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2008年01月16日
縄文人の死生観~埋葬のしかたの意味~
😀 くまなです
自然の摂理に対する意識のありようは、生死にどう接したかによく表れると思います。そこで、縄文人の埋葬のやりかたから、縄文人の死生観に迫ってみたいと思います。
縄文人の埋葬の特徴は、屈葬、ベンガラ、乳幼児甕埋葬、抱石葬です。
すべてを一貫して説明できるのは、再生への願い です。
(再生とは「誰かがよみがえるのではなく、誰かの魂が戻ってくるのでもなく、充足や活力が再生され(続ける)こと」です。前回の記事を参照してください。)
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■屈葬
屈葬については、yuyuさんがすでに「屈葬とベンガラについて」のその1」で書かれています。その中で紹介されていますが、るいネットに三ヶ本氏が「屈葬の意味」で投稿されているように、胎児の姿勢をまねて再生を願ったとする説が有力だろうと思われます。
屈葬は縄文人に限らず始原人類が埋葬を始めたときから行われています。(参照「Mission PaleoX」)
弥生時代になると伸展葬に変わります。屈葬は一般には死者をおそれ再起を封鎖する意味と考えられていますが、弥生時代の方が死や死霊に対するおそれが減ったのかといえばそうではないでしょう。精霊とともにあった縄文人より私権時代に突入し自我が肥大した弥生人の方が死をおそれたはずです。
また、死や死霊をおそれたならば住居地から離して埋葬するはずで、縄文をはじめ世界の石器時代の埋葬においては住居の下や住居地の近くに埋葬していることから、死者に対しておそれを抱いていたとは考えにくいでしょう。
■ベンガラ
ベンガラについてもやはりyuyuさんの「屈葬とベンガラについてその2」に詳しくあります。
ベンガラについてはその赤色に意味があり、再生祈念説(日の出や出産の象徴としての赤、「比較文化史の試み7」参照)と再起防止説(鳥居の赤に見られるような死者・悪霊が嫌う赤)が代表的な説です。上記記事で紹介された恵庭市の縄文時代の埋葬例(北海道人 縄文人への旅立ち 恵庭市カリンバ遺跡)ではベンガラとともに漆塗りの櫛や腕輪、腰飾りの紐、髪飾りの輪などの豪華な副葬品が出ていること、イタリアの旧石器時代の遺跡でもベンガラとともに貝飾りや刃器などが副葬された例(参照「墓」より)があり、明らかに集団のリーダー格の埋葬と見られることから、再起防止ではなく再生祈念と考えた方がしっくりきます。
■乳幼児甕埋葬
これについては、前回「縄文人、再生への祈り」で紹介しましたし、さーねさんも「縄文:なんで子を大切にしたか?」で紹介してくれています。
住居の入口に何かを埋めて再生を祈念する類似の例として、住居の入口に石棒と甕を埋める例が見られるそうです。この場合は、甕は女性器、石棒は男性器を象徴し、女性器+男性器=妊娠・出産(再生)を表していると考えられます。(参照「縄文文化の超自然観」)
■抱石葬
これについてはsimasanが「古代の墓の変遷~集団統合から、支配・国家統合の為の装置へ」、naotoさんが「死者を再起させない縄文人」で紹介しています。
抱石の意味を考える上で参考になるのが、ストーンサークル です。
縄文中期から後期に現われ、代表的な大湯環状列石や跡鷲ノ木5遺跡など、多くの環状列柱や環状集落で、配石の下に
縄文人にとって、万物は精霊です。
もちろん、その辺に転がっている石も精霊です。縄文人は、その石に対しても期待し応望し、祈ることで石器を創造し、石棒や勾玉などの祈念物を創作したのだと思います。つまり、縄文人にとって石は、身近な精霊であり、よく期待に応えてくれるものだったわけです。
そう考えると、死者に石を抱かせたのは、石の力で死者に何かを作用させる、あるいは、死者の霊を石を通じて仲間に作用させる、というような考え方をしたのではないでしょうか。
特にストーンサークルは後者に基づくものだと考えられます。
そこではきっと、再生にまつわる祭祀が行われたはずです。
投稿者 kumana : 2008年01月16日 TweetList
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