2021年7月23日

2021年07月23日

人は何のために働くか・・・・⇒一体化充足するため

3回ほど前の実現塾で岡田議長から提起された以下の言葉は多くの示唆を含んでいる。
自然の摂理をなぜ追求するかというのは究極的には万物と一体化するためにある。
そして前回の実現塾では ”一体充足こそ、生きることそのものである” 提起された。
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観念機能とは何か?
万物との一体化である。
その結果として生まれた言葉は一体化(対象をつかみ取る)する為
観念機能の真髄とは一体化にある。

精霊信仰の回路とは一体化である。
一体化とは自然のエネルギーを掴むこと
自然からエネルギーを得ること。
それほど極限時代の人類とはエネルギー(活力)に飢えていた。
古代人は自然の波動に同化し、万物との一体充足を得ていた。
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この認識をさらに固めるものとして現在子どもたちで運営している遊学舎での子どもたちの意識が表している。その学舎のコンサルさんがこんな話をしてくれた「子どもたちは遊学舎に来て皆と一緒に居るだけで嬉しいという。
どんな遊びをするかとか何をするかは何でもいいんです。
何をしても楽しいし、相手の楽しんでいる事がまた楽しい。
だから彼らはその一体化できる空間を求めて来ているんです」

大人である私達は日々仕事をしているが何の為にしているのか。
お金の為ではない、もちろん自分の為でもない、人の為でもない。さらに課題の為でもない。
原点は赤ん坊の一体化欠乏にある。

赤ん坊と同じで一直線に
「一体化するために課題(仕事)がある。」

私はこれまで、課題がまずあってその課題を突破するために一体化しようとしたのだと思ってきたが順番が逆だった。まず先に一体化があり、課題もその一体化をするために存在しているのだ。

そう捉え直すと明日からの仕事もまた、すごく楽しくてやりたくなってくるではないか。
追求も仕事も修行僧になる必要なんてまったくないのだ。

投稿者 tanog : 2021年07月23日  

2021年07月23日

縄文時代の死生観と現代人の死生観は強くつながっている

縄文時代の死生観は、死は「再生・循環」するというもので、墓地はむらの中央にあり、姿形を変えながら、自然のさまざまな部分に変化しながら、やがて再生するものととらえていました。縄文後期には家族を送り、代々の生を受け継いでいくという死生観も現れ始めます。

死んだ後も共に生きるとう価値観は、形を変えながら現在にも少なからず受け継がれているものと思われます。

(さらに…)

投稿者 tanog : 2021年07月23日  



 
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