【縄文再考】まとめ①~縄文体質は今も日本人の基層をなす~ |
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2022年03月03日
【縄文再考】縄文時代と古墳時代の精神性の違い、全ては稲作から始まった?
皆さんこんにちは!
今回は縄文時代の社会構造や精神性を古墳時代と対比しながら明らかにしていきたいと思います。
弥生時代は600年、古墳時代は400年続いたことに対し、縄文時代は約1万年間と言われています。
この大きな時代の変化はどこから生まれたのでしょうか??
■縄文人と古墳人の社会構造と思想の違い~土偶と埴輪から考察~
縄文時代につくられた土偶と、古墳時代につくられた埴輪は同じ素焼きの人形でも
そこに込められた目的と役割が違います(リンク)。
―「土偶」の主な役割―
★縄文時代の遺跡から出土する素焼きの土製人形のこと。主な目的は祈願やおまじない。
安産・多産の祈り
豊穣の祈り
怪我や病気を治すおまじない
厄払い
————————————————————
―「埴輪」の主な役割―
★古墳時代に古墳の外部に並べられた素焼きの土製品のこと。主な目的は古墳埋葬者の権威の顕示。
古墳の装飾
埋葬者の生前の権威を示す
埋葬者への供え物
葬儀の様子の表現
殉死の代用
縄文時代の土偶は目の前の仲間に対する「生きることへの祈り」に対し、古墳時代の埴輪は「死者に対する権威の象徴」だったことが分かります。縄文~古墳時代にかけて身分や権威が生まれていることが明らかです。
『冨を持つもの、権威を持つもの』
この身分の違いによる社会構造はどのようにして確立しはじめたのでしょうか?
■米づくりの発展が富を産み、身分の差を生んだ
社会身分ができた理由の一つに弥生時代に普及した水田稲作が関係しているという説があります。
近年の研究では米作り自体は縄文時代から始まったとされていますが、
弥生時代には木製のくわ、鉄製のかま、石ぼうちょうなどの農機具が発達し、米の生産量が増えたとされています。
また米の生産力の向上によって社会のシステムが変化し、水田の灌漑の技術は豪族の古墳の造営と相乗効果となってさらなる技術の進歩へつながったと考えられます。
“栄資価が高くて食味に優れ、しかも生産性の高いコメは、人口支持力が大きいことから社会的剰余を生み出し、農業以外の仕事に専念する人々を抱えることが可能となって、いわゆる社会的分業を成立せしめた(リンク)”
“お米は貯えることができたため、その貯えの多さによって、貧富の差が生まれました。また、農業に必要な治水、灌漑(かんがい)などの共同作業のために村ができ、それを統率する首長があらわれました。”
“豪族たちは鉄器を活用して、灌漑用の溜め池を掘らせ、水路の整備も広範囲に行いました。そうして、川からずいぶん離れた平野や盆地にまで、田んぼが作られるようになったのです。後に豪族たちはこの土木技術を応用して、古墳を作ります。(リンク)”
稲作が社会システムの変化をもたらし、弥生時代と古墳時代に身分の差が生まれた、これは時代の継続期間の変化は身分が生まれたということも一因と言えそうです。
投稿者 hanada : 2022年03月03日 TweetList
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