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2007年06月10日

縄文の文化圏:交換物の分布から「文化圏」が見えてくる


以前「縄文時代の集団規模」と「縄文の交流は、自然恩恵への感謝・喜びの交換だった」と言う投稿で「集団の規模や生活、他集団との交流」が一定明らかになりました。
今回は交流の際の「交換物」の資料を前回と同じ「縄文文化と現代:縄文村」というサイトから抜粋、要約し紹介します。

■交換物と文化圏:交換産物とは、野うさぎなど小型動物の毛皮、漆工芸品、樹皮・繊維製品があるが、今の時代に残っているものは少ない。
またアスファルト、黒曜石、ヒスイ、コハク(八幡一郎『先史時代の交易』1938年)などは比較的残りやすい。
縄文人は陸路・海路(丸木船)これらを持参して、東北、伊豆諸島、沖縄など遠隔地とも交流していた。
(小林達夫「縄文人の世界観」『縄文人の世界』34頁以下)。
多彩な加工食品は、集落間の分業が行われていたことと、加工食品が集落間で交易されていたことを物語っている。石器の材料としての黒耀石やサヌカイトの産地は限られているが、全国各地から出土しているし、各地で出土する土器も、遠隔地で製作されたものが出土するなど、縄文時代を狩猟採集を基盤とする単純な自給自足の封鎖経済と片付けることはできない。
後段で詳細に見ていきたい。
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◆円筒土器:縄文前期~中期の遺跡か発見された土器には、極めて高い類似性が見られます。形は筒型で、口縁部は山型の突起のあるもや、ラッパ状に開いてひも状の貼り付け装飾が施されているのが特徴です。 この時期に津軽海峡の両側の地域に発達した文化は、円筒土器文化と呼ばれています。土器以外でも石器や石製品等にも両地域の共通点が多く見られ、海を渡っての交流が盛んだったことを示しています。
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◆黒曜石:縄文時代の黒曜石の産地としては信州八ヶ岳周辺や和田峠、栃木県高原山、伊豆諸島の神津島・恩馳島、山陰の隠岐島、北海道十勝、積丹半島などが知られている。
信州産黒曜石の流布圏は広くて、「碓氷峠を越えて群馬県へ、さらに、神流川筋から埼玉県児玉地方や秩父地方へ、甲府盆地から相模地方や多摩地方へと、もたらされている」(橋口尚武編『海を渡った縄文人』小学館、1999年、157頁)のである。
同黒曜石は、富山・石川県の縄文遺跡からも発掘されている(橋口編『海を渡った縄文人』219頁)。
北海道産黒曜石が青森県の平館村尻高遺跡、むつ市大湊近川遺跡などで発見され、津軽海峡をはさんだ物資交流があったことが確認される(橋口編前掲書、104頁)。
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◆ヒスイ:ヒスイの主産地は新潟県糸魚川市であり、緑色は神秘的であり、山野の色であって、魔よけ・再生の象徴、権威のシンボルなどとして、北海道南部、青森県などに運ばれていた(橋口編前掲書、120頁)。長老、呪者が、大珠で胸元を飾って、威厳の象徴としていたのであろう。
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◆コハク:コハクの産地は、岩手県久慈市(最大産地)、千葉県銚子市、北海道厚田村など20カ所余であった。青森県の12の縄文遺跡や北海道登別市川上B遺跡、八雲町栄浜1遺跡から琥珀が発掘されている。
以上のヒスイ、琥珀などは生活必需品というより、呪術、儀式に必要なものであったろうから、「首長ないし上部階層者」が買い手であったであろう(岡村編前掲書、256頁)。
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◆アスファルト:接着剤としての天然アスファルトは、新潟(黒川、新津)、山形(草津)、秋田(豊川)、北海道(釜谷)などで算出された。これを使用した石錘、モリ、石鏃などが東北各地から発掘されている(橋口編前掲書、136頁)。これは、アスファルトをめぐって、東北北海道に供給ルートが出来上がっていたことをそめしている。
 こうして、ある商品に関しては、「汎日本列島的な交易のネットワーク」が縄文中期までには成立していたのである(『縄文「ムラ」の考古学』雄山閣、2006年、240頁)。
————   以上が抜粋・要約  —————-
この地域は、時代毎に貝殻・沈線文土器文化( 早期)、円筒土器文化( 前期・中期)、十腰内式土器文化( 後期)、亀ヶ岡式土器文化( 晩期) と称される共通の文化圏を形成し、地域内あるいは地域外との盛んな人的・物的交流が行われていたことが、このような土器やアスファルト、ヒスイ、琥珀、黒曜石などの出土品から明らかになってきています。

投稿者 mukai : 2007年06月10日 List  

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コメント

縄文時代の人って
アイヌ語をしゃべっていたのですか?

投稿者 ばす : 2013年4月15日 19:00

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