「稲作伝播は私権社会の引き金か?」7(最終回)~縄文・弥生論争への視点 |
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2010年01月29日
「贈与」に何を学ぶべきか!~2、縄文人の集団間の関係は?
こんにちは、ぴんぐ~です 😀
『「贈与」に何を学ぶべきか!』シリーズの第2弾です
第一回では、ちわわさんが”現在の行き詰った市場社会から脱却する適応方式を縄文時代に学ぼう”というシリーズの趣旨を投稿して下さいました
第2回では、まずは縄文時代を知ろう!ということで、縄文人の集団同士の関係がどのようだったかがうかがえる投稿をるいネットの記事から紹介したいと思います
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るいネット「縄文ネットワーク」より引用します。
確かにご指摘の例以外にも、愛媛県上黒岩岩陰では、骨槍の刺さった人の腰骨が出土しており、これなどは早期の例です。ですから、「完全な平和」が幻想にすぎないのは明らかだと言っていいでしょう。
しかし、弥生時代の戦争による犠牲者数の多さと比べるとはるかに平和的だったと考えられます。ましてや、戦争、内乱、粛清などの死者が一億人に達すると言われている今世紀とは比較になりません。では、縄文期の集団間では武力闘争より協力の方にシフトした関係が成立していた時期が長かった、と思わせる根拠をいくつかあげてみましょう。
1・貝類の保護・管理
千葉県の東京湾岸の貝塚では、海岸から5,6キロ奥でも大規模な貝層が残されているそうです。海に出るには他の集落のそばを通る必要があり、各集落が、縄張りを主張、対立し、周囲の資源を独占していたのでは、こんなことは起きないでしょう。また、中期の東京中里貝塚でも、近隣集落の合意なしには実現できないような規模で、カキ・ハマグリなどの資源の保護・管理が行われていた形跡があるとのこと。
2・狩猟における共同作業
千葉県花貝塚で出土する鹿猪骨の部位には偏りがあり、それはいくつかの集落が共同で狩を行って、獲物を集落間で解体・分配した証拠だ、と推理したのは林謙作です。
石川県真脇遺跡からは、大きく分割されたイルカの骨が出土しており、これも、多数の丸木舟でイルカを入り江に追い込むという共同作業に参加した集落の間で分配された可能性が大きいのです。
3・大規模な祭り
祭りの場の巨大モニュメントと考えられるものは、どれも多人数の共同作業でしか建造不可能です。たとえば、金沢市チカモリ遺跡(晩期)の環状の巨大木柱など、直径1メートル、重さ1トンを超え、50人がかりで運搬しなければなりません。石川県の巨大木柱列は他にも県内のいくつかの遺跡で発見されていますが、その間隔は15キロから50キロで点在しています。ということは共同の祭りはそのエリア内、つまり歩いて日帰りが可能な範囲にある集落が共同で実施したのでしょう。
4・盛んな交易
代表的な交易品は、石器製作の材料となった黒曜石です。原産地はいくつかに限られており、遺跡から出土した石器類がどこの黒曜石で作られたのかは組成分析で正確に特定できます。交通機関もない時代、原産地からは驚くほど遠くの集落にまで黒曜石は行き渡っており、しかも遠いほど複数の産地からのものが混在しています。つまり複数の交易ネットワークがその集落をカバーしていたことが伺えます。新潟県に産地が限定されるヒスイも、北海道までの交易ルートに乗っており、その他多くのものが交易されたようです。大きくて壊れやすい土器さえ、100キロ以上に及ぶ物流ネットワークに乗っているのです。
5・集落による分業
前述の黒曜石の採掘(岡谷市清水田遺跡)、ヒスイの玉の加工(新潟県長者ケ原・寺地)、磨製石斧の加工・研磨(神奈川県尾崎遺跡)、土製耳飾(晩期の群馬県千網谷戸)など、固有の産物を大量に作り、遠隔地をも含む需要に応えた集落もあります。
こう見てくると縄文期の「精神的な風通しの良さ」というものを感じませんか?縄文ユートピア論には批判的な立場をとる今村啓爾でさえ、こう述べています。
「土器型式の分布圏は、少なくともその中では情報がよく流通する範囲であったことは自明で、同種の土器を使うことにより共同意識を有したと思われる。そして土器型式がしばしば隣接型式との間で影響関係をもったことを考えると、縄文の集団間の関係は非常に開放的なものであったと言える。」
