- 縄文と古代文明を探求しよう! - http://web.joumon.jp.net/blog -

古代史探求の目的~当ブログの役割について(前編)

こんばんわ。管理人のタノです。
milkteaさんが当ブログに参加いただきました。
これまでこのブログで共に探求してきたメンバーはブログの主旨がよく分かっていると思いますが、改めて当ブログの探求の主旨を整理してmilkteaさん共々今後のブログ運営の視座にしていきたいと思います。
「縄文と古代文明を探求しよう!」というのは何の為に・・・ということになるのですが、一旦人類史からその理由を見ていきたいと思います。少し長くなりますがお付き合いください。
応援お願いします。
ポチッと押して続きを読んでください!


【人類はその歴史の99パーセントが洞窟に住んでいた】
人類は500万年前に足の指が先祖帰りしたサル(真猿)の突然変異体として木から陸上に落ちてしまいました。いわゆる木に登れないサルが人類の祖先です。樹上という外敵の少ない楽園から地上に落ちた人類は外敵も含めて当然すさまじい自然外圧に晒され、何度も絶滅の危機に瀕します。陸上にいると様々な外敵から狙われるため環境が最悪である洞窟の中でしか生存できず、人類史の大半は洞窟生活をしていました。
その中でサル時代に形成された共認機能を進化させ観念機能を生み出すと、200万年前に火を発明、さまざまな道具を作り、言語機能を獲得、2万年前の弓矢の発明まで至って外敵と対抗できるようになり、ようやく洞窟から出ることができます。
【縄文時代は命綱である共認を保持してきた時代】
縄文時代とはその直後に登場した、いわば人類が洞窟という密猟生産から狩猟、採取生産へというようやく陸上に定住し自然外圧をある程度コントロールできる時代に入ってきた段階でした。
しかし、縄文時代とて常に自然外圧と隣あわせで、その寿命は30歳とも言われ、多くは若年で死んでいく厳しい時代です。
洞窟時代から人類は共認機能を拠り所に集団として生きていくしか術がなかったわけですが、縄文時代は前時代に作りあげた集団共認と自然を注視する精霊信仰、自然崇拝をベースに本源集団としての集団共認を形成し、1万年の長さに渡って激しく変動する自然外圧に翻弄されながら人口を増やしたり減らしたりして継続させてきました。
注目すべきはこの1万年間で戦争があったという形跡がほぼ皆無であるということです。先の贈与の記事でも触れましたが、集団間の距離が近づくと縄張り確保を巡って緊張圧力が生じ、争いの危機が登場します。それを回避しさらに集団間の連帯に繋げていく贈与のシステムを適用させていく事で争いを回避、互いの縄張りを維持しながら共生していったのが縄文時代でした。
繰り返しになりますが、縄文時代の特筆すべき点は人類の命綱である共認をしっかりと保持してきた事にあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【5000年前の私権社会の登場】
一方、縄文時代中期の同じ時代に世界を見渡すと5000年前に世界的な寒冷化に伴い中東のメソポタミア地域で遊牧民であるシュメール人が土地と食料を争い世界初の戦争を勃発させます。この戦争の発生はそれまでの人類史を大きく転換させます。
人類はあらゆる外圧に対して集団共認を作り出す事でその突破口を切り開いてきました。しかし共認は同時に自我も生み出します。
外圧が強い時代は自我も集団の共認に封印され決して自我が集団を超えることはなかったのですが、自然外圧をある程度克服し、集団の共認が緩むと自我の問題が顕在化してきます。さらに遊牧という生産形態がそれを後押ししました。家族単位の集団で生産できるようになった遊牧という形式は人類集団のそれまでの基本形であった母系制から父系制に転換し、財産や女の所有をめぐって集団自我が芽生えるようになります。
自分の集団さえよければそれでよいという集団自我が発生し、他集団を警戒、否定するようになると戦争へと向かっていきます。いざ戦争が始まると、玉突きで拡大していき、その流れは止められません。古代の中東から西洋社会はそうやって長い戦争の期間を経て形成されていきます。
戦争で勝った集団は敗北した集団を従え、序列を形成します。そうやって勝抜き戦をくりひろげ頂点に立った集団が作り上げたのが最初の王国です。エジプト、メソポタミアで都市国家が形成されたのがこの5000年前のこの時期です。頂点に立った国王は大衆をその後も従属させていかなければならず、そこで考え付いたのが私権(私有権と女の占有権を認める)という新しいルールです。それまでは集団のトップ(ボス)でなければ女は与えられなかったのが私有婚を制度化することで末端の兵士にも女が行き渡るようになります。
こうして私有権を成員が認め、同時に国王の巨大な私有も武力を背景に認めざるを得ないようになった私権社会が成立していくのです。もちろんその段階になると兵士も農民も国王の所有物になり、初代国家とは国王の私有物そのものだったのです。
私権社会とはこうして集団がバラバラに解体された上に個々を束ねる社会として出来上がったものなのです。
次稿に続く・・・。
 

[1] [2] [3]