ではないかと思っている。
物や人は時間が立てば失われ消えていく。しかし絶対に消えないものが在る。それが認識である。価値観や捉え方、規範や生きる拠り所、少しづつ時代とともに変化しつつも絶対に変わらない芯のようなものは在るはずだ。祖先から代々、世代が繋がっていき語り継がれ、その時代の人々を作り動かしてきた認識群があるはずだ。
縄文を追求するとは「変わらない認識群を追求する」=そういう事だろう。
では認識とはなにか?一言では言えない部分もあるので今日はそこを扱いたい。
実現塾でどういう認識が語られたか?どういう認識が追求へと向かわせていくかを本ブログの記事の中からリアルに拾い上げてみたい。
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自然の摂理をなぜ追求するかというのは究極的には万物と一体化するためにある。
そして前回の実現塾では ”一体充足こそ、生きることそのものである” と提起された。
(中略)
大人である私達は日々仕事をしているが何の為にしているのか。お金の為ではない、もちろん自分の為でもない、人の為でもない。さらに課題の為でもない。原点は赤ん坊の一体化欠乏にある。赤ん坊と同じで一直線に
「一体化するために課題(仕事)がある。」
「右脳は生物的にも「予想外の刺激の感知への反応」⇒現代の未知課題の連続⇒右脳を開放することが可能性」
実現塾で右脳と左脳を扱っている。
この間、可能性として見えてきたのが充足と追求を求めて新しい事にチャレンジする右脳パワーである。
閉塞した現代、右脳を開放することが突破口であることは間違いない。逆に言えば学校教育の弊害とは決まった答えどれだけ沢山正確に覚えるかのルーチンワークであり、生物が本来持つ左右に分化した脳の機能を偏って使うよう強いてきた。
(中略)
どうすれば右脳が動くか開放できるかは、まずその本質である危機を察知し、非日常を直視し「なんで、どうする」を追求することだろう。そうすれば退屈な日常は消えていき、毎日がキラキラと輝く非日常が「追求すべき課題」という形で現れてくると思う。
今回も実現塾でのテーマを中心に記事を書きます。
先週の実現塾では日本人の活力衰弱、それも世界でダントツの原因と構造化を扱った。
(中略)
恋愛結婚から活力衰弱は始まった)
1970年代から始まった恋愛結婚が引き金になったのではないか?
恋愛結婚が核家族化を推進し、同時にセックスレスにもつながった。恋愛結婚の本質とはなにか?様々美化されてきたが、それらの美化観念を取り除けば本質は独占欲であり自我の塊である。自分たちさえよければよい、そういう価値観が恋愛結婚の本音である。さらにそれが子育てに転写され、子供は私有物であり管理する対象に転化した。
失われた母系社会)
もう一つは縄文体質の根本に集団原理があり、基本は母系社会であるということ。母系社会とは集団の中に直系の婆さん、母、娘が同居していることだ。さらにそれが連綿と続いていること。そこで子育て課題は集団という安心感の中で対応されていく。女の活力は集団の安心感に包まれて初めて充足存在として作られていく。逆に核家族や都市化は女の子育てを孤立化させ、不安を増大させ、故に充足存在の女の充足性は失われていく。自明と言えば自明である。
どうする・・・)
前回の実現塾ではそこまで詳しく扱われなかったが、上記の問題から以下を考えてみた。リンクへ続く
我々日本人は実は世界の中である種、特異な存在として位置づけられる。何が特殊か、当ブログでも2003年に始まって依頼17年間に渡って縄文を追求してきたが、なぜ「追求すべきテーマか」の答えが前回の実現塾で提起された。世界中のあらゆる地域には歴史があり、文明があり、現在がある。日本も同様な経過を辿ってきた。しかし大きな根本的な違いがある。
大きな侵略戦争を経験していない。つい最近の第2次世界大戦を除けばではあるが。遊牧民族が定着していない。農業ですらこの1500年前にようやく定着した。
移民は存在するが、日本にくれば日本語をしゃべるようになり、やがて日本人に同化する。なぜ思考も含めて日本人になれるかは日本語に鍵がある。
そして最後が1万2千年間続いた縄文時代である。世界中が既に侵略戦争に巻き込まれる中、海を隔てた日本だけは長らく古代の本質が残り続け、その長い時間の中で日本語を通じて日本列島の東から西まで言語が通じる国家以前の民族性=縄文体質を生み出した。
(中略)
この対象と一体化し、充足しようとすることこそ人類の最大のエネルギー源であり何かを産み出す原動力になる。しかし、この力は誰でも持っている。赤ん坊が言葉を話すようになるのはこの一体化しようとして得られる充足を求めて必死に真似をするからであり、適応し生きようとするからである。
ただ、日本人がこの人類古来の本質を濃厚に温存させ、有事に出てくるとはいえ、そう簡単に物事は進まない。何より世界で最大級に活力がなく、やる気がない現状の日本人の意識を反転させるにはそれだけでは前に進まないのだ。人々を支配観念から脱却させ、新しい観念を生み出し植え付けていく、多くの先人が必要になる。このブログが今後追求していくフィールドはそこにあると考えている。
以上4つを紹介してみた。
その前に2020年の実現塾で扱った認識をダイジェストでまとめた記事もあるのでそちらも参照してみてほしい。
2020年上半期ダイジェスト「実現塾で扱われた様々な新認識」
このように実現塾で様々なテーマが同時並行で扱われる。この実現塾とは学校の授業や教科書とはまったく違う。テーマと基本認識が語られ、そこで得た認識を基点に参加者それぞれが追求していくこと、そこに意味がある。
小中学生から70歳を超える大人まで様々な老若男女が集い、自分の中にある潜在思念に照らし合わせ、隙間を埋めていく作業、参加した人たちと共にこれだと捉えた認識、それを自ら追求していく事、これが今最も新しい追求空間である「実現塾」という形である。
オンラインでも参加できるので、このブログを読んで、自分もその一人に加わりたいと思った人は希望してみてほしい。
投稿者 tanog : 2021年07月29日 TweetList
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