>「交易」とは平和・友好的に行われたというよりも、歴史的には戦闘とセットであった事例が殆どです(かの十字軍遠征しかり、大航海時代しかり
と指摘されている、西洋史における事実は、原始社会には当てはまらないようです。以前、「原始社会のギブ・アンド・テイク」と題して、こんなことを述べました。
「原始社会での物々交換は、現代人が考えるような、等価値の物品同士の単純な交換ではなく、命がけで入手した交易品には万感の思いが込められていたはずです。それには言わば、贈与者のマナ(霊的な力)が込められている。俗に言えば「心のこもった贈り物」ということになり、当然功利的な打算など優先されることもない。」
こうした交易のあり方の系統を継ぐ縄文期においても、私権的な要素が価値軸となることはなかったはずです。しだいに「階層」らしきものが生まれ始める中期・後期の大集落でさえ、排他的、即自的な性格を帯びることなく、おおらかな共同意識、連帯意識をもって交流し合い、利害も調整し合うことができた。だからこそ、物資や情報を運ぶネットワークをあれほど広く張り巡らすことができたのです。
「こんなおいしいものが採れましたからぜひ食べてください」「それはありがたい。我々は、こんな便利な道具を作ったので使ってみてください。」 このような単純な会話に象徴されるオープンで受容的な雰囲気が、縄文社会の精神風景に流れる通奏低音だったと想像するのもユートピア論になってしまうのでしょうか? しかしながら、利害ではなく信認関係に基づくネットワークの構築、と言えば、これから我々が目指す社会のあり方と見事に重なってくるように思えるのですが・・・。
縄文人って、小さな集団で独立して生活しているイメージでしたが、実際はこんなにも集団間の交流があったんですね
まさに驚きの縄文ネットワーク
ただ、気になるのがこのシリーズの趣旨でもある”贈与”についてです。
4に”交易”とありますが、贈与と交易は似て非なるものです。
この投稿では”贈与”と”交易”が明確に使い分けらていないため、意図せず”交易”を使われたのだと思いますが、このシリーズを解き明かしていく上では重要なキーワードなので、明確に区分していきたい
縄文人のこのネットワークが”贈与”であったのか”交易”だったのかを解き明かして行く中で、現在の市場社会の限界を突破する可能性を探っていきたいと考えています。
まだまだシリーズは続くので、どうぞご期待下さい
投稿者 pingu : 2010年01月29日 TweetList
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コメント
投稿者 tano : 2010年4月12日 13:58
tanoさん
コメントありがとうございます。
マッカッサーの件は、わたしもそのように聞いています。
その前に、昭和天皇自身が自ら彼の元へ行き、自らと引き換えに日本の擁護を願い出たとも記憶しています。
その後黙して語らず、全国をまわり譲位もせずに生涯をまっとうした。そこに日の丸と重なるものを感じるのですよ。もちろんこれは個人的な意見ですが…
言語化するのはとても重要だと思います。それができて初めて「成熟した社会」への道が開かれるのだと思います。
何はともあれ、終了しました♪
ありがとうございました
投稿者 milktea : 2010年4月12日 19:48
秀吉を勉強して分かったのですが、私は「神国」というのは異教徒からこの国を守るための方便だったのだろうと思うのです。他方、内政的には、様々な仏教が日本に伝来してきており、そのような多様な仏教の上に、統合する「なにか」が必要だった。そうして本地垂迹的な「仏法をも統合する天皇」が必要だったのだと思います。あくまでも八百万的な多神教があった上での上位神としての天皇というところが日本的な統合のミソということでしょう。現在でもアメリカの神の名の下の侵略と、中国の中華思想は健在である以上、それらへの防波堤として、天皇制は必要なのでしょう。しかし、最終的には、世界中が元来の万物に神を見る世界観へと回帰していくだろうと思います。現に、欧州は既にキリスト教への執着を失いつつありますから、そうなるでしょう。そのような時代が来れば、天皇制も無用になる社会が、くるだろうと思います。そしてそれは、平和と和合の象徴たる天皇の御心でもあるでしょう。以上は私の私観ですが、当面は、右も左もなく、日本を守るにはどうすると考えていきたいものです。
