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2008年01月29日
ストーンサークルは「生きるために死がある」を体現した祭り場
ストーンサークルは、 「縄文の超集団統合は、北方民族から取り入れられた手法か?」でも紹介しましたが、約3,500~4,000年前、東北から北海道にかけて急速に広まった巨大な構造物である。
また、この時代は温暖化がピークを過ぎ、急速に寒冷化した時代であり、何故これほど大掛かりな構築物をつくる必要があったのか?
縄文の大集落、三内丸山遺跡は、ちょうどこのストーンサークルが登場する前である。このような大集落は縄文中期に姿を消し、その後は小規模な集落が増えてくる。
その原因は、気候の寒冷化による食糧の減少か?謎はまだまだ多いが、
哲学者である梅原 猛氏は以下のように述べている。
>分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。
これはいったいどういうことか?何故、そういうことが言えるのか?
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先ず、ストーンサークルを構成している石の形、並び方を見ると
細長い石を横に放射状に並べ、その真ん中に直立する細長い石を置いている。確かに、これは男女の性器の結合の姿に似ている。
また、ストーンサークルの周辺の土は、非常に固くなっており、多くの研究者によれば、これは何度も何度も踏み固められた跡だと言われている。中央にはかがり火を焚いたような跡もある。
さらに、ストーンサークルの周囲には、たくさんの柱穴状ピットが発見されており、それらは同じ大きさや深さで、その穴を結ぶと六角形や四角形の柱配置の建物になることがわかっている。これらの建物跡は、炉が伴わず生活に使われた遺物等もみつからないことから、住居ではない。
これは恐らく、踊りを踊った跡に違いない、つまり、 「まつり」の儀式のために使われたもの と考えられる。
一方、ストーンサークルの下が墓になっている場合がある。その墓に手足の折りたたまれた屈葬の死体が入っていて、その死体の頭の所に、底に穴が開いた甕を逆さに置かれている。
これについては、くまなさんが「縄文人の死生観~埋葬のしかたの意味~」で述べられてるように縄文人の 「再生への願い」であると考えらる。
これらのことを梅原 猛氏は以下のように述べている。
>縄文時代の遺跡にはセックスを象徴しているものが沢山あるが、ストーンサークルは、まさに男性器と女性器が結合している状態を表している。即ち生産を表しているのではないかと思う。死という行為で、一旦あの世へ行った魂が再びセックスによって、子供を作って、この世に生まれ代わってくるようにいう、死と生の象徴、死という事実の中で、やはり再生を願う縄文人たちの心が、ストーンサークルになったのだと思う。
縄文のストーンサークルは正に、
>全ての生命(オスメスに分化した生物)は、必ず死を迎える。それは、生物史的に見て「種の存続・進化」のために他ならない。個体が何年も何百年も生き延びるのではなく、個体が滅んで世代を重ねることによって、生物は進化してきた。つまり「種=全体」こそが原点 「みんな(自分)の「生」のために、みんな(自分)の「死」はある。」
を自ら体現する場であったのではないでしょうか?
写真は「ブナ林と古代史」から引用させていただきました。
投稿者 simasan : 2008年01月29日 TweetList
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