縄文人の注視する力 |
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2008年02月22日
「縄文」から引き継がれているものは何か?
当ロブログでちわわさんが『日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。』
で、それは 縄文時代の狩猟採集社会の精神世界 だ!と紹介されました。
私はそれが具体的にどのようなかたちで引き継がれているのかを調べてみました。
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日本人は約一万年に及ぶ縄文時代を経験した極めてユニークな民族である。多くの国では日本の縄文時代に相当する時代は千年からせいぜい三千年くらいしのものでしかないが、日本の場合は農耕文化が大陸から入ってくるのが遅れたためか、それが一万年以上も続いたのだ。
民俗学者の柳田国男氏は、日本人の基本的な意識構造は稲作文化によって培われたと言っているが、それ以前の縄文文化が一万年も続いているのであれば縄文文化が「日本人の意識」の中に強く影響しているものと思われる。
■ 縄文から引き継いでいる感性
人間が自然を支配する農耕文明や近代産業文明と異なり、縄文文化は自然との共存、共栄が主たるテーマである、と言われている。
「共存、共栄」と言うと人間が主体的に捉えられがちなので、
『縄文文化は自然との同化』が主たるテーマと言い直した方がぴったり来る。
つまり、自然の中で「生かして貰う」と言う意識であろう。
日本人がこよなく四季の移り変わりを愛し、花鳥風月を愛するのはこの長きにわたる縄文時代の感性のせいかもしれない。『花鳥風月の科学』(松岡正剛著・中公文庫)を読めば、日本人が山、神、鳥、花、風、月などにどのような思いを託し、繊細な文化を育んできたかがよくわかる。そして、こよなく自然を愛する心、花鳥風月を楽しむ心こそが日本人のアイデンティティの根底にあることが理解できる。
丁寧きわまりないものづくりの伝統、懐石料理に見る四季折々に変化する盛りつけの妙、宮崎駿氏によるスタジオ・ジブリの『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』といった作品の中に滲み出る神秘主義的傾向など、縄文時代から延々と引き継がれてきた「自然との同化」というテーマが今も日本人の様々な営みの中に脈々と受け継がれているのである。
■「仏教」が「八百万の神」と融和した
日本人に広く見られる独特の宗教観を子細に観察してみると、それが日本社会の歴史的展開に大きくかかわっていることに気づかされる。縄文時代に培われた「風のそよぎにも神を感じるアニミズム的信仰心」(「八百万の神信仰」)は仏教の移入とともに、そして時代の進展とともに変質してきたが、同時にそれは大陸から伝来した仏教自体の性格をも大きく変質させた。いわば「仏教の日本化」である。その結果、世界でも希な神と仏が共存する体制ができあがったと言える。このことが持つ意味とは何なのか。
仏教は紀元六世紀の半ば、百済から伝来した。この強力な外来宗教をどう処理すべきなのか。意見は真っ二つに割れたようだ。仏教という先進的な宗教を積極的に採り入れるべきとした蘇我氏と、排仏を主張する物部氏の激しい争いが続いたが、やがて蘇我氏が勝利した。
聖徳太子は、仏教とそれ以前の伝統的な神道との融和を意識的に図ったとされる。たとえば「お盆」という行事は死者の霊をある時期この世に迎え入れ、その時期が過ぎると丁重にあの世にお送りする行事であるが、実はこれは仏教が移入される前から日本に存在した伝統的な死者供養の行事である。伝統的な死者供養を仏教の中に取り込むことによって仏教に対する反発を和らげ、普及を促進しようとしたのである。
ちなみに「お彼岸」の行事は、桓武天皇の時代(延暦25年、806年)に導入されたというが、これも桓武天皇によって殺害された弟の早良親王の怨霊が桓武天皇にとりついたため、その怨霊を鎮魂するために始まった死者供養の行事で、本来の仏教の教義とは何の関係もなかった(『日本人の「あの世」観』梅原猛著・中公叢書・1989年・81ページ、中公文庫・1993年・95ページ)という。
「お盆」「お彼岸」と並ぶ「お正月」も死者を松の内の間、我が家にお迎えする死者供養の行事であるが、これも日本ではやがて仏教的な行事として定着していった。
つまり仏教が日本に入ってきても、縄文時代からの「死者の霊を祭り、それによって祟りを鎮魂する」という伝統的な考え方はいささかも消滅せず、仏教の中に死者供養を行なう役割を担わせることによって静かに深く浸透していったのである。
このように、仏教は日本の伝統的な「八百万の神信仰」や日本人の「死生観」に強い影響を受け、「日本化」され続けてきた。
日本仏教の根本に流れる思想は、自然との共存体験を背景にした縄文時代の人々の感受性と、慈悲の心を教える仏教思想が日本的に結びついたものであり、おそらくはそういった精神的要素が、「もののあわれ」や「侘び」「寂び」などの日本人独特の美意識を生み出したのであろう。また、それが自然と人間の関係を原点とする花鳥風月を愛でる日本文化の土壌ともなったのであろう。このような日本人の精神的安定と、それが生み出す繊細な美意識が、日本文化の成熟に大きな役割を果たしたことは容易に想像がつく。
■結びついた呪術と加持祈祷
