民俗学からみたアラハバキ(1) |
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2009年08月02日
古代の染脳工作+秘密警察機関~修験道登場の背景
日本の歴史は、実は征服者と被征服者の歴史である。
「修験密教」と言う独特の信仰・・・それは、列島の新支配者達の権力闘争と占領政策だった。
我が国に限らず、いくら建前の奇麗事を言っても、国家の本音には「諜報工作機関」は欠かせない矛盾として存在する。
(思いつくままウエブログ)より
ということで今回は、後の忍者~隠密などへと繋がる修験道の始まりについて紹介します。
修験道が何の為に登場したのか?、何を担ったのか? について、
『思いつくままウエブログ』さんを参考に、簡単に図解化してみました。
が、うまく描けなかったので、コチラ↓↓をご覧ください。( )
■■修験道の始まり■■
ポイントは、
・あからさまな武力支配ではなく、ゆるやかな共認支配戦略をとったこと。
・その為に、支配者自らを正当化する観念(古事記や日本書紀の神話)が
必要だったこと。
・その神話の共認形成を担ったのが修験道師たちで、神楽舞などで伝播。
・修験道師は剣術にも長け、時には武力行使も行ない、後の武士団に影響。
・武士団(警察力)の登場は、建前として国家制度に軍事組織を組込まな
かった為に、地方も含め軍事力(警察力)が弱体化した為と考えられる。
引き続き、忍者へと繋がる道を調べてみたいと思います。
応援いただけると元気が出ます!
投稿者 nishipa : 2009年08月02日 TweetList
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コメント
投稿者 怒るでしかし~ : 2009年9月5日 19:41
怒るでしかし~ さん、ゆくゆくはその、商人、殺し屋、宗教屋相互の関係、立ち位置などを解明してゆきたいと思っています。
投稿者 saah : 2009年9月8日 00:29
>ここにカルタゴと、ローマとの違いがある。カルタゴは商人の都市であるがゆえ(?)に、常に目先の利潤を優先し大局を見失ってしまった。愛国心などというものはここには見て取れない。
支配階層というのは、「殺し屋系」と「商人系」に分かれるのでしょうが、どちらも限界を抱えているのでしょうね。「商人」は「殺し屋」に寄生するが、時には「殺し屋」すら骨抜きにしてしまえる。そして、「商人」も「殺し屋」も「宗教屋」という大義名分を必要とするという意味で、その統合力は完全ではない。私権時代が安定と不安定を繰り返すのは、「商人」と「殺し屋」と「宗教屋」同士のいがみ合いが耐えないからなのではないでしょうか?