縄文土器:必要だった!⇒貯蔵・煮炊きによって食生活が圧倒的に飛躍した |
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2006年11月10日
縄文土器の形・文様の意味~~自分たちの存在や仲間意識を示すマークでは!
日本最古(16500年前)の土器が青森県大平山元遺跡から出土しています。 縄文土器の特徴は、形は大きく色はあか茶色で大胆な印象を受けます。縄目、火炎および渦巻き模様が施されておりかなり複雑な装飾です。メソポタミア、エジプト、アメリカ、中国、ジャワ、チリ、エクワドル、南太平洋バヌアツ共和国で類似土器が出土しています。 🙄 縄文土器の発明はさーねさんの投稿にあるように食生活を大きく変えました。それだけではなく、移動型の狩猟生活から定住型の狩猟・漁労・採取の生活へ、生産様式にも大きく変化をもたらしました。
狩猟採集を中心とした生活では、つねに移動することを強いられますが、食べものを貯えられるようになって、人びとは集落をつくって暮らすようになりました。そして持ち運ばずにすむようになると土器などの生活道具はしだいに大型化して行きます。
縄文土器の変遷を写真で説明したサイトを紹介します。
http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/joumondoki.html http://www.gunmaibun.org/guide/6/6-2-2.html
土器の形はその時代の生活様式を物語る! ぜひ読んでみてください!
縄文土器の大きな特徴は表面に施された縄目の文様にありますが煮炊きや貯蔵という用途にはその必然性が見られません。では、なぜ、文様を付けたのでしょうか。
調べて見ましたが、最初に土器に文様をつけた理由は分っていません。当時、すでにあった「かご」をまねたという説がありますし、手元にあった縄を押したり転がしたら、面白い文様になったので流行したというだけの簡単な理由だという説もあります。
最初の理由はハッキリしませんが、後の文様の意味は、少しずつ分かってきています。
縄文土器の文様の中には、土器の周囲に物語を表現しているようなものがあります。こうした土器は、当時の宇宙・世界のこと、ムラとムラとの関係、人と人のつながりを表現していると考えられています。また、ヘビや鳥、狩りの様子、子供が生まれるときの姿など、具体的なものを土器に表現し、祈りや思いを込めたと考えられるものもあります。私は「土器の中の食べ物がいつまでもなくならないでいてほしい」「これからも豊かな食べ物にめぐまれたい」といった、人々の祈りの声が文様に込められている気がします。
こうした土器の表現が、広い地域に見られることは、次のように考えられます。
縄文時代には、地方ごとに共通の土器の形・文様がつけられています。そして、その地方の外には、別の文様があり、そうした人々の間にも交流がありました。だから、地方ごとの人々が、自分たちの文化を表現する方法として、また、同じ文化を共有する証明として、同じ文様を大切にしたと考えられるのです。きっと、土器以外のものにも、そうした文様は使われていたと考えられます。
言いかえれば、自分たちの存在や仲間意識を示すマークのようなものと考えられます。そして、そうした仲間意識が、親から子供へと受け継がれたことが、ある一定期間、土器に同じ文様がつけられたことだとも考えられるのです。けれど、何代にもわたって受け継がれる間には、手抜きがあったり、他の地方の文様とのブレンドがあったりして、いろいろと変化することもあります。
——– by mukai ———
投稿者 mukai : 2006年11月10日 TweetList
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