縄文時代から続いている神道においては、呪術がとりわけ重視されてきた。祟り、怨霊、物の怪という死者の霊がもたらす災難をいかにして取り除くかが呪術の仕事であった。
この呪術的な要素と真言密教の加持祈祷がうまく結びつくことによって、神仏共存体制は決定的となった。(『梅原猛、日本仏教を行く』梅原猛著・朝日新聞社・2004年・57ページ)。
紀元810年に起こった「薬子の変」は、平城上皇の一派と嵯峨天皇派の熾烈な政治権力を巡る抗争として知られるが、結局、藤原薬子は服毒自殺し、平城上皇は幽閉されてしまう。その後、祟りと思われる怪奇現象があちこちで発生するに及んで平城上皇一派の怨霊の鎮魂が大きな政治的課題となっていく。この時、大きな貢献をしたのが空海であった。
空海は東寺の境内に鎮守八幡宮を建立し、加持祈祷によって平城上皇一派の怨霊を鎮魂することに成功した。そこに納められた僧形八幡神像(そうぎょうはちまんしんぞう)は、宇佐八幡宮の「主神」として祭られている応神天皇を「仏教僧」として造形したものであり、「これほど神と仏の合体を明らかに示すものはない」(同前書)という。
平安時代は『源氏物語』や『栄華物語』などに見られるように怨霊や物の怪が跋扈し、人々がそれに畏れおののいた時代で、恨みを持って無念の死を遂げた人々の死霊が政変、天変地異、人の死や災難を引き起こす原因とみなされていた。この災忌をもたらす怨霊を鎮魂するのが密教僧による加持祈祷だったのである。
平安時代における「鎮魂」行事で最も有名なのは、菅原道真の怨霊を鎮魂するための北野天神の建設であろう。菅原道真は政敵である藤原時平の中傷で太宰府に流され、非業の死を遂げる。その直後から京都では様々な不幸が起こり、人々はこれは菅原道真の祟りに違いないと噂した。菅原道真の怨霊を鎮魂しないことにはにっちもさっちもいかないということになって、北野天神が建立され、道真は学問の神として祭り上げられていく。これによって鎮魂が成就したのであった。祟りのもとになっている霊を鎮魂するだけでなく、その人を神として祭り上げるという手法を使ったことになる。北野天神はその後、天神信仰の象徴的な存在になっていく。現代でも受験の神様としてお参りに行く人が絶えないことは周知の通りである。
■日本にはなぜキリスト教が普及しなかったのか
外来宗教である仏教が浸透した日本において、なぜキリスト教は普及しなかったのだろうか。
たしかに日本にも明治維新以降、猛烈な勢いで西洋文化が流入し、多くのキリスト教系のミッションスクールが創設され、西洋から多数の宣教師が布教のために来日した。そこでキリスト教的な考えやそれに付随する西洋文化を好んで採り入れたことは事実であろう。
日本人は面白そうな文化や風俗はいとも簡単に受け入れてしまう。しかし、それと日本人がキリスト教徒になることの間には大きな距離がある。キリスト教に改宗する日本人は極めて少なかった。
現在の日本におけるクリスチャンの比率はせいぜい全人口の0.5%程度と言われる。これは世界を見わたしても低い数字に属するのではないだろうか。同じアジアに属する韓国ではクリスチャンの割合は少なく見ても30%と高く、50%に達するという見方もある。
一万年に及ぶ縄文時代の呪術文化、すなわち「八百万の神信仰」の伝統が「基層文化」としてあまりにも深く日本人の心に浸透していたため、仏教をそのままの形で採り入れ、全面的に改宗するということは起こらなかった。同様に、一人の神しか認めない(一神教の)キリスト教やイスラム教は日本人にとってあまりにも異質であり、そこには根本的な相性の悪さがあったと言えるのではないだろうか。だから受け入れることができなかったのであろう。
■日本人の精神文化の土台は縄文時代にある
先に述べたようにわが国の縄文時代は1万年以上も続いた。
先住民である縄文人の上に大陸から渡来した弥生人が覆い被されるように混血が始まった。
それでも、縄文の精神文化が失われていくことはなかった。現代の日本人の精神文化の基盤をなす土台として生きつづけているのである。
自然と同化。
他の文化を否定するのではなく、外来の文化を受け入れる寛容さ、良いところは自分のものに取り入れ自分のものにしていった。縄文人は、万物に霊魂や精霊がやどるという多神教的世界観を持っていたからである。
日本人の精神的基盤は一万年以上も続いた縄文時代にあると述べたが、縄文時代を研究、意識することは日本人が生きていく上において、道しるべとなるものと考えます。
投稿者 mukai : 2008年02月22日 TweetList
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コメント
投稿者 案山子 : 2008年3月26日 01:30
案山子さん、コメントありがとうございます。
先日、先々日と、また自己中殺人が起きています。
自己中殺人を引き起こすのが「自我」なら、マナーを他人に強制するのも「自我」です。
後者は、それを正当化する法律があるだけに、当の本人は「自我」に気づくことができず、むしろ善いことをやっているという意識に陥っています。
共認を妨げるだけでなく、破壊へとおいやる「自我」は徹底的に封鎖する必要があると思います。
この問題意識を持ち続けて、追求していきたいと思います。
投稿者 naoto : 2008年3月26日 22:46
ちょっと最近このブログも停滞していたのであたらな試み大歓迎です。どこまで肉薄できるか楽しみですね。