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2010年05月11日
「縄文体質を切開する」7~総集編
このシリーズもいよいよ最終回になります。
「縄文体質を切開する」というかなり大上段から構えてみましたが、いかがでしたでしょうか?
縄文時代の外圧、生産様式、集団とは、女とは男とはを見て、さらに他地域の事例や今日にいたる日本での縄文体質を見てきました。
まずは各シリーズのポイントを早足でダイジェストさせていただきます。
応援よろしくおねがいしまーす。
1.縄文時代の外圧とは
大きく3つにまとめました
1.大陸から切り離された地理的状況が縄文人を形づくった。
2.縄文時代を貫く厳しい自然外圧が自然=人間の循環系の文明原理を育んだ。
3.縄文人は、初めて直面した同類圧力を集団規範を拡大する事で乗り越えた!
その中でも特徴的なのは同類圧力への対峙の方法。
贈与経済を延長させ、多段階のネットワーク集団を形成していった。
集団を作っていく基盤になり弥生以降の首族連合や寄り合いなど日本で形成されたその後の集団は縄文的要素がたぶんに組み込まれていく。「和をもって尊しと為す」という言葉はやはりこの縄文的集団のありようを言い表しているといえるのではないだろうか。
2.縄文時代の生産様式とは
縄文時代の生産様式を一言で言うと採取に特化した時代だった。森や水という天然資源に恵まれたという状況もあったが、同時に狩猟対象の大型動物が温暖化による森の出現で消滅したという外圧状況も関係している。
だから定住化を世界で最も先行して果たす事ができた。そこで自然の資源を最大限活用する”工夫”という生産スタイルを作り上げる。
気候の安定した縄文前期から中期を経て、寒冷化に向かう後期にはそこで培った工夫志向が開花し、製塩技術や服飾、土器製作など高度な技術を獲得していく。
一方、古くから栽培技術があった西日本地域に農耕が定着したのは寒冷化がピークとなり、半島に近接していたという気候的条件、地理的条件が大きいが、この時期に大陸で戦乱があり押し出された避難民が多く漂着したという事が生産様式を採取から農業へと転換させた要因の一つでもある。
3.縄文時代の集団とは
温暖化で集団が拡大すると血縁集団を原点とした多段階の大規模集団が形成された。しかしその最小集団は血縁で強く結ばれた母系集団であり、逆に強くなりすぎる集団の引力を緩和させる目的が総偶婚だった。血縁と総偶婚で程よい距離に集団間が統合されていた。
縄文時代の集団を語る上で婚姻革命はさけて通れない。
さらに縄文時代の最大の特徴は性を肯定視していたことである。雄雌の和合共認によって極限時代の飢えと絶滅の外圧を克服してきた人類にとって性は最大の活力の源である。生命を生み出す女性の価値が高い事は元より、女性からの期待の眼差しが男にとってやる気の源になった。その性の活力源として肯定していた縄文人は性を集団共認として高める事で男女の期待―応合の関係を作り上げていく。
↓
「肯定視観に導かれた期待・応合の圧力から溢れ出る「みんな一緒」「みんなの役にたちたい」・「喜んでくれて嬉しい」という想いこそが、縄文人の本質であり、集団全体がこのような本源規範に貫かれていたのだと思います。」~記事より
4.縄文時代の男とは?女とは?
採取生産で食糧確保が安定し定住化を果たした縄文時代は充足存在である女が新たな生産に参加する役割を見出した時代であった。同様の採取部族のタヒチの事例を見ても女達はとにかくよく働く。
女の勤勉性は縄文由来。それは女が、充足・安定存在ゆえであると考える。
充足・安定を尊ぶ縄文体質とは、すなわち女原理。弥生以降も女原理で動いてきた我々日本人にとって、女の勤勉さは肯定・感謝の対象であり同化対象である。そこを基点に、男にとっての労働=闘争も重ね合わせ働く事に価値を見出していったのが日本人であったのではないか。
一方縄文時代の男はどうか?
