「私権文明を問い直す」シリーズ4~東洋と西洋 |
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2010年02月20日
「贈与」に何を学ぶべきか!~5.ポトラッチの実態
😀 くまなです
原始時代の物の長距離移動は贈与なのか交易なのか?その議論をする上で重要な事例があります。「ポトラッチ」です。
これは集団間の贈与の風習で、近代まで続いていました。今回は、そのような風習から、原始時代の物の移動の本質について紐解いくため、まずその風習について紹介します。
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ポトラッチの実態(るいネット)より
「ポトラッチ」というのは、アメリカ北西太平洋岸インディアンのチヌーク族の言葉で「与える」という意味ですが、地域により実態は異なります。平原インディアンも、貧しい人々を助けるために祭りを催し、特別な踊りを踊ったりしましたが、返礼を求めることはありませんでした。それに対して北西太平洋岸のインディアンは、大げさな宴会をひらいて高価な品物を配りました。その理由は、友情を確かめ合うというものから、他人に見縊られない様に、自分の富を見せつけるというものまで、様々でした。
このポトラッチの主催者は、集まった有力者たちに豪華な贈り物をすることになっていました。遠くの村々から何百人という人びとが、ポトラッチに出席するために、カヌーをこいでやってきました。どのポトラッチも大変な騒ぎで、客に山ほどの食べもの、目用品、装飾品などが贈られました。ヒマラヤスギの皮から作った強力な糸で織ったブランケット、沢山の飾りをつけた篭、毛皮、服などが多数用意されました。貴重な魚油を燃やして、主催者の豊かさをひけらかそうとすることもよくあったそうです。すさまじいのは、自分の「財産」の多さを客に見せつけるために、「奴隷殺し」という特別な棒で奴隷をなぐり殺すこともあったことです。なかでも、最大の贅沢と考えられていたのは、銅板をこわしたり海にすてたりすることでした。自然銅に彫刻をほどこしたこの板は、ひとりの女が何カ月もかかってやっと1枚織りあげるブランケット4000枚以上の値打ちのあるものでした。
ブランケット 銅板
贈りものは、もらう側の必要度ではなくて階級によって決められ、階級が上の者ほど、多くの贅沢品をもらっていました。しかし、もらった者は、それを自分の部族と分け合う事になっていたし、後日、招いてくれた人を招きかえして、自分がもらった以上のお返しをしなければならなかったのです。もし返礼のポトラッチで、贈り物が貧弱だったりご馳走が少なかったりすると、その主催者の地位はゆらぎ、「面子を失う」ことになります。それとは逆に、はじめに招いた側の評判は跳ね上がったのです。この「相手より1歩先に出ること」は、時には大変な規模になって、家族や部族全体までもが破減に追いこまれることもありました。しかし、大抵の場合は、杜会的な抑制が働いて、ポトラッチが手に負えないほどエスカレートするのを防いだようです。この制度は、複雑で高度な一種の交換経済で、これによって、物が創られたり循環したりしていたのだ、という説もあります。
マルセル・モースの観察によれば、ポトラッチは、理論上、外見上は「任意に」行われるものの、事実上、実際上は「義務的に」行われるものであり、「不履行」は「闘争」を引き起こすことさえある、というのです。どうやら、お二人の以下の見解が同時に成立しているようです。
>おそらく現代的な感覚で彼らの価値を曲折して解説された感があります(田野さん)
>近年に観察される未開部族も多かれ少なかれ私権意識に感化されており儀式も形式化している可能性はあります(橋口さん)
つまり、観察者も色眼鏡をかけているが、その対象者もまた、本来の精神的要因を変質させてきている、ということです。ここでは、残存する本来の部分のエッセンスを抽出し、それが縄文人の精神性とどこまで一致するのか、しないのか、をさらに検証していけばよいのではないでしょうか。
ポトラッチの風習は近世・近代のもので、古代の贈与にそのまま適用はできません。しかし、注目されるのは、富の蓄積を善しとする私権時代にあって過剰ともいえる贈与をやり続けるという風習であり、それによって部族が存続してきた=統合されてきたという事実でしょう。
そこには、単位集団間の評価序列による統合原理が見出せます。さらにその原理は小規模部族の並立という状況においては、部族間の統合=贈与による緊張緩和にも適用できたのではないかと考えられます。
投稿者 kumana : 2010年02月20日 TweetList
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コメント
投稿者 くまな : 2010年5月10日 16:31
ユダヤ教やキリスト教に登場する概念に、最後の審判、天国と地獄、神との契約(信じるものが救われる)、終末と神(救世主)による救済などがあります。それらの概念はそれより古いゾロアスター教や原始ミトラ信仰に見られます。
宗教には創始者(たち)がいますが、それは彼らが深い思考の末に一から創造したものではありません。脈々と伝承された既成の思想体系があり、これを修正(肯定あるいは否定)して、自分たちの置かれた状況に適応させていったのだろうと想像できます。