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2007年04月10日

縄文人は死者を恐れたってホント!?

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画像出典: IPA「教育用画像素材集サイト」三内丸山遺跡(縄文時代) ⇒ お墓(子供の墓) ⇒ 子供の墓
【子供の墓】 子供の墓は大人の墓に比べて、その量は圧倒的に多い。子供の墓に埋葬されたのは主に乳児だと考えられる。また、埋葬時の儀礼であったのか、土器の中に、握りこぶし大の丸い石が1~2個含まれているものもある。(写真提供:青森県教育庁文化課)
本日は縄文人は死者に対してどんな風に思っていたのかについてです
お墓の歴史より

遺跡発掘調査等によると、古代の集落では死者の埋葬地=墓地は集落の一部、あるいはその隣接地が当てられていた事がわかってきた。当初は集落の中央付近に埋葬され、時と共に周辺へと移っていったものと考えられている。

ふむふむ

遺体は埋葬の際に手足を折り曲げて、しゃがんだ姿勢で埋葬する『屈葬』が殆どで、時には胸部から腹部にかけて大きな石を乗せた『抱石葬』で葬られていることもある。遺体を丸く小さく埋葬する事は、小さな穴を掘るための人々の智慧だったのであろう。また、石を抱く形は人が休んでいる時の姿勢、母の胎内にいた時の胎児の姿勢、或いは死者を恐れ死者の霊を恐れた古代の人々が、死者を拘束するためにとった形だとも言われている。古代の人々がいかに死者を恐れていたかという事は、遺体を強く縛り付けたり石を抱かせる等の他に、埋葬した後平らな石を足元から首の辺りまで敷き詰めていたという例、歩き出さないように足の骨だけを拭き取ったという例からも覗うことができる。

んん~、墓地を集落の一部として捉えていたってことは、恐れていたというのとはちょっとちがうのでは・・・?
石を抱かせる埋葬の仕方をしていた理由として、「生き返らないようにしていた」
ということのようですが、「恐れる」ってなんか現代人ぽくて違和感おおありなんですよね~。
死者を恐れていたのだったら住んでいる場所と墓地は別々にしますよね、フツー。

むむー 🙄 と調べ物をしていたらるいネット になるほど~ という投稿が・・・
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子供の墓と大人の墓  より

梅原猛氏は、子供が死亡した場合、あの世から祖先の霊が帰ってきたにもかかわらず、この世の生活を堪能できずあの世に送り帰すのは不憫である、あるいは祖先の霊に申し訳ないから、できるだけ早く再び母親の胎内に帰ってきて、新たな生命として復活するようにとの論理が働いて住居の近くに埋める、と解釈されています。この場合、瓶は母胎、すなわち子宮のイメージであり、家の前に埋葬するのはその子宮をよく踏むということ、すなわちセックスのイメージとのこと。
 これに対して、大人の死の場合は、魂は古い肉体を離れてあの世に行ったと考え、せっかくあの世に行ったのに、また魂が古い肉体に帰ってくると困るから、屈葬にして手足を折って石を載せて、二度と同じ肉体に帰ってこないようにする、と解釈されています。

死者にたいする恐怖というよりも、「せっかくあの世にいったのにまた古い肉体に帰ってくると困る」・・・ 『抱石葬』の必要性はこっちのほうが説得力があるような気がします。
なるほど~!と思った私ですが、他にも超スッキリ!!っていういろんな説が他にもあるかもですね
いろんな説を募集中です~

投稿者 bunchan : 2007年04月10日 List  

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