地域再生を歴史に学ぶ~第2回 地域空白期は力ずくの律令制が作った |
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2014年12月25日
大共同体「東南アジア」を支えるシステム~海洋部東南アジア、マレーシア・インドネシア~☆発達した交易の基盤にあるのは共同体社会と贈与物流NW☆
大共同体「東南アジア」を支えるシステム~マンダラは共同体のリーダーを育てるシステム
大共同体「東南アジア」を支えるシステム~タイ・ミャンマーにみる信任・共認関係で結ばれる陸のマンダラ
東南アジアシリーズ第4回目です
インドネシアのバリ島、マレーシアなどは南国の島として素敵なビーチを思い浮かべます☆一方、スマトラ島の地震や雨の多い熱帯雨林など自然の驚異も頻繁に感じるところです。東南アジアの島々の歴史にはどんな特徴があり、どのような民族がどのような暮らしをしているのでしょう・・・
今回は東南アジア島嶼部の歴史、民族の特徴に迫って行きたいと思います
太平洋全体に活動を広げている=海洋民族
東南アジア島嶼部への民族の南下移動は、新石器時代以降、ユーラシア大陸中央部の乾燥地帯から人が次々と南へ押し出される形で始まっています。
その中でも、紀元前2500年から1500年までの間に移動してきた大集団であるインドネシア人(オーストロ・ネシア人)が今日マレーおよび東南アジアの島々の人口の主体をなしています。1万数千個ともいわれる島々を抱える東南アジア島嶼部の人々は高い海洋技術を以って島々を行き来し、生活を築いてきました。
交易の発達を促したのは外国(中国)と外国人(華僑)
インドネシアのパレンバン、マレー半島西海岸南部に位置するマラッカは、海上交通、河川交通の要衝を占め、東インド貿易、中国・インド・中東を結ぶ遠隔地貿易の中継地として栄えました。
東南アジアの最大の市場は中国で、一般に王朝隆盛の時には朝貢貿易が盛んに行われました。朝貢国と認定された国だけが貿易を許され、私貿易はその一環として行われました。実際に貿易を行ったのは中国人商人でしたが、かれらは対中貿易を行い、やがて髪型を変え、服装を変えて、王の家臣としてジャワ人、シャム人などになっていきました。即ち、朝貢→交易は外国人が主導したといえるでしょう。
外国人の進出の中でも共同体とその自治を守り続けてきた王
インドネシア ジャワ島は農業が発達し、同じインドネシアでもスマトラ島は商業が発達しており、両者は好対照をなしていました。港市は、対外的な交易と地域における主要な消費地であって、各地域の政治と経済の中枢を担い、また、来訪者に対し、広く開かれていました。一方、農地は消費財の生産地であり、外来者に対してはむしろ閉じられていました。 そもそもマンダラの王である港市支配者は、外来商人と領域内の住民とを仲立ちすることこそが自らの拠って立つ基盤でした。 例えば、東南アジア各地で流布された「人喰い族」や「女人が島」など、野蛮、原始的、好戦的な風聞や伝承の数々は、外国人商人が直接生産地に進出することを阻止するために、港市の支配者によって、むしろ意図的に流布されたものでした。
島々の友好関係を築く贈与NW~クラ貿易~
東南アジア地域の交易関係は、外国人が作った物かと言えばそうではなく、その下部には私権社会→交易以前の豊かな物流NWがありましたが、島嶼部の人々は、稲作による水耕農業と、海洋民族が支える漁業で生計を立てていたと考えられます。回りを海に囲まれた島嶼部にとって、海洋民族の高い航海技術をもってすれば、大陸部の様に高い山脈や密林を乗り越えるのに比べ、境界を接しなくても容易に集団同士行き来できたと考えます。
例えば、インドネシア東端のニューギニアのマッシムと呼ばれる地域の島々間で行われていた、クラ交易では、交易品が半年というサイクルで次々と島々を移動していきます。贈与周辺島々との友好を結ぶために貝殻を贈り合う風習ですが、日常品についても、「クラ」という贈与関係の上に成り立っていました。
海の状況によっては、行ったはいいけれど数ヶ月戻れなくなる。。そんな可能性も多かったのではないかと想像すると、行った先でしばらく定住した民族もいたかもしれません。贈与によって友好関係を築いておく事は、互いに助け合い、支えあい生きて行く体制の基盤となっていたのではと考えます。
まとめ~土着民にとって交易とはなんだったのか
東南アジアの海洋部には、名のある島だけでも5000個余りあります。資源の豊富な東南アジアの物資を求め、徐々に華僑が島々にもやってくることで朝貢貿易が盛んになってきた訳ですが、交易を成立させるにも、港市に各地から物資が集まってこなければなりません。
彼らにとって、域内の島々との友好関係を保ち互いに助け合い生きていくための贈与NWが元々あったのですから、交易によって儲け様としていた訳ではなかったのではと考えます。交易を主に行っていたのは、あくまで華僑たちです。つまり、土着の贈与、物流NWがあって、その機能を華僑が上手く利用⇒交易を発達させていったに過ぎません。
贈与NWは、支配関係でなく、互いが相互関係を保ちながら、国としてまとまった形で、あくまで各集団の自治は各集団に任せられ、必要に応じてその集団同士連携し、マンダラ(集団)を形成してきました。海のマンダラの本質も、信任・評価関係にもとづく贈与物流システムといえます。
自分達の生活を守り、それでいて外国人も受け入れることで大国の脅威から身を守りながら外交をしてきた東南アジアの力強さは、日本が改めて復活をさせないといけない精神が、東南アジアを源流に生きづいています。
投稿者 tanog : 2014年12月25日 TweetList
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コメント
投稿者 2310 : 2015年1月4日 09:54
あけましておめでとうございます。今年も目からうろこの記事をよろしくお願いします。
「東南アジアの島々の歴史」ですね。とても興味があります。
日本列島の歴史を考える上でも、東南アジアと中国南部の歴史は、とても重要ですね。
東南アジアは、海を渡り、多くの場所へと自在に移動する海人族であったと聞きます。また、自然崇拝もかなり残っているようですので、今後、楽しみにしています。