縄文暦14000年!? 縄文ー古代ブログへの期待 |
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2008年01月03日
「奥深き縄文ワールド」アンコール版
今週は「奥深き縄文ワールド」のアンコール版です
縄文アートの不思議さが一層深まります。出典はこちらのサイトです
人面獣(いわき遠野出土)
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↑人面獣②(奈良橿原遺跡)
↑半漁人が何かを背負っている(中期・石川・上山田遺跡)↑その側面(同)
↑狩の様子(中期~後期青森韮窪遺跡)
↑同拡大・弓矢がはっきり描かれている
↑蛇の文様の原型?
↑蛇の飾り(中期・長野・曽利遺跡)
↑同、蛙の飾り
↑男女が対で飾られている
↑変わりものの土器(前期・長野・丸山遺跡)
これはゾウリムシ?
(ひも状の土をへらでくっつけたときに偶然出来た文様?)
↑縄文文様②(早期・鹿児島・加栗山遺跡)
縄文文様③(前期・北海道・亀田郡出土)
縄文文様④(早期・函館・中野遺跡)
※これまでの縄文土器を見ると、「縄文」の文様は初期の頃から縄を押しつけたものはほとんどなく、根気よく手で描いたものが大半のようである
↑次はヴィーナス2題、とても対照的な造形です↑
↑これは変わったところで彩色された太刀です(晩期・青森・八戸・是川中居遺跡)
↑これは朱塗りの弓です(同上遺跡)
最後は人面相土偶です。
これを見るとそう、縄文に心酔していた岡本太郎の「太陽の塔」がすぐに思い浮かびます
以上4回に亘って縄文ワールドをお届けしました。
くどいようですが「縄文ワールド」はその多様性、独創性、素朴さのせいで、土器も土偶も何回見ても見飽きることがありません。
しかし、この豊潤ともいえるアートの精神が弥生時代になると一挙にその勢いが失せてしますのはなぜでしょうか。
やはりその時代を覆っていた精神(=共認)世界のありようが弥生になって大きく変わったと考えるしかありませんね。
投稿者 ryujin : 2008年01月03日 TweetList
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コメント
投稿者 匿名 : 2010年8月5日 02:16
山菜の「ぜんまい」か「わらび」の紋様のついた縄文土器片を2010年3月27日に八王子片倉町の畑で発見しました。八王子椚田遺跡の土器と同じ縄文時代中期の勝坂式土器の断片とおもわれます。縄文人は早春に同じ場所からきまって毎年力強く萌えだす「ぜんまい」の渦巻きの神秘性に神の業を感じ信仰していた証拠ではないでしょうか。
投稿者 多田喜代治 : 2011年9月11日 01:08
土器の文様の妄想:
すばらしい労作が多い。
作るのにどのくらい時間がかかったか?
何日もかかったとしたら、備蓄食料が豊富だった?
作る喜び、オリジナリティ追求。
完成して嬉しく、飾って、使って楽しい。
皆自分で作ったのか?職人が居たのか?
長い習熟が必要!人には得意不得意がある。
作家が居たと思う!
隣の人とは違うデザインが欲しい。
一種のステイタスなんじゃないか?
良い作家は尊敬され、良い作品は高く売れたんだろう。
投稿者 菁莪翁 : 2012年3月20日 16:04
単純に自分で作ったものが分かるように目印を付けただけだと思います。
文字を知らず、自分の名前が書けなかったから模様で区別を付けたのでは。
投稿者 昧一 : 2013年9月15日 15:07
色の代用ではないかと思います。