海を渡った縄文人:ワラ算とキープの関連から |
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2007年05月26日
『豊かな森の大国』日本列島の気候はどうやって形成されたのか??
まだ農耕・稲作の無い縄文時代において、定住による生活を可能にしたのは、豊かな森の恵みなくしては考えられなかったことでしょう。
そこで、どのように豊かな森の王国・湿暖湿潤な水の豊富な日本列島が形成されたのか調べてみました 😀
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今から約8,000年前九州と朝鮮半島の間は最寒冷期でも陸続きにはならずに水路となっていたが、幅は狭く、海流が流れ込むほどではなかった。その後の海面上昇で対馬海峡が大きく開いたことによって、日本海には暖流が流れ込むことになった。
これこそが日本列島の気候を左右する一大事だったよーです どのように変化したかというと・・・
①日本列島は太平洋に黒潮、日本海に対馬暖流という二つの暖流に挟まれ、海の影響を大きく受ける環境へと変化した。
②西高東低の冬型の気圧配置が強まると零下何十度という猛烈なシベリアの寒気団が日本列島に張り出してくる。日本海を流れる対馬暖流は冬でも暖かくて10度前後はあるから、そこには大きな温度差が生じる。
③そこで生まれる激しい上昇気流は湿った雪雲を生み、列島の中央を走る山脈を越える際に大量の雪を日本海側に降らせる。日本列島の日本海側は世界でも有数の豪雪地帯となり、その大量の雪は水となって地下に蓄えられた。
簡単に言えば、以上のようなことが対馬暖流流入後の日本海で起こった。暖流のお陰で、湿暖湿潤で水の豊富な日本列島の風土が出来上がったよーです
豊かな水の恵みで、列島はより一層濃い森に覆われ、東日本にはブナやコナラ、クリなどの落葉広葉樹の森が、西日本にはシイやカシまどの照葉樹の森が広がった。樹種豊富で実り多い、世界でも稀に見る豊かな森の王国・日本列島が誕生した。
日本列島の森は豊かだった。特に東日本の落葉広葉樹の森はドングリやクリ、クルミなどの栄養価の高い木の実をもたらした。森に行けば誰でも簡単に拾い集められ、しかも大量に手に入ることができた。
ただし、困ったことに、多くの木の実にはアクがある。クリやクルミは生食ができるが、ドングリはアクを抜きをしなければいけなかった。そこで縄文人は早い段階で土器を開発し、木の実を煮てアクを抜き、ドングリの食料化に成功した。土器の登場は食料の幅を大きく広げたのである。
http://masakawai.suppa.jp/kodaisi/nihonkaibunka/nihonkai-html.htmlより抜粋
縄文時代前期(今から約8,000年前)辺りから文様の多様性含め土器は縄文時代とますます密接なものへと発展していく。こういった文化へと発展した背景には、日本列島の豊かな自然を創りだした対馬海流による気候の変動が密接に関わっていたものと考えられます 😀
投稿者 dai1028 : 2007年05月26日 TweetList
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コメント
投稿者 tano : 2007年6月10日 15:55
mukaiさんの紹介いただいた千田 稔氏の縄文文化と現代という論文の巻頭に以下の書き出しがありました。この縄文ー古代ブログの主旨とも繋がりますので紹介しておきたいと思います。
>自然破壊の深刻化するなか、我々はどういう時代に生きているのか、何をなすべきか、これを知ることは国民的な課題にもなっているといいてよい。これには、前近代社会を「学問」的にとらえることが必要となろう。そのためには、具体的には、もはやマルクス経済学とか近代経済学ではなく、「新しい経済学」に依拠して、近現代と先史時代の比較検討を経済に限らず総体的に学問的に行うこと、これが重要になってくるのである。
だが、この国民的課題に答えられる学殖豊かで狭い専門領域に安住しない「学者」が日本に果たして何人いるであろうか。経済学方法論に怠慢であるばかりでなく、ただ目先の「経済的事象」をとりあげて、これが「経済史」と低水準仲間内で安住するのがほとんどであろう。だが、この程度なら誰でもできるのである。だが、これではとても世界に飛躍する研究などできないのである。
さて、氏の論文はこの魅力的な書き出しで始まるわけであるが、読み進むうちに非常に的確である事がよくわかる。
>深刻な現代危機 今日、経済成長第一主義の影響として地球環境の深刻な破壊に直面している。こうした中で自然環境との共生が真剣に模索され始めてきている。しかし、これもまた随分身勝手な発想である。欲望にまみれて自然を破壊してきた先進国の人間が、これでは今後生きていけそうもないから、自己保身をはかろうという側面が濃厚なのである。
>人間は自然、宇宙から生まれはぐくまれてきたのであるから、そもそも「自然と人間の共生」などという発想からして、先進国人間エゴの残滓が濃厚ではないか。なぜ自然を破壊してきたのか、その理由の根源的考察と根源的反省なくして、人間の未来は絶望的なのである。この根源的考察・反省なくして、「未来可能性」などと称するのは笑止千万なのである。自然、宇宙は人間の母である。厳しい自然、宇宙を畏敬し、謝意を表明こそすれ、人間が自然と「共生」しようなどというのは、自然を破壊してきたことへの反省というより、「人間が生き残るため」に生み出した発想という側面が濃厚なのである。
>こうした脈絡で、自然の中で生活していた縄文社会が注目されるのである。確かにドイツ歴史学派やアダム・スミスなどは、こういう歴史の起点を「未開状態」とした。例えば、スミスは、「分業がなく、交換がまれにしかおこなわれず、各人がすべてのものを自分で調達するという、社会の未開状態」(水田洋訳『国富論』上、河出書房、232頁)とみた。だが、決してこの時代は未開などではなく、見事な自然調和文化が花開いていたのである。欲望が社会の掟、文化によって規制され、日常生活に必要なものが生産され、交換されていたのであった。
>そして、こうした自然の脅威にさらされている点では、縄文時代も現代も同じである。よく現代日本社会には「安全神話」が崩壊したか否かなどが議論されるが、宇宙的・地球的視野からみれば、我々は依然として自然の厳しい脅威にさらされているのである。貧富差緩和と治安強化で「安心」は維持されても、自然の脅威を克服できる社会はとうてい実現維持などできないのである。
>縄文時代が氷河期終焉による温暖化で現出したとすれば、現代の地球が工業化による自然環境破壊の影響としての地球温暖化で衰滅危機に直面しているとすれば、何という皮肉であろうか。人間とは、地球生物史上、自らの「自滅」の歴史を「進歩」「発展」と称する最も愚かな生物なのである。愚かな生物種人間が、この地球にもたらした危機的現状を知るには、縄文時代以降の歴史を学ぶことは不可欠なのである。
後はリンクへ飛んで読んでいってください。
http://www.jommon.net/index.html