古代日本外交史 ”主体的”外交への転換 |
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2010年02月20日
古代史探求の目的~当ブログの役割について(前編)
こんばんわ。管理人のタノです。
milkteaさんが当ブログに参加いただきました。
これまでこのブログで共に探求してきたメンバーはブログの主旨がよく分かっていると思いますが、改めて当ブログの探求の主旨を整理してmilkteaさん共々今後のブログ運営の視座にしていきたいと思います。
「縄文と古代文明を探求しよう!」というのは何の為に・・・ということになるのですが、一旦人類史からその理由を見ていきたいと思います。少し長くなりますがお付き合いください。
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【人類はその歴史の99パーセントが洞窟に住んでいた】
人類は500万年前に足の指が先祖帰りしたサル(真猿)の突然変異体として木から陸上に落ちてしまいました。いわゆる木に登れないサルが人類の祖先です。樹上という外敵の少ない楽園から地上に落ちた人類は外敵も含めて当然すさまじい自然外圧に晒され、何度も絶滅の危機に瀕します。陸上にいると様々な外敵から狙われるため環境が最悪である洞窟の中でしか生存できず、人類史の大半は洞窟生活をしていました。
その中でサル時代に形成された共認機能を進化させ観念機能を生み出すと、200万年前に火を発明、さまざまな道具を作り、言語機能を獲得、2万年前の弓矢の発明まで至って外敵と対抗できるようになり、ようやく洞窟から出ることができます。
【縄文時代は命綱である共認を保持してきた時代】
縄文時代とはその直後に登場した、いわば人類が洞窟という密猟生産から狩猟、採取生産へというようやく陸上に定住し自然外圧をある程度コントロールできる時代に入ってきた段階でした。
しかし、縄文時代とて常に自然外圧と隣あわせで、その寿命は30歳とも言われ、多くは若年で死んでいく厳しい時代です。
洞窟時代から人類は共認機能を拠り所に集団として生きていくしか術がなかったわけですが、縄文時代は前時代に作りあげた集団共認と自然を注視する精霊信仰、自然崇拝をベースに本源集団としての集団共認を形成し、1万年の長さに渡って激しく変動する自然外圧に翻弄されながら人口を増やしたり減らしたりして継続させてきました。
注目すべきはこの1万年間で戦争があったという形跡がほぼ皆無であるということです。先の贈与の記事でも触れましたが、集団間の距離が近づくと縄張り確保を巡って緊張圧力が生じ、争いの危機が登場します。それを回避しさらに集団間の連帯に繋げていく贈与のシステムを適用させていく事で争いを回避、互いの縄張りを維持しながら共生していったのが縄文時代でした。
繰り返しになりますが、縄文時代の特筆すべき点は人類の命綱である共認をしっかりと保持してきた事にあります。
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【5000年前の私権社会の登場】
一方、縄文時代中期の同じ時代に世界を見渡すと5000年前に世界的な寒冷化に伴い中東のメソポタミア地域で遊牧民であるシュメール人が土地と食料を争い世界初の戦争を勃発させます。この戦争の発生はそれまでの人類史を大きく転換させます。
人類はあらゆる外圧に対して集団共認を作り出す事でその突破口を切り開いてきました。しかし共認は同時に自我も生み出します。
外圧が強い時代は自我も集団の共認に封印され決して自我が集団を超えることはなかったのですが、自然外圧をある程度克服し、集団の共認が緩むと自我の問題が顕在化してきます。さらに遊牧という生産形態がそれを後押ししました。家族単位の集団で生産できるようになった遊牧という形式は人類集団のそれまでの基本形であった母系制から父系制に転換し、財産や女の所有をめぐって集団自我が芽生えるようになります。
自分の集団さえよければそれでよいという集団自我が発生し、他集団を警戒、否定するようになると戦争へと向かっていきます。いざ戦争が始まると、玉突きで拡大していき、その流れは止められません。古代の中東から西洋社会はそうやって長い戦争の期間を経て形成されていきます。
戦争で勝った集団は敗北した集団を従え、序列を形成します。そうやって勝抜き戦をくりひろげ頂点に立った集団が作り上げたのが最初の王国です。エジプト、メソポタミアで都市国家が形成されたのがこの5000年前のこの時期です。頂点に立った国王は大衆をその後も従属させていかなければならず、そこで考え付いたのが私権(私有権と女の占有権を認める)という新しいルールです。それまでは集団のトップ(ボス)でなければ女は与えられなかったのが私有婚を制度化することで末端の兵士にも女が行き渡るようになります。
こうして私有権を成員が認め、同時に国王の巨大な私有も武力を背景に認めざるを得ないようになった私権社会が成立していくのです。もちろんその段階になると兵士も農民も国王の所有物になり、初代国家とは国王の私有物そのものだったのです。
私権社会とはこうして集団がバラバラに解体された上に個々を束ねる社会として出来上がったものなのです。
次稿に続く・・・。
投稿者 tano : 2010年02月20日 TweetList
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コメント
