日本における仏教が果たした足跡8~大衆に根をおろした江戸時代の仏教 |
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2014年06月30日
宗教が国家を上回った国:イスラムとは?【1】プロローグ
西欧を中心とした報道からは、イスラム諸国の印象は非常に悪い。
「大量破壊兵器」、「テロとの戦い」、「イスラム過激派」、「独裁政権」・・・
しかし、イスラム諸国は米国・軍産複合体とって冷戦後の金儲け対象で有り、彼らが生き残れるように、イスラム諸国を次々と崩壊させて、あちこちにテロの火種を作っていることが、明らかになってきています。
参照:るいネット【「テロとの戦い」は、アメリカ軍産複合体の金儲け】
ということは、イスラムへの西欧メディアによる悪い印象は、彼らによって作られたものであり、実態は大きく違うのではないでしょうか。
このシリーズでは、イスラムの統合の実態を明らかにし、今後も人口が増え続けるイスラムの可能性について追求して行きます。
●宗教が国家を上回った国:イスラム以下、るいネット【イスラム国家は民衆の支持で成立した】より
つまり、それまでの古代宗教が国家支配と戦争による混乱から生まれた大衆の救い欠乏を背景にしているのに対し、イスラム教の特殊性は、市場と都市の発達がもたらした貧困からの救い欠乏を背景にしている点にある。別の言い方をすれば、まず宗教が先に出来て、それに基づいて国家風の集団が成立したとも言える。
マホメットの死後、カリフ(後継者)たちは、イスラム教指導者というよりアラブ族長としての立場から、部族民の生活を安定させるため、周囲の地域の遠征を始めた。これがいわゆるアラブの「大征服」である(633~650)。
こうして最初の大征服が一段落するまで(~650)に、イスラム帝国は旧ササン朝の全領域を合わせ、東ローマ帝国からシリア、エジプト、北アフリカを奪っていた。
ここで誰もが抱くのが、なぜこんな大征服が可能だったのか?という疑問だろう。装備も貧弱な砂漠のらくだ部隊が、いかにしてペルシアと東ローマという大帝国を倒すことが出来たのだろうか?
その理由は、意外にも、イスラム軍が宗教に寛容だったからである。そもそも大征服は、イスラム布教の為ではなく、アラブの同胞を養うというカリフの族長的責任から行われたものだった。その証拠に、初期の遠征にはイスラム教徒ではないアラブ人も多数加わっていた。だから初期のこの大征服は、むしろアラブ人の民族的発展または民族移動の一過程と見てもいい。
そのような性格の征服だから、征服地の住民に特にイスラム教を強要することもなかった。上述のようにユダヤ教徒・キリスト教徒など「啓典の民」は信教の自由も保障された。ただ、イスラム教徒は租税が免除されるので、住民たちが自主的に改宗したのである。
主要点をまとめると
・古代宗教は、国家支配と戦争による混乱から生まれた大衆の救い欠乏が背景
・イスラム教は、市場と都市の発達がもたらした貧困からの救い欠乏が背景。
・まず宗教が先に出来て、それに基づいて国家風の集団が成立したのが大きく違う。
・イスラム教の布教の為では無く、同胞を養うことを目的として拡大してきた。
・イスラム教の魅力に、民衆が自主的に改宗して拡大していった。
イスラム国家とは、市場や都市に対する考え方、集団→国家の統合方法、そこでの宗教(イスラム教)そのものの役割、宗教というより規範とも考えられるイスラム教そのものの魅力等、他の国や宗教とは、統合形態が大きく違うのでは?と考えられます。
その中身を明らかにするために、このシリーズでは、以下の目次で進めて行きます。
●シリーズの目次(予定)
・ 同じ神を信じるキリスト教・ユダヤ教、何が違う?
・ イスラム教の中心:六信五行とは?
・ イスラム法って何?
・ 商業を重視するイスラム
・ イスラムの性
・ イスラムは、金貸しにとって何がやっかいなのか?
・ イスラムの統合とは?
次週はまず、「イスラム教は、同じ神を信じるキリスト教やユダヤ教と、何が違うのか?」を解明していきます。
お楽しみに・・・・
投稿者 yooten : 2014年06月30日 TweetList
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