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「贈与」に何を学ぶべきか!~2、縄文人の集団間の関係は?

Posted By pingu On 2010年1月29日 @ 11:57 PM In 縄文人の集団統合 | 12 Comments

こんにちは、ぴんぐ~です :D
『「贈与」に何を学ぶべきか!』シリーズの第2弾です
第一回では、ちわわさん [1]が”現在の行き詰った市場社会から脱却する適応方式を縄文時代に学ぼう”というシリーズの趣旨を投稿して下さいました
第2回では、まずは縄文時代を知ろうということで、縄文人の集団同士の関係がどのようだったかがうかがえる投稿をるいネットの記事から紹介したいと思います
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るいネット「縄文ネットワーク [4]」より引用します。
                     

確かにご指摘の例以外にも、愛媛県上黒岩岩陰では、骨槍の刺さった人の腰骨が出土しており、これなどは早期の例です。ですから、「完全な平和」が幻想にすぎないのは明らかだと言っていいでしょう。
 しかし、弥生時代の戦争による犠牲者数の多さと比べるとはるかに平和的だったと考えられます。ましてや、戦争、内乱、粛清などの死者が一億人に達すると言われている今世紀とは比較になりません。では、縄文期の集団間では武力闘争より協力の方にシフトした関係が成立していた時期が長かった、と思わせる根拠をいくつかあげてみましょう。

1・貝類の保護・管理
 千葉県の東京湾岸の貝塚では、海岸から5,6キロ奥でも大規模な貝層が残されているそうです。海に出るには他の集落のそばを通る必要があり、各集落が、縄張りを主張、対立し、周囲の資源を独占していたのでは、こんなことは起きないでしょう。また、中期の東京中里貝塚でも、近隣集落の合意なしには実現できないような規模で、カキ・ハマグリなどの資源の保護・管理が行われていた形跡があるとのこと。

 2・狩猟における共同作業
千葉県花貝塚で出土する鹿猪骨の部位には偏りがあり、それはいくつかの集落が共同で狩を行って、獲物を集落間で解体・分配した証拠だ、と推理したのは林謙作です。
 石川県真脇遺跡からは、大きく分割されたイルカの骨が出土しており、これも、多数の丸木舟でイルカを入り江に追い込むという共同作業に参加した集落の間で分配された可能性が大きいのです。
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 3・大規模な祭り
祭りの場の巨大モニュメントと考えられるものは、どれも多人数の共同作業でしか建造不可能です。たとえば、金沢市チカモリ遺跡(晩期)の環状の巨大木柱など、直径1メートル、重さ1トンを超え、50人がかりで運搬しなければなりません。石川県の巨大木柱列は他にも県内のいくつかの遺跡で発見されていますが、その間隔は15キロから50キロで点在しています。ということは共同の祭りはそのエリア内、つまり歩いて日帰りが可能な範囲にある集落が共同で実施したのでしょう。

 4・盛んな交易  
代表的な交易品は、石器製作の材料となった黒曜石です。原産地はいくつかに限られており、遺跡から出土した石器類がどこの黒曜石で作られたのかは組成分析で正確に特定できます。交通機関もない時代、原産地からは驚くほど遠くの集落にまで黒曜石は行き渡っており、しかも遠いほど複数の産地からのものが混在しています。つまり複数の交易ネットワークがその集落をカバーしていたことが伺えます。新潟県に産地が限定されるヒスイも、北海道までの交易ルートに乗っており、その他多くのものが交易されたようです。大きくて壊れやすい土器さえ、100キロ以上に及ぶ物流ネットワークに乗っているのです。

 5・集落による分業
前述の黒曜石の採掘(岡谷市清水田遺跡)、ヒスイの玉の加工(新潟県長者ケ原・寺地)、磨製石斧の加工・研磨(神奈川県尾崎遺跡)、土製耳飾(晩期の群馬県千網谷戸)など、固有の産物を大量に作り、遠隔地をも含む需要に応えた集落もあります
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こう見てくると縄文期の「精神的な風通しの良さ」というものを感じませんか?縄文ユートピア論には批判的な立場をとる今村啓爾でさえ、こう述べています。
 「土器型式の分布圏は、少なくともその中では情報がよく流通する範囲であったことは自明で、同種の土器を使うことにより共同意識を有したと思われる。そして土器型式がしばしば隣接型式との間で影響関係をもったことを考えると、縄文の集団間の関係は非常に開放的なものであったと言える。」  
>「交易」とは平和・友好的に行われたというよりも、歴史的には戦闘とセットであった事例が殆どです(かの十字軍遠征しかり、大航海時代しかり 
 と指摘されている、西洋史における事実は、原始社会には当てはまらないようです。以前、「原始社会のギブ・アンド・テイク」と題して、こんなことを述べました。
 
「原始社会での物々交換は、現代人が考えるような、等価値の物品同士の単純な交換ではなく、命がけで入手した交易品には万感の思いが込められていたはずです。それには言わば、贈与者のマナ(霊的な力)が込められている。俗に言えば「心のこもった贈り物」ということになり、当然功利的な打算など優先されることもない。」
 こうした交易のあり方の系統を継ぐ縄文期においても、私権的な要素が価値軸となることはなかったはずです。しだいに「階層」らしきものが生まれ始める中期・後期の大集落でさえ、排他的、即自的な性格を帯びることなく、おおらかな共同意識、連帯意識をもって交流し合い、利害も調整し合うことができた。だからこそ、物資や情報を運ぶネットワークをあれほど広く張り巡らすことができたのです。
 「こんなおいしいものが採れましたからぜひ食べてください」「それはありがたい。我々は、こんな便利な道具を作ったので使ってみてください。」 このような単純な会話に象徴されるオープンで受容的な雰囲気が、縄文社会の精神風景に流れる通奏低音だったと想像するのもユートピア論になってしまうのでしょうか? しかしながら、利害ではなく信認関係に基づくネットワークの構築、と言えば、これから我々が目指す社会のあり方と見事に重なってくるように思えるのですが・・・。

                     
縄文人って、小さな集団で独立して生活しているイメージでしたが、実際はこんなにも集団間の交流があったんですね
まさに驚きの縄文ネットワーク
ただ、気になるのがこのシリーズの趣旨でもある”贈与”についてです。
に”交易”とありますが、贈与と交易は似て非なるものです。
この投稿では”贈与”と”交易”が明確に使い分けらていないため、意図せず”交易”を使われたのだと思いますが、このシリーズを解き明かしていく上では重要なキーワードなので、明確に区分していきたい
縄文人のこのネットワークが”贈与”であったのか”交易”だったのかを解き明かして行く中で、現在の市場社会の限界を突破する可能性を探っていきたいと考えています。
まだまだシリーズは続くので、どうぞご期待下さい


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[1] ちわわさん: http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/01/001004.html

[2] Image: http://blog.with2.net/link.php?538666

[3] Image: http://history.blogmura.com/in/023841.html

[4] 縄文ネットワーク: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=6039

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