縄文の超集団統合は、北方民族から取り入れられた手法か? |
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2007年11月01日
縄文人は自然と一体だった
😀 くまなです
これから数回にわたって「縄文人の精神世界」をテーマに、そこから派生するであろう思想、言語、祭り、土偶などに関して追求し、その全貌を明らかにしていきたいと考えています。
縄文時代は1万年ものあいだ続きました。その基底部には、自然を畏れ敬う精神世界があったと言われています。
現代人は、自然の摂理を冒涜し、地球環境を破壊し続け、滅亡の道へまっしぐらです。
そのような現代人が、自然の摂理に適った生き方・考え方をつかむ上で、縄文人の精神世界が参考になるのではないでしょうか。
縄文人は、どんな世界観を持っていたのか?
そこに同化し、つかむことが出来れば、すべてが繋がっていく可能性があります。
精神世界をつかむ上で重要なのが、置かれた外圧状況の把握です。
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縄文人の生活の内実が明らかになるにつれ意外と‘豊か’であったとされていますが、「豊か」という言葉を使うと見誤ります。アクが強いトチの実もなんとかして食べなければならなかったほど過酷だったというのが事実です。
神奈川県平坂貝塚出土の縄文早期人の人骨には、何本もの「飢餓線」が形成されている。一見“縄文ユートピア”のように見られがちの彼らの生活は、想像以上にきびしく、また必死であったにちがいない。
(縄文文化と東北地方―東北の基礎文化を求めてより。dai1028さんが縄文の宗教で類似の内容を紹介してくれています。)
「飢餓線」は上記以外の遺跡でも見られ、多くの人口をかかえた三内丸山遺跡の人骨においてさえも飢餓線が見られるものがあります。
そのような過酷な外圧状況に晒されていた縄文人は、その精神世界の基底部にどのような意識を持っていたのか?以下の認識がそれを最も的確につかんでいます。
極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。
(実現論 前史 ヘ.人類:極限時代の観念機能より)
精霊信仰は、自然に対して期待を投げかけて(=祈って)いますが、その前に、応望すべき相手としてひたすらその期待に応えようとします。
精霊に応望するために、ひたすら精霊(自然)への同化を試みた縄文人にとって、自分たちと目に見える対象世界としての「自然」は一体のものであったのだと思います。
投稿者 kumana : 2007年11月01日 TweetList
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