縄文体質は敗北思考~共認の時代を本物にするには支配から脱却する事実の観念体系を産み出す必要がある。 |
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2020年11月05日
寄り合いという日本古来の決定システムから見える「空気で決める全員一致の共認形成」
先日の実現塾で「寄り合い」について少し議論が出た。
議長からはこの寄り合いという合議方式が民主主義と正反対の共同体的な決議方法であり、共認形成する際のの手続きでもあると提起。日本人は空気で決める。なんと最高決議機関の国会ですら話し合った後、最後は「そういうことで・・・」と空気を読みながら議長が発するらしい。我々日常の会社の会議でもこの空気で決める共認形成は少なくない。寄り合いとはすり合わせであり、空気の読み合い、気が合った空気を作る為の場ではないか。
下記は1970年代の対馬での逸話を書かれているが、寄り合いとはどういうものか、どのように物事を決めて守っていくかがよくわかる。
長い場合は丸3日間かけて村の方針を話し合って決めるという手法は現代のスピード社会には馴染まないようにも思えるが、裁判に何年もかける現代社会と比べればどちらが長いか(効率がわるいか)はわからない。いや、むしろ共認形成をじっくり行う事がその後のスピードを決めるとも言え、この何百年も続いた寄り合いというシステムは決して過去の慣例ではない。
多数決や上からの指令、ましてや意味のわからない無数の法律、そういうモノの中で私たちの最も重要な「どうする?=行動」は決められていく。自治や自主、自立を言うのであればこの寄り合いのような自らの組織を自ら入り込んで決めていき、それをみんなで守っていくことだろう。
そういう社会が決して理想ではなくつい50年前まであった日本の社会であった事は記しておきたい。
過去のるいネットの記事から紹介しておきます。
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宮本常一氏という民俗学者の「忘れられた日本人」という著書がある。同じく民俗学者の網野善彦氏が大学の講義にテキストとして使っている本と知って、取り寄せてみた。その中に70年代の日本の寄り合いの話が記載されていたので紹介しておきたい。
場所は対馬の漁村の伊奈という村である。
著者はそこの長老に村の古文書を借用したいと申し出てその件を寄り合いに出したらしい。1日半経って返事が来ないため、直接寄り合いの場所に出向き状況を伺った時の記述である。
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「いってみると会場の中には板間に20人ほどすわっており、外の樹の下に3人とか5人かたまってうずくまったまま話し合っている。雑談をしているように見えたがそうではない。事情を聞いてみると村で取り決めを行う場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめは一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話し合って区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかなければ、また自分のグループへもどってはなしあう。用事のある者は家にかえることもある。ただ、区長・総代は聞き役、まとめ役としてそこにいなければならない。とにかくこうして二日も協議がつづけられている。この人たちにとっては夜も昼もない。ゆうべ暁方近くまではなしあっていたそうであるが、眠たくなり、いうことがなくなればかえってもいいのである。」
「私はこの寄り合いの情景が眼の底にしみついた。この寄り合い方式は近頃始まったものではない。村の申し合わせ記帳の古いものは二百年近い前のものもある。それはのこっているものだけだけどもそれ以前から寄り合いはあったはずである。70をこした老人の話ではその老人の子供の頃もやはりいまと同じようになされていたという。
ただ、違うところは昔は腹がへったら家にたべにかえるのではなく、家から誰かが弁当を持ってきたものだそうで、それを食べて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝るものもあり、おきて話して夜を明かすものもあり、結論がでるまでそれが続いたそうである。といっても三日でだいたいの難しい話もかたがついたという。
気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得がいくまで話し合った。だから結論が出ると、それはきちんと守らねばならなかった。話といっても理屈を言うのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎり関連のある事例をとりあげていくのである。話に花が咲くとはこういう事なのである。」
「論理ずくめでは収拾がつかないことも多かったと思われる。その場合はたとえ話、すなわち自分たちのあるていど体験した事にことよせて話すのが、他人にも理解してもらいやすく、話す方もはなしやすかったに違いない。そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者が決をとらせるのである。これならせまい村の中で毎日顔をつき合わせていても気まずい思いをすることはすくないであろう。と同時に寄り合いというものに権威があったことがよくわかる」
「対馬にはどの村にも帳箱があり、その中に申し合わせ覚えが入っていた。こうして村の伝承に支えられた自治が成り立っていたのである。このようにすべての人が体験や見聞を語り発現する機会を持つという事は確かに村里生活を秩序あらしめ結束をかたくするために役にたった。」
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この記述で寄り合いの様子がよくわかる。
物事を決めていく経緯も重要であるが、それをその後みんなで守っていくというところに焦点が定まっている事になるほどと気づきを得る。
今の時代、物事をいかに早く合理的に決めていくかにのみ思考が行って、それが守られ集団の血肉になっていく事は捨象されているようだ。
今は昔のように無限に時間はないのかもしれないが、物事を決めていく際の合議とはこの寄り合いの全員一致を意味している。全員一致しなければ決められた事は守られず、また決めなおさなければならない。何より秩序が保たれない。寄り合いに学ぶ粘り強い摺り合わせこそ合議の生命である。
投稿者 tanog : 2020年11月05日 TweetList
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