出雲の鉄を支配したスサノオ |
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2016年06月30日
新説「日本史」第1回 呉越人時代
日本国には明確な異国征服の歴史がなく今日まで連綿と縄文、弥生由来の歴史が継続している。海で隔てられ大国中国の圧力を果敢にあるいは奇跡的に乗り越えてきた歴史であった。しかし、日本史をつぶさに見れば渡来民が稲作を伝え、戦争を伝え、私権社会のしくみを伝えてきた数々の段階が有った。
時々の支配者は日本に定着し、土着人を取り込むことで勢力を伸ばしていく手法は変わらず、時に武力で、時に神話や物語を使った神話的手法で巻き込んでいく。弥生時代以降の日本史を支配の歴史と捉えれば大きく8つのステージに分かれることがるいネットで提起された。
新説「日本史」~前半
新説「日本史」~後半
当ブログでは今後8回に渡りこれらの時代の記事を一時代ずつ特集していきます。
るいネット投稿と関連する地図や資料によってその時代の空気、その支配者の支配構造を表していければと思います。
■呉越人時代(前500年~前210年) 300年間
前500頃年に呉越戦争の敗者 呉人が日本列島に渡来。北九州に着き、水田稲作を開始する。呉人は土着民である縄文人と混血しムラを作るが、ムラ同志は縄張り争いを起こし、日本で最初の戦争が始まる。負けた集団は追われ、中国地方へと流れる。広島や吉備にも呉人集落が登場する。越人が渡来したのは同じく戦争で楚に破れ、大陸を終われて日本に渡来。呉人が住み着く九州を回避し、日本海側(出雲、北陸)を縄張りとした。
■徐福ネットワーク時代(前210年~200年)400年間
■葛城・物部時代(200年~450年)250年間
■葛城・高句麗時代(450年~550年)100年間
■蘇我(秦)時代 (550年~645年)100年間
■藤原(秦)時代 (645年~900年) 250年間
■武士時代(900年~1860年) 960年間
■藤原時代再来(1860年~現在) 150年間
まずは春秋戦国時代の呉越の場所です。
戦国の七雄には入っておらず両国とも戦国時代には追われた国であった。
呉越は長江下流域に位置し、長江文明の後継者が移動した。呉越とも公開技術に富む漁労民であった。
~江南の民は、水田という軛(くびき)によって被統治能力を高められていった民だった
呉人の渡来経路~海を伝って北九州に渡来した。わが国に最初に来た渡来人集団が高い船舶技術を持った海洋民であった事が伺える。後にその海の民は海浜沿いに舟で移動し、日本全国に稲作を広げていく。
呉人が作ったと思われる吉野ヶ里遺跡~2重の環濠が敷かれ明らかに戦争の様相がある。わが国の戦争は呉人によってもたらされた。
~北九州に呉人が持ち込んだ力の原理
越人の渡来 ~文字には2300年前~2000年前にかけて渡来
出雲、北陸、新潟に集中している。先行して列島に渡来した呉人とは明らかに棲み分けが成されていた。一説には呉人が越人の列島渡来を誘引したとも言われているが、越人が先行して定着していた呉人の縄張りを避けた可能性が高い。
~弥生人は呉越人との混血によって形成された②
呉人は九州に渡来後、瀬戸内海を経由して近畿まで至る
高地性集落の分布。移動した部落は警戒心が非常に高かった
広島の地名「呉」は呉人の名残である
~高地性集落の分布
投稿者 tanog : 2016年06月30日 TweetList
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コメント
投稿者 丁海暎 : 2016年7月19日 10:11
Fantastic. 素晴らしです。私の疑問が 全部 解けます。 ありがとうございます。