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2014年03月23日

日本における仏教が果たした足跡1~仏教が多数の宗派に分かれているのはなんで? その答えを「ブッダの仏教」に探る

 仏教は、キリスト教やイスラム教など、他の宗教にくらべてはるかに多様性の高い宗教です。日本の仏教だけでも禅宗、浄土宗、浄土真宗、天台宗、真言宗、日蓮宗など、数多くの宗派が並び立ち、世界全体で見れば、それこそ数えきれないほどの異なる宗派・教団が活動しています。仏教は「仏教」という一つの言葉でくくるのが難しいほど、多様で多彩な様々な思想の集合体といえます。

 実は、日本人が日本の仏教と異なる仏教があることが知ったのは、明治時代に入ってからでした。文明開化でヨーロッパの文化に触れた日本人は、そこでヨーロッパ仏教学という学問に初めて接します。その仏教学を通じて、日本の仏教とは異なる仏教が存在し、それがスリランカ~東南アジアにかけて広がっていることを初めて知ることになります。さらに、調べていくと、もともとのブッダの教えは、日本の仏教とは異なっていることも分かってきました。

日本の仏教とは、インド亜大陸で誕生し、中国大陸、朝鮮半島を経て日本に伝わったものですが、それはインド亜大陸で誕生した当時のままの仏教ではなく、その伝来の途中で何段階かに亘り、社会的、地域的、民族的な変化を経てきたものだったのです。

 なぜ、これほどまでに仏教は多様性が高いのででしょかしょか?

 そもそも、ブッダの仏教は宗教とよべるものなのでしょうか?

 「日本における仏教が果たした足跡」を探求していく手始めとして、第1回はこの疑問からスタートしてみます。最初の一人、ブッダが始めた「ブッダの仏教」の誕生に焦点を当て考えてみます。

 

日本に仏教が伝わったのが約1500年前、日本人がブッダの仏教を知ってから僅か100年余り。「ブッダの仏教」は、今だ追求過程にある新しい学問領域で、素人には手強い課題ですが、ここは本ブログの特色である「なんで?」を切り口にして、当時の社会状況⇒人びとの期待・欠乏⇒どのように仏教はそれに応えたか?、その歴史を俯瞰してみたいと思います。

 

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◆なぜ仏教が登場したのか?

 ◯アーリア人の侵入と身分制度社会の形成

 紀元前1500年頃から、インド・ヨーロッパ語を話すアーリア人が、ユーラシア中央部から北西インドへと侵入し、独自の文化を持ち込みます。これが、その後、仏教という宗教が生まれる土壌となります。

インドに侵入したアーリア人は、土着の人々を取り込み、複雑な身分制度社会を形成します。上に立つのがアーリア人、下で差別されたのが土着の人々。この支配者-被支配者の二重構造を基盤にして成立したのが「ヴァルナ」と呼ばれる身分制度でした。(このヴァルナが現在のカースト制度のもとになります) 

バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの四階層と、さらにその身分制度にも入らない最下層のチャンダーラと呼ばれる人たちが、その制度を形成しました。この身分制度の頂点に立つバラモンは祭祀を司る祭官で、同じアーリア系でも、神々と交信する能力を持つという点で特に優れた者とされ、その神々との交信システムを「バラモン教」といいます(現在のヒンドゥー教は、その末裔)。バラモン教には神が存在しますが、それはキリスト教などの唯一絶対神ではなく、森羅万象の背後に神々の存在を見る多神教でした。

◯新興勢力の台頭と、反バラモン・反ヴァルナ制度の機運の高まり

 紀元前600年頃の北インドには、マハージャナパタ(大国)と呼ばれる国家群が割拠していました。十六大国と呼ばれるそれらの国々は、国家形態から見ると、「部族共和制国家」と「王制国家」に分けられます。

「部族共和制国家」は、部族的な集団支配を特色とし、支配部族はいずれもクシャトリア出身を自称しました。実際はそれらの多くは先住農耕民の有力部族で、クシャトリアを自称するかたちでヴァルナ制度を採用しましたが、バラモンの優越的地位を認めることには抵抗を示し、ナーガ(蛇神)崇拝など土着的な信仰が行われ、バラモンの執り行う祭祀はそれほど重視されなかったようです。

「王制国家」は、群雄割拠の時代を生き抜くために、富国強兵策を推し進め、出身地や出身部族、時には出身ヴァルナにこだわること無く、有能な者を臣下に加え、こうして集められた役人と軍人により国家が支えられました。王たちは、王権を強化するためにバラモンたちの宗教的な後ろ盾を必要としましたが、精神的な支えは、その時代に登場してきた非バラモン的な新興宗教に求め、それらの教団を保護しました。

 紀元前600年頃になると、ガンジス川中・下流域では、都市が発達し、都市を結ぶ交易活動が活発になります。貨幣や文字の使用が始まったのもこの頃でした。また、積極的な農業活動が行われ、集約的な水稲栽培は麦や陸稲栽培をはるかに上回る収穫をもたらし、都市発展の基盤を提供します。このガンジス川中・下流域における政治・経済の発展を担ったのはクシャトリア階級と、バラモンたちから低い地位を与えられてきた商人階層でした。