投稿者 うらら : 2010年5月6日 12:29
>わたしも、これからの後半生、アリャコリャジタバタせずに、ジックリとっくり構えて世の中のあれこれを考えていこう
家康の意味、価値というのは社会は人々の意識が幾重にも塗り重ねられて出来ているものだという社会空間というものを超越存在としてみる視点を持っていたということではないかと思います。
PS.確かに、家康の価値がわかるようになるには、年輪というものが必要なのかもしれませんな。まあ、それでもお互い、ジタバタしてしまう性格だと推察いたしますが。それもふくめて「あるがままに」ですかな。
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年5月7日 10:40
江戸時代になると、様相は一変する。徳川幕府は金銀銅すべてを公鋳し、十七世紀末までに、輸入銭を日本国内からほぼ完全に駆逐したのである。それは日本経済史上の画期的な出来事である。
のは、輸入銭(特に中国製)の純度が非常に悪く、価値を計れなかったようす。国内で幕府が統合し、純度の高い統一された価値を持つ貨幣が必要だったと思われます。また、純度を低くして銀貨と偽るものもいて、貨幣を統合する機運が高まったといえます。
また、当時、世界は、銀貨の取引が主流。日本はそれに先立ち、金貨を鋳造していたことには驚き。純度の高い銀貨は非常に世界からも注目されたであろうことや容易に想像が付く。
この貨幣鋳造の担い手が、断絶はあるものの、三井家や住友家の財閥につながって行くようである。
投稿者 kon : 2010年5月8日 19:28
>輸入銭(特に中国製)の純度が非常に悪く、価値を計れなかったようす。国内で幕府が統合し、純度の高い統一された価値を持つ貨幣が必要だったと思われます。また、純度を低くして銀貨と偽るものもいて、貨幣を統合する機運が高まったといえます。
なるほど。400年前にも、偽装問題があったということですね~。日本人はやはり質で勝負ですね。
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年5月9日 00:45
怒るでしかし~さん
徳川家康が日本史上で偉大な人物であることに賛同します。「もしも家康がいなかったなら、日本はなかった」とさえ云えるでしょう。
よく練ったレポート、説得力あります。高塚タツは9世紀でストップしたまま、インターネットも解約しようかと思っとるので、縄文ブログの皆様のご発展は眩しいばかりです。
で、負け犬の遠吠えを一言。
鉱物資源管理と金融。こやつらが家康以降の日本システムの核心にあるのは現実とはいえ、こやつらが原日本の縄文思想の後継者であるかのように、なりすましとるから、近代日本の深刻な傷を治療できないのです。
鉱物資源管理と金融は、砂漠から生まれた思想です。森と海に育まれた縄文思想は、鉱物資源管理と金融の対極にある、柔らかな生命への尊厳ではないのですか?
縄文ブログの皆々様、だまされないよう、ご注意ください。
投稿者 タツ : 2010年5月11日 19:02
>鉱物資源管理と金融は、砂漠から生まれた思想です。森と海に育まれた縄文思想は、鉱物資源管理と金融の対極にある、柔らかな生命への尊厳ではないのですか?
指摘の通りだと思います。しかしながら、鉱物資源と金融システムなしにいきていけなくなったのも事実である以上、敵視するだけでは突破口は開けないでしょう。こやつらをどう管理下に組み込むか。その先駆者こそが家康だというのが私なりの考察結果です。最終落着点を縄文におくとしても、まずは家康の地平までには巻き戻さないと。歴史が塗り重ねであるならば、段階的なかわむきが必要ではないかと思います。
いずれにせよ、タツさんの指摘は本質的問題でもあり、今後ともずばずばとお願いします。
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年5月12日 01:41
タツさ~ん
>インターネットも解約しようかと思っとるので
なんておっしゃらないで、ぜひぜひ、今後ともいっしょに歴史探索をしていきましょう!
わたしは、高校では日本史はとらず世界史を選択し、その後もず~っとローマ帝国一辺倒だったのですが、このブログで初めて日本史にトライ。ここにきて、あらためて、向こうの世界を紐解いてみたいな~、と思い始めています。
温故知新。
昔のひとはウマいことを言うな~、と思っています。
投稿者 うらら : 2010年5月12日 17:04
うららさ~ん
ありがとうございます。
じつは、わたしも、高校で日本史を取らなかった子です。
インターネットは、料金のいちばん安いのを使っているから、パソコンが壊れんかぎり、とりあえず解約はしないことにします。
投稿者 タツ : 2010年5月13日 11:56
今回の結末、スゴイおもしろかったです~。
ときたま「?」と思う論点に飛躍することの多い怒るでしかし~さんにしてアッパレ。家康の功績というのは侮り難いものがありますね。
まず、中世まで日本は中国経済圏にとりこまれていたに過ぎないということ、しかし、わずか30年で独立経済圏を築き、最終的にはマネー輸出国にまで変貌させたということ、そしてそれを家康はすべて見通していたということ。
脱帽です。
わたしも、これからの後半生、アリャコリャジタバタせずに、ジックリとっくり構えて世の中のあれこれを考えていこう、と思いました。