インカのミイラNo3 ミイラになった生贄 |
メイン
2007年08月13日
縄文時代に栽培!?
前回の記事で、 縄文時代は「木の文化」 を書きましたが、それにHiroshiさんがコメントしてくださいました。アリガトー :blush:
木といえば、縄文人は大規模な栗林を栽培していたらしいですね。他にもいろいろ栽培していたらしいですよね。
どなたかか記事にしてくれるかな~。
縄文人が栽培
栗とか猪とか魚や貝などなど食べてて、けっこうグルメだったのは以前記事で書きましたが・・・・・栽培ですか
早速調べてみますっ
応援クリックお願いします
ヒョウタンやゴボウなど栽培植物の種子が見つかり、既に栽培が始まっていたことが明らかとなりました。出土したクリは、DNA分析の結果、栽培・管理されていた可能性が高いことが分かりました。
「青森県の縄文遺跡群」
確かに縄文時代ではすでに栽培が始まっていたようですね。
いろいろ調べてみましたが、三内丸山遺跡の地層からは自生ではあり得ない量の栗の花粉が出てきたりと、栽培が始まっていた根拠は近年どんどんと見つかっているようです。
数十年前までは、縄文時代といえば食べるものも着るものもなく貧し~い時代って認識だったのが、ここ最近でずいぶん塗り変わってきてます。
ちょっと話はそれますが、食べ物つながりでまたひとつ発見があったので紹介しちゃいます 😀
縄文人の食事って「素材をそのままいただく」ってイメージじゃないですか でも、しっかり(?)味付けして食べていたんですって。
・塩 : いわゆる”塩”は後期/晩期から作られる。貝、海藻を調理材料とすることにより塩分として使用された。まれに岩塩が使用される。
・味噌/醤油 : イワシ、ニシンが大量に獲れた時に保存 → 魚醤 → 鮨 の可能性あり。
・酒/酢 : 三内丸山では、木イチゴ、山ブドウの種が大量に出土し、発酵果実に集まるミバエの蛹が大量に発見されました。 酒を製造した可能性があります。晩期になると、とっくり型/小型注口土器などが多く作られ、酒醸造の傍証になる。
・甘味 : 蜂蜜、果実。
「千葉市の貝塚」
藻塩焼(もしおや)き
海藻(かいそう)を取って干(ほ)しておくと、ついていた海水が乾(かわ)いて、海藻の表面に塩の結晶(けっしょう)がつきます。これに海水をかけると、ついていた塩が海水に溶けてこい塩水ができます。
縄文時代の終わりごろには、こうしてできたこい塩水を土器で煮つめて塩を作っていました。「たばこと塩の博物館」
縄文人もお料理には味付けをし、お酒 も飲んでたんですね~
またまた縄文人の認識が塗り変わりました
ぴんぐ~ でした
投稿者 pingu : 2007年08月13日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/08/294.html/trackback
コメント
投稿者 naoto : 2007年9月3日 01:38
>読んでて何かつらいですね。
確かに“つらい”という表現がぴったりかも。
ただユダヤ人にとっては、ごくあたりまえになっているのかも知れませんね。その執着度が、様々な金融システムを開発させ、金融支配を進めさている原動力か?
投稿者 Hiroshi : 2007年9月4日 23:26
ユダヤ5000年の教え―世界の富を動かすユダヤ人の原点を格言で学ぶ ラビ・マービン・トケイヤー トケイヤー・マービン
◆ユダヤ5000年の教え ◆ユダヤ人の知恵を砥石として使え! 知性や知識だけでは、人生という闘いに勝つことはできない。 もう一つ大切なものがある。 …
投稿者 ビジネス本でバージョンアップ 2.0! : 2010年1月17日 08:02
う~ん。
読んでて何かつらいですね。
「虐殺のユダヤ」と「陰の支配者ユダヤ」。
私たちにとって、「ユダヤ」史観とは何?って、考えさせられますね。