 この時代に新しい多数の思想が現れ、インド思想史上で最も華やかな時代を迎えます。この時代の思想には、いくつかの共通点が存在しています。

  1. バラモン教の権威と、バラモンの祭祀の有効性の否定
  2. ヴァルナ制度の否定
  3. 広範囲な人びとを対象に、平易な言葉で教えといた
  4. 生まれではなく、個人の能力、意思、行為を評価した

つまり、クシャトリア階級と商人階層の台頭という社会状況の中、宗教・社会制度はこれまでのバラモン教を基盤とするヴァルナ制度のままという、現実社会と宗教・制度の乖離が人びとの意識の前面に立ち現れ、その矛盾や不満が高まる時代、その人びとの期待に応えるように様々な思想や宗教運動が登場したのです。

そのような主張をする多くの人々は、各人がそれぞれ独自の修行方法を考案し、様々な新しい宗教が並び立ちます。その一つが仏教でした。

◆ブッダの教えとはなにか?

◯ブッダ誕生

 仏教の創始者であるブッダは、今のネパールとインド国境近くの地域を治めていた、部族共和制を摂る「シャーキヤ(釈迦)族」の有力者の家に生まれました。クシャトリア階級の王子として成長したガウタマ・シッダールタは、やがて物質的幸福の限界を感じ初め、特に「年をとらねばならないこと」「病気の苦しみから逃れがたいこと」「必ず死なねばならないこと」(老・病・死)という、輪廻により永遠に逃れることが出来ない万人共通の苦しみを強く意識するようになります。

 この苦しみから逃れるにはどうしたら良いのか? その問にバラモンも、新しい思想家も誰も答えてはくれません。思い悩んだ末、物事の背後の真理を識ること無く答えにたどり着くことはない、と考えたガウタマは、自らその真理を見つけ出すため、出家を決意し修行の道に入ります。

ガウタマは、最初に肉体を苦しめる「苦行」の道を選びますが、それを途中でやめ、苦行を伴わない「瞑想」という修行に専念します。そして、深く長い瞑想を経て、ついに世の中の“真理”を見つけ“悟り”を開きました。 

では、ガウタマは何を悟ったのか?真理とは何か?

全てのものはみな思い通りにならず、この世で生きることは本質的に苦である【一切皆苦】。全てのものは常に変化し続け、確固として安定したもの不変なのもはあり得ない【諸行無常】。したがって、全てものにおいて、「私」とか「私のもの」という実在は存在せず、全てのものはその関係性においてのみ存在する【諸法無我】。それに係わらず不変なものを求めるから、この世は全て苦になる。いっさいの煩悩や執着を捨て、【一切皆苦】【諸行無常】【諸法無我】という現実をあるがままに受け止られる“心のあり様”に変わることで、初めて真に心安らかな境地に至ることが出来る【涅槃寂静】。それがガウタマがたどり着いた世界の“真理”でした。

そして“悟り”を開いたガウタマは、ブッダと呼ばれるようになります。その後、同じように修行をしていた五人を弟子に迎え、計六人で仏教が始まります。

◯ブッダの仏教の3つの特徴

1.超越者の存在を認めず、現世世界を法則性によって説明する

この点が、唯一絶対神宗教や多神教といった超越者の存在を前提とする宗教との大きな違いです。仏教では、この世界全体を司るような超越存在を必要としません。世界は“真理”という法則に沿って、いわば自動的に展開していくもの。ブッダにしても、世界に定通する法則性=真理を見抜き、生き物がその法則性の中で真の安らぎを獲得する方法を自力で見言い出した人として、勇気や知恵などの能力が格段に優れている点で格別だったに過ぎません。

2.努力の領域を、肉体ではなく精神に限定する

仏教の目的は、現実世界に生きることを苦しみと感じ、その状態から脱出を願う人々に正しい道を指し示すことであり、それゆえにその追求の領域は「精神」に限定されます。また、単に精神の法則の解明を目的とするだけでなく、解明された法則性を基盤として、自己の精神における「苦」の消滅を目指します。

法則性の理解だけならば理屈でもすみますが、そこからさらに「自己の精神の改造」という一層困難な目標に進むためには、一朝一夕の学習ではどうにもならず、日々の反復訓練よにって、少しずつ自分の意識を変えていかねばならず、ここに「修行」という特殊な活動の必要が生じ、その自己故改造の具体的方法が「瞑想」でした。

3.修行システムの構築~生産活動の放棄と出家者による集団生活体制

仏教の修行は主に「瞑想」と「経典(ブッダの言葉)」を覚えることで、それは世俗の生活を営みながら片手間で出来るようなものではなく、日常のあらゆる生産活動を放棄して、自分の全ての時間を修行に使う必要があり、そのためには「出家」し、完全に修行中心の形態に変更しなければならいとされました。