参考に紹介してあった投稿に以下の記述がある。
「こうして見ると縄文の男はこと生活の面では殆んど2次的な存在であったことが伺えます。しかし、集団の首長は男であり祭祀を司る役割も大半は男が仕切っていたと思われます。おそらく社会的な統合を男が担い、実質は女が切盛りしたというのが実態でしょう。」
このように男女の役割が変化していった時代であったが、大きく見れば男女の互いの肯定視をベースにそれぞれの役割を拡大していった時代であった。忘れてはいけないのが女は生産を担いながらも集団から女への最大期待であった性機能はむしろどんどん磨かれていったという点である。
5.未開部族に見る本源規範
性を肯定視するとはどのようなことだろうか?現代人にはすぐさま起きる疑問である。
しかし未開部族の事例を見ればよくわかる。
ここではトロブリアント諸島とエスキモーの事例を紹介している。
性の中心価値であるセックスの行為について、周りの目は温かく日常生活と分け隔てることなく集団の中で行われている。
その秘訣は、その交渉によって生まれた子どもをみんなで育てるという子育てのルールにあるようだ。個人や家族によって切り取られた関係がいかに性を肯定することに障害があるかがわかる。
これらの未開部族に広く等しいのが集団の安定として母系集団で構成されている点だ。財産は女達で相続され男達は集団の財産を管理する立場として請われ、役割を全うしていく。そうする中で私有という意識は押さえ込まれ、安定した集団運営がなされていく。
6.現代に受け継がれる縄文体質
縄文体質が現在まで残っている。これはなんとなくわかるのだが具体的には何を指し示すのかボヤーンとしている。ボヤーンとしているのが縄文体質といえばそれまでだが、ここでは2つの視点をもって紹介している。
ひとつめは自我の発現を押さえ込む規範。紹介していただいた事例が面白い。
「日本人と中国人の決定的な違いはどこにあるのかといえば、それは死生観にあるといってよい。死に対しての考え方や死に直面したときの態度は明らかに違う。日本人はきれいに死のうとし、中国人はいかにして死なないようにするか、という考え方に歴然と現れている。・・・・」
日本人は自我の発現がいかに集団にとってダメージが大きいかを正面から見つめている。
現代の日本人がこの事例から少し離れてきているのが気になるが、それでもいかに死ぬかという倫理に対して違和感を感じる人は少ない。
もう一つが「和魂〔にぎたま〕」と「大和心」。あらゆる外来のものを取り入れ和風に変えていく日本人の受け入れ体質にもう一方の縄文体質がある。その後の日本の発展を作っていった原動力であるが、忘れてはならないのが「和魂」の本質だ。
有事の際に誰からともなく立ち上がり、ゼロから復興する力は日本人の民族の力だろう。それをここでは「誤った観念で築き上げられたものが瓦解し、本源性が剥き出しになる状況が登場すると・・・」と条件付けている。
確かに戦後の日本、阪神大震災後の復興、これらを説明するのに日本人の持つ集団力という実力?を考慮せずにいられない。
しかし簡単な事である。自我を排除する規範を守り続けた日本人はいざという際にこの力を他のどの国よりも早く、強く発揮できる民族なのだ。
縄文体質を切開するNO1~6のダイジェストいかがでしたでしょうか? 😀
詳しくは各記事へクリックして読んでみて下さい。ついでにコメントもよろしく!
次回は最後のまとめに入ります・・・お楽しみに。
投稿者 tano : 2010年05月11日 TweetList
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コメント
投稿者 sinkawa : 2010年8月5日 19:25
婚姻形態・集団統合様式を考える時、どうしても現代的な価値観が入ってしまうところ。
さーねさんの言うようにそういったものを取っ払って考える必要があるのでしょうね。
投稿者 dai : 2010年8月5日 19:27
この間縄文の暮らしについていろいろ調べてみましたが、5~6人の単位集団の存在にかぜん興味がわいてきました。
確かに現代風にみれば家族の原点であると想定しがちですが、今のような私有意識を原点とした家族とはずいぶん違っていたでしょう。
縄文~弥生時代への移行を考えるとき、私有財産の意識の高まりがどのように大きくなっていったのか?を考えることが重要で、その分析をもって家族や集団のありかたを考えるのがよいとおもいました。
投稿者 匿名 : 2010年8月5日 19:28
縄文時代の婚姻制度が基本的に母系制のなかで、竪穴住居という形態からくる制約上、5~6人の「家族」を構成せざるを得なかったとすれば、その「家族」とはどんな構成だったのでしょうか?
平安貴族でさえ通い婚であったことを考えれば、男と女の1対が固定的に長年一緒に生活するという可能性はこの時代殆ど考えられない。
男住居と女住居とに分かれていたのか?、または男が短期間に女の住居に「居候」していたのか、想像力が要求されます。
投稿者 ryujin : 2010年8月7日 23:26
私も同じように感じました。
現在の家族形態、個を単位とした家族の起源を探しているように見えます。
集団統合の結果として生活単位がある、というのが実態ではないかと思います。