諏訪と縄文第2話~出雲族とは何か? |
メイン
2016年10月20日
日本人は元来“陽気”な人々だった
電車の中向かいに座っている人々の顔を見ると、みんな疲れている、なんだか心が暗そう。
逆に旅行客の西洋人は快活に話している。対照的。日本人は暗いのだろうか?
確かに、経済も社会も、会社も学校も決して楽しいとは言えません。
しかし、日本人とは元来、陽気な民族なのです。今から150年前その姿は全く逆でした。
楽しく生きるとは何か?
”「陽気」(万物が今まさに生まれ出で、活動しようとする気)をもって、自分の心を支配できる人物”
無能 唱元著 「小さなサトリ ミニ・エンライトメントが人生を変える」から抜粋。
江戸時代の庶民を時の外交官が驚きを持って綴った文章があります。
るいネット外国から見た江戸時代以前の日本の姿1~「逝きし世の面影」 渡辺京二著より引用~
■第二章 陽気な人びと ―――――――――――――――――
●ボーヴォワル
この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。
●ルドルフ・リンダウ(スイス通商調査団の団長)
日本人ほど愉快に成りやすい人種はほとんどあるまい。良いにせよ、悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。
●A・ベルク(オイレンブルク使節団報告書の著者)
彼らは、話し合うときには冗談と笑いが興を添える。日本人は生まれつきそういう気質があるのである。
●リンダウ
いつも農婦達の素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持ってきてくれるのであった。
私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。・・・最も大胆な者は私の服の生地を素手で触り、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出して行くこともあった。
いくつかの金属製のボタンを与えると・・・『大変有難う』と、皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして跪いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、まったく驚いた次第である。
私が遠ざかっていくと、道の外れまで見送ってくれて、ほとんど見えなくなってもまだ、
『さようなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、あの友情の籠もった声が聞こえるのであった。
●ジョン・R・ブラック(『ヤング・ジャパン』著者)
彼らの無邪気、素直な親切、むき出しだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持ちよくした。
一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。
さらに、通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった。
「陽気」を大辞泉で見てみます。
よう‐き【陽気】
[名・形動]1 気候。時候。「春らしい―になる」2 万物生成の根本となる二気の一。万物が今まさに生まれ出て、活動しようとする気。陽の気。⇔陰気。3 気分。雰囲気などがはればれしていること。にぎやかで明 るいこと。また、そのさま。
この万物が今まさに生まれ出で、活動しようとする気を持って、自らの心を支配するということは、途轍もなく大きな天地の力をお借りして人生を切り開いて行くということなのだろうか?
~「忠さんの徒然草」より紹介
日本人は自然の力、人と人の共認充足の力を得て、心で触れあい、感謝する事で自然と明るく陽気に生きる術や、活力を得ていたのだと思います。毎日人と会い、まっさらな気分で挨拶をし、心を通わす。他愛もないそうした事が子供も大人も女も男も大切にし、きっと生命力=陽気さを作り上げてきたのでしょう。
自然が豊かで、共同体が温存されていた江戸時代の日本人の楽しく生きる力は、これから私たちが様々な新しい外圧の中で難解な課題に取り組み社会を作り上げていく上で持っておきたい心のありようだと思います。
ずっと繋がりたい~江戸時代の子供達のこんな仕草が心に響いてきます。
>私が遠ざかっていくと、道の外れまで見送ってくれて、ほとんど見えなくなってもまだ、
『さようなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、あの友情の籠もった声が聞こえるのであった。
投稿者 tanog : 2016年10月20日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2016/10/3153.html/trackback
コメント
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2016年11月3日 06:07
日本國の船出の書
古事記と日本書紀。この中に「やさしさ」と「倹約」がある。そして万葉集へ続き
このことが、唐國からの侵略を逃れた。次に風土記へと続いた。
何もない時代、大変な事。まず「紙」をすき「筆」と「墨」「閉じ紐」をつくる。
やさしさの中に倹約がしのんでいた。
①鬼(おお) ――→ 大(おお)
素盞鳴 ――→ 須佐之男
②出雲勢(力) ――→ 八十神
鬼刀禰 ――→ 八咫烏
鬼刀禰之國 ――→ 根之國
①は今ならひらがな・カタカナだけど確立されてないので漢字で「読み方」を教えると共に「字画数」を減らし墨の節約をしている。
②は時(書く速度を上げる)と墨の倹約。
①の「鬼(おお)」は書の主役でありながら、「人」ヒトの「一」ハジメ ――→「大(おお)」
に変えられた。
②の記載・書は今なら誹謗中傷。
「神」の意味のひとつ
アマテラス・・・「神」。
ここでは、個人ではなく団体。おそらく個人であれば「尊(みこと)」がついてくる。
「神」とは、なかよし「倶楽部」や なかよし「会」。
筆者の考えではアマテラス・・・「神」は総勢14名。不比等,行基,人麻呂,鬼刀禰族の11名{長(をさ)と家来(けらい)}。
「鬼(おお)」―→「大(おお」。古事記,日本書紀,万葉集,出雲風土記で使われている。
例 出雲風土記で出雲大川。出雲鬼川。川の両岸に「たたら製鉄」の民が住む。
なおかつ彼らは「ひらがな」「カタカナ」をつくった。
墨の倹約。「鬼」―→「大」。ひらがな「おお」―→「おに」(おが二こ)。
もっと墨の倹約。「ひらがな」―→「カタカナ」、「おに」―→「オニ」。
③「おかみ」{「雨」カンムリに「龍」}の文字。
ほんとうは「人」の「二」バンで「天」としたかったのであろうが、縦長文字をわけて墨を倹約している。「雨」―→「天」。「お・あめ」―→「てん」、「テン」。
「龍」―→「神」。「りゅう・かみ」―→「かみ」、「カミ」。
「龍」の読み「りゅう」―→「たつ」、「ひらがな」―→「カタカナ」、「たつ」―→「タツ」。
投稿者 chikara : 2016年11月23日 15:06
こども向けの古事記を読んだ時に『おおらかさ』を感じたな。
投稿者 ナノ : 2019年10月24日 11:35
そうですね。日本人はよく笑います。民族性でしょうね。