生産活動を放棄した修行者が生きていくための方法として、一般社会の人たちから食物をわけてもらうというという方法=「托鉢」が採用されます。慈悲の心を常に持ち、宗教的・道徳的に正しい生活を送るように説き、在家の人びとから「ありがたい教え」「立派な人びと」と思われることで、「布施」として食物を分けてもらったのです。

また、修行をもっとも効率的に実践するためには、一人で修行するより、集団で生活したほうが便利であることから、出家者は集団生活が原則で、その集団は「サンガ」と呼ばれました。ただし、集団と言っても共同体というよりも、修行する個人の集まりという側面がより大きかったようです。このように、ブッダが構築したものは、徹頭徹尾「修行生活」を遂行することを第一目的に作られた、極めて現実的・合理的な「修行システム」でした。

 

◆まとめ

◯ブッダの教えに内在した「仏教の多様性」の萌芽とは?

ブッダが行ったこと、ブッダが説いたものは何か? (ちょっと乱暴ですが)概略を整理すると次のようになります。

ブッダが目指したのは、現実世界の絶対的な苦悩の中で生きる私たちが、それでも心に平安を保ち、安穏な人生を歩んでいくためにはどうした良いかという、その1点にあった。そして、ブッダは、苦悩とは何か?それはどのよに生み出されるか?を明らかにし、それは神秘的な力を信じず、全ての苦悩をあくまで自分の問題として捉え、自ら道を切り開くことで到達することが出来るものだと説き、それを実現するための具体的な修行の心構えや方法を伝え、そのための場を提供した。

このように、ブッダが始めた仏教にその後、仏教が多様化する萌芽を見て取ることが出来ます。

最初期に編纂された最古の仏典の『スッタニパータ』や『ダンマパダ』には、ブッダの言葉が残されています。

『1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。(スッタニパータ)』

『2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。(スッタニパータ)』

『1 物事は心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。荷車をひく牛に車輪がついていくように。(ダンマパダ)』

『2 物事は心を主とし、心によってつくり出される。 もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。(ダンマパダ)』

このようにブッダは、どうして悩みが生じるのか、修行とはどんなものか、その心構えとは、といったことを説いても、最終的にどんな「悟り」「真理」を得るかは説くことはなかったのです。ブッダが人びとに説いたのは、、ブッダ自身が悟った真理そのものではなく、あくまでも修行の心構えや方法のみ。その結果、いわば『人それぞれの「悟り」や「真理」』が登場する可能性が生じたのです。

実際、ブッダが入滅後、その時々の社会状況や人びとの欠乏期待に応じて、それに応える形で様々な変更・修正が加えられた数多くの仏教が並び立つことになります。

◯そもそもブッダの仏教は宗教か?

いわば『自己鍛錬システム』とも言えるのがブッダが説いた仏教でした。それは、極めて合理的な考えに基づいた具体的な方法論です。これは、神という超越存在を想定するキリスト教やイスラーム教とはずいぶん異なります。はたして、このような仏教は、一神教と同じように宗教といえるのでしょうか?

 これについては、次の1点において、やはり仏教は「宗教」だと言えそうです。

ブッダは、なぜ修行へと進んだのか?そこには、次のような前提が隠されています。 

現実の社会は決して変えられない⇒では、変えることが出来るものは何か?⇒それは自分自身の「精神」だけ

このように、大前提として「現実の社会は決して変えられない」という『現実否定』が存在します。これは、

現実の社会は決して変えられない⇒では、変えることが出来るものは何か⇒それは自分の頭の中の「観念(神)」だけ

という、一神教と全く同じ構造なのです。

このように、その出発点に『現実否定』がある限り、どんなかたちであれ、それは「宗教」なのだと思います。

 では、現実否定を前提とする宗教はどこに行きつかのか?という疑問が湧きますが、これについては、このシリーズを通じて少しずつ見えてくるのではないかと思いますので、今回は保留にしておきます。

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 以上、ブッダの仏教が登場した、社会背景、人々の意識、それに仏教がどのように応えたのか、について概略を俯瞰しました。かなり駆け足で、ブッダの仏教の一部にしか触れることは出来ませんでしたが、とりあえず最初の疑問の答えまで行き着いたということで、ご了承下さい。

次回は、ブッダ入滅後、インド亜大陸での「仏教の多様化」について取り上げる予定です。乞うご期待下さい。

 

※参考書籍

  • 佐々木閑著『科学するブッダ』角川ソフィア文庫
  • 佐々木閑著『ブッダ 真理の言葉』NHKテレビテキスト
  • 山崎元一著『世界の歴史3 古代インドの文明と社会』中央公論社

投稿者 katsuragi : 2014年03月23日 List  

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コメント

本件で引用させていただいた写真ですが、当方の配慮不足により、撮影者の方のご了解をいただかずに掲載しておりましたので削除いたしました。
このページをお借りして謝罪いたします。申し訳ありませんでした。

以後写真、資料の掲載については、留意してまいります。

管理人

投稿者 tanog : 2014年4月7日 23:45

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