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縄文時代の死生観と現代人の死生観は強くつながっている

縄文時代の死生観は、死は「再生・循環」するというもので、墓地はむらの中央にあり、姿形を変えながら、自然のさまざまな部分に変化しながら、やがて再生するものととらえていました。縄文後期には家族を送り、代々の生を受け継いでいくという死生観も現れ始めます。

死んだ後も共に生きるとう価値観は、形を変えながら現在にも少なからず受け継がれているものと思われます。

【縄文時代を下るにつれて系譜的な死生観が発展してくる】

テンミニッツTV [1]より

縄文時代の再生、循環の死生観は、円運動を伴うということで、「円環の死生観」と呼ぶことができます。自分自身が姿形を変化させながら、自然のさまざまな部分に循環していくのです。こうした死生観は、縄文時代の初源的な宗教形態の一つであるアニミズムと連動します

加えて、縄文時代の後半期になると、多数合葬・復葬墓の発生とともに、先祖から受け継いできた生命の線を、バトンリレーのような形でつなげていくという系譜的な死生観が発展します。先ほどの円環の死生観に対比して、「直線的な死生観」と呼ぶことができます。この二つの死生観の在り方が、縄文時代後期には並存していたと考えられます。

 後期以降も、墓地の中に新たに家族単位の区画が作られ、そこに代々埋葬されていくようになることを鑑みると、系譜的な関係性を考慮した埋葬方法を取っており、それを支えた死生観が存在したことがうかがえます。

【系譜的な死生観は再生・循環の死生観の一部を切り出した特殊なもの】

縄文時代の再生・循環の死生観と系譜的な死生観、この二つが円環の死生観と直線的な死生観ということになるのですが、自然の中で大きく循環するという考え方の中では、自分の先祖と自分がいて子孫がいる、という直線的な死生観は、実は一部分を切り取って並べたにすぎないことが分かります。例えるならば、数学における微分積分の考え方と同じです。

系譜的な死生観は、特殊な状況下で必要とされたのであって、縄文時代の基本的な死生観は、むしろ円環の死生観、再生・循環の死生観であったと考えられます。この死生観は、人間だけではなく、イノシシやシカ、クマなどの動物や、トチの実やクリなどの植物にも適用できます。だからこそ、土器埋設遺構の中に入れて、再生するように祈っていたのです

貝塚も、単なるゴミ捨て場ではなく、人の遺体を埋めたり、さまざまな動物の骨を置いたりしました。その意味では、アイヌ人の文化にあった、あの世にもう1回送り込むという祭祀の場、いわゆる送り場と同じものだと考えられることが多いのです。このように、さまざまなものを、円環の中に送り込むという営為を、縄文人が行っていたことは、おそらく間違いないと思われます。

【現代にも残る縄文時代の死生観】

このような死生観は、実は現代社会においても残っています。例えば、先祖代々の墓を守るというのは系譜的な死生観ですね。一方で、最近生まれ変わりやあの世に関する、ドラマや映画、小説が増えてきました。社会的に見ると、生命が循環して生まれ変わり、あの世とこの世が交流しているという考え方、死生観が、われわれの心の中に残っているということです。科学万能といわれている社会において迷信と呼ばれかねないにもかかわらず、です。

この死生観は、すでに縄文時代から存在していました。今から20万年前にアフリカでホモ・サピエンスが登場し、10万年ほど前に「アウト・オブ・アフリカ」といって世界に拡散していきます。最終的に、約4万年前に日本列島にやってきました。このような循環、再生の死生観は、彼らが移動を続ける間に身体の中に染み付いた、あるいは頭の中で考えたものだったと思われます。

例えば、旧石器時代、沖縄県の港川には「港川人」と呼ばれる人が住んでいました。そこにはクレバスが存在し、崖にひび割れが入っており、その中に実は遺体が入れられていました。

宗教学者のミルチャ・エリアーデは、このようにクレバスや洞窟の中に遺体を入れるという行為は、母体への回帰を意味しているという議論を展開しています。これまでに説明した、土器の中に遺体を入れるという行為とまさしく同じ意味を持ちます。このように、社会ごとにさまざまな異なった形ではありますが、その基本には再生や循環の思想があります。この思想は、人間がホモ・サピエンスとして生まれてきてから、非常に長い期間持っていたものなのです。