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年4月13日 22:56
milkteaさんこんばんは、
天皇制ってどうも不思議だけど当たり前というか・・・が難しいですね。
>実権を失っても、実権の正当性を保証する『権威』が天皇の存在自体から発生する、ということです。
>時代ごとの権力者とその権力構造を直接・間接的に承認するということは、そこに常に『同義的責任』が発生することになります。
天皇の持つその『権威』の根源はどこにあるんだろうということかな・・・と思っているのですが、武力を持つ時の権力者に対置して二重構造になること、常に実際に力を持つものの上からそれを承認する構造から考えて、日本人の総体の意思が働いているのは間違いないと思います。
それが『場の倫理感』という形で現れてきていると思いました。
でも結局は私権時代は力の強いものが勝って、天皇制を逆に箔付けに使ってしまうので、みな仕方ないという感覚(あきらめ感)があるので、あいまいになってしまうのかなと思いました。
でも、私権時代も力の原理もほぼ崩壊してるので、いよいよ新たな模索ができる時代なのかもしれないとも考えてます。
また記事楽しみにしてます。
投稿者 Hiroshi : 2010年4月14日 01:21
怒るでしかし~さん
コメントありがとうございます
「世界中が元来の万物に神を見る世界観」そして、それを個々人の中に個々の形で持つとき、そこに理想的な「何か」が生まれると思っています。そしてそれを互いに認めあうことなんじゃないかな、とも思います。
人が動くとき、それはいつも未知への挑戦ですね
過去を教訓にして、模索していきたいものですね♪
投稿者 milktea : 2010年4月14日 06:44
Hiroshiさん
コメントありがとうございました
これは、わたしの意見ですが、国家成立時期に、大王は繰り返しその正当性を求められ、それが受け入れられて初めて即位に至る、という事を繰り返しています。それを一つの一族が全うする。ここに権威の正当性が生まれたのではないかと思っています。
場の倫理感は、長短併せ持っています。短を改善して長をより伸ばすのが、全く新しい社会を作り出すよりベターだとは思います。
また、時の権力機構が、どのように天皇を見たとしても、それと実際にわたし達に到達するものとは違いが出てくるのではないでしょうか。
聞くではなく聴く(心で相手の思いを受ける)と、相手は自らの力で、自分を整理して歩き出す準備が整うんです。不思議ですが…(この辺は、わたしカウンセラーなので…)
それが「包容がその人にあった自己表現を可能にする」の根拠だと思っています。
ですから、日本にとっては、大切な存在ではないかと、わたしは思っています。右とか左ではもちろん無く、模索の後押しです。
おっと、何回も繰り返してしまいますが、これはわたしの個人的意見ですので…笑
投稿者 milktea : 2010年4月14日 07:15
>聞くではなく聴く(心で相手の思いを受ける)と、相手は自らの力で、自分を整理して歩き出す準備が整うんです。不思議ですが…
この感覚よく分かります。
・・・でもつい自分のこだわりなんか持ってるとうまく通じあえなかったり。僕もよく失敗します(笑い)。
なんとなく感じていたことを言葉化してもらった感じです。
投稿者 Hiroshi : 2010年4月14日 12:29
milkteaさん、大作拝読しました。
>有形でも無形でも構わない、場を包容するような、何かしらの旗印のようなものが必用ではないでしょうか。
これは、言葉以前のもの、当ブログの共通用語で言えば、「共認空間の形成」ということなのかな、と思いました。
なので、日本における天皇はこの共認の紐帯、ということなのかと。
実感としても、何らかの精神的象徴として機能しているようにも思います。
ただ、時代が下ると、たとえば南北朝時代などは、天皇自身が自らの「権威」付けのために源氏物語を援用していたり・・、ということもあり、案外盤石とは言い切れないのではないか?と思ったりもします。
