花郎集会と修験の発生にみる共同体の解体過程 |
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2008年12月15日
抜歯は、縄文晩期の婚姻形態が変わった証?
以前、このブログでも抜歯を調べたことがあったが、いまいちの意味を掴みかね、かなり呪術的に捉えていました。文化人類学によれば
自己の個別性を捨て、神的な個別性を帯びて再生することに本来の意義があり、自己の身体の内部に強烈な自覚を刻みこみつつ、質的な転換をはかって社会集団に加入する儀式とされる。
(新視点 日本の歴史 第一巻 原始編 新人物往来社 より)
抜歯の状況はこのような感じだろうか↓
大人になるための儀式
僕らの感覚からすると、あまりに不可逆的 🙁 でなぜそこまでするのか?と感じてしまいます。
しかも、どうやら婚姻も絡んでいるという説もあり…
なんで抜歯をする必要があったか?ここを考えてみたいと思います。
byさーね
応援よろしくお願いします
今日は、「新視点 日本の歴史 第一巻 原始編 新人物往来社」の著書を参考にしました。
縄文時代の抜歯風習と仮説。婚姻に関係あるという説です。
健康な歯をなんらかの理由で抜いてしまう抜歯風習の定着は、およそ四千年前の縄文中期末にさかのぼる。縄文晩期の東海地方から中国地方は、抜歯率が100%に近いばかりでなく、さまざまな種類の抜歯形態がみられる。
様々な抜歯形態、個人の抜歯が一回で終わらない…と多様性が見られる中で、春成秀爾は以下のようにその意味を示した。
つまり、抜歯の最大の意義は婚姻に際しての出自を識別することにあったと理解し、縄文時代の社会は血縁関係の有無によって二分されていたと説くのである。二系列とも上顎の犬歯は抜いており、その抜歯年齢の下限は十数歳であるから、これがいわば成人式の通過儀礼を示すもので、さらに配偶者や親族が死亡したときの服喪抜歯などを経たために二系列を基軸に、多様な抜歯形態が展開しているとした。
このことはつまり、一定の社会組織に属する個人であれば、だれもが人生のうえで生じるであろう過程を、そのたびに特有に不可逆的な身体加工を受けながら歩んでいったことを示している。
興味深い仮説だと思いました。
この抜歯が急速に増加した晩期は、ちょうど気候が急速に下降した時期とピタリ一致します。集団統合をより強化することが一つ。
さらに、婚姻に際してなぜか出自を識別する必要があった。まず、一つ考えられるのは、母系から父系へと婚姻形態に転換し始めた。この時期、中国地方などは大陸から渡来人が来た可能性は充分あります。
もう一方では、中~後期当りは気温もまだ温暖で、比較的外圧に対応できていた。そこから、急に寒くなり始め集団統合が乱れそうになった=婚姻形態も乱れそうになった。だから、抜歯を通過儀礼とした厳しい婚姻形態をとった?
かなり推論が入ってますが、皆さんはどう考えられるでしょうか?コメントをぜひお願いします!
投稿者 sawatan : 2008年12月15日 TweetList
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