そういう意味もあり、一昨年出された三田村雅子さんの「記憶の中の源氏物語」という書物には、衝撃を受けました。
次回のテーマ、楽しみにしています。
投稿者 うらら : 2010年4月14日 18:26
Hiroshiさん
ありがとうございます
この聴くというのは、とても難しい
意見の同意をしなくてもいいんです。ただ、相手が言っていること自体を、「ああ、この人はこんな思いで言っているんだ」と認めることなんですよね♪
投稿者 milktea : 2010年4月14日 19:41
うららさん
確かに南北朝は、天皇家自体の分裂ですから自ら権威付けしてますよね。それ以外にも失敗や、間違いは起こしてると思います。
それも、その時のその思考力の問題だろうかとも思います。どちらにしても、その結果は後から見えてくるもので、その時は、それを「良し」としたんだろうと思います。わたし達は常に未来から是非を問われる…だから模索が大切になってくるのかな、とも思います。
ただ、今現在の天皇家のあり方(憲法に定められた、統合の象徴)は、過去の位置付けに比べて、絶妙(良い意味で)だとわたしは感じています。
投稿者 milktea : 2010年4月14日 19:55
江戸から明治 将軍 天皇~終戦~総理大臣~
選挙に行くのですが 誰にいれて いいのかわからないです。
経歴を 見るのですが、最終学歴 血統 人相 他 難しいですね。その人を 信用して 1票。
本当に よい国で 生活するというのは どういうことだろうか?格差~ 政治家が 税金を使って どんな国にするのか どんな諸外国との外交をするのか~政治研究会(名前検討中
投稿者 村石太ウーマン&ソヨウチョウ : 2012年1月19日 09:21
とにかく、熊野古道の世界遺産登録からはじまった摂家神道によるネットウヨ運動は、かつての大東亜戦争の過ちを公家勢力が認めていないものとみざるをえない。歴史を超えてまで、人身を操る妖しさは根の国以上に不浄といえよう。
投稿者 有職故実 : 2013年3月29日 23:56
milkteaさん最終章読ませていただきました。
「天皇がいるから日本人はファジーでいられる」
これは言いえて妙ですが、核心をかなりついていると思います。問題はなぜファジーでいる必要があるかという問題です。
現在、タイで激しい内乱が起きています。政府軍と反政府軍に分かれて肉弾戦が繰り広げられ、ついに死者が多数出ています。日本でも60年安保の時に同様の事は過去にありましたが、その時も何が原因でどうやって収束したのかはっきりしないまま終わりました。また、歴史的にも何度か戦乱は起こりますが、その都度、調整という形で時の優れた政治家が勝負を超えて平定に入りました。
これはファジーという方法論が縄文以来続いている共生の方法論と何らかの関係があるように思います。その後の古墳時代、豪族の序列決定の方法や日本神話に見られる神々の関係、戦国時代にしても婚姻によって関係を対立から友好へ舵取りをしましたし、江戸時代の参勤交代の制度は中央と地方の並存の手法です。
天皇によってファジーでいられるというより、まさに勝負け、白黒を作り出さない日本人の政治手法の帰結として天皇という存在を作り出したのだと思います。象徴という言葉を与えるだけでその他は首長の任命ぐらいしか役割を残さなかった明治以降の天皇制はその意味では十分だったのでしょう。
「菊と刀」の本の中でアメリカのマッカーサーが日本に勝利して下した判断が天皇制だけは残したとされています。マッカーサーが一番恐れたのは日本人の団結力と国民感情だったそうです。この国から天皇を取り上げると日本は統治できないと判断したそうです。逆に日本人は「天皇」を残したマッカーサーの恩赦に感激してその後の親米化はスムーズに進みました。
アメリカの恐ろしいところは既に日本の本質をそこまで見抜いて統治したところです。
今、日本に突きつけられているのは「ファジー」の中身を切開し、もう一歩わかりやすい形で国際社会や国内統合の為に言語化することだと思います。現在、同じようなテーマで「市場シリーズ」と「縄文体質シリーズ」を続けていますが、何らかの”答え”を出していければと思います。
milkteaさん長らくの連載ありがとうございました。
また少し休んで次の連載が始まる事を期待しています。