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2009年08月01日

民俗学からみたアラハバキ(1)

日本各地には、小さな社として、あるいは末社としてアラハバキを祀る神社があります。
しかし、アラハバキは『記紀』および『風土記』などにはまったく登場しません
この、アラハバキ神とは、いかなる神なのでしょうか?
○アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)信仰は、東北地方一帯に見られる民俗信仰。その起源は不明な点が多く、「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷(えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権・朝廷により東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とする説が唱えられている。歴史的経緯や信憑性については諸説ある。縄文神の一種という説もある。また、古史古伝・偽史的な主張と結びつけられることも多い。
アラハバキを祀る神社は東北地方に多く見られるが、関東以南でもみることができる。ただしそれは主祭神としてではなく、門客神(もんきゃくじん)として祀られているケースが多い。門客神とは、神社の門に置かれた「客人神(まろうどがみ)」のことで、「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話に登場する神々と立場を逆転させられて、客神となったと考えられている。アラハバキが「客人神」として祀られているケースは、例えば埼玉県大宮にある「氷川神社」で見られる。この摂社は「門客人神社」と呼ばれるが、元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたとのことである。(wikipediaより)
アマテラス(天津神)やスサノオ・オオクニヌシ(国津神)より古くから祀られていたのだとしたら、日本人の気質形成にも深く関わっていた可能性があります。
そこで、まずは、民俗学においてアラハバキ神はどのように理解されているかを2回に分けて、詳しく紹介したいと思います。
謎の神 アラハバキ より引用させていただきました。
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1.客人神(まろうどかみ),地主神(じぬしかみ)説
柳田国男氏は、『石神問答』において「諸国に客大明神(きゃくだいみょうじん)・客人(まろうど)杜・門客人(かどまろうど)明神杜などという小杜があって、それがアラハバキと称されることもある。いずれも神名・由来ともに不明である」と述べている。
また、柳田氏が編集した『綜合日本民族語彙集』には、「宮城県多賀城村に阿良波波岐(あらははき)明神杜、玉造(たまつくり)郡一栗村に荒鋤(あらはばき)権現杜などあり、参詣人は脛巾(はばき)を供える。武蔵国にも荒脛巾(あらはばき)神杜の例がいくつかある。」と記されているが、この神の由緒や信仰の特色などについてはふれられておらず、最後に「マロウドガミを見よ」とある。
客人神とは、その神社の主祭神との関係が深くない神で、主神の祀られている拝殿の一隅に祀られたり、「門(かど)客神」と称され随神のような所に祀られたりする神である。
客神が祀られるのは、外から来た神が霊力をもち土地の氏神の力をいっそう強化してくれるという信仰があったためと解釈されている。
このように客人神を外から来た神とする考えにに対して、折口信夫氏は、次のように述べている。
「地主神みたいな、神杜以前の土着神―おそらく土地の精霊―を、かえって客神として取り扱う。だからあべこべに、ほんとうの後来神または、時あって来る神を客神、客人権現などいう名で示していないのだと思います。」
つまり、客人神というのは、後来の神ではなくて、神社の建つ前の地主神、もしくは土着神だというのである。
石上堅氏も、『日本民俗語大辞典』で、アラハバキ神を旧土地神(地主神)と見る「門客人地主神説」を打ち出している。
「門客人を『ハバキ神』というのも、脛巾をつけて旅を続けて来たゆえの称呼で、元は、遠来の『遠津神(とおつかみ)』のことで、この神がほんとうは、その土地草分けの地主神であったのだ。それが、あとから来た今来神(いまきのかみ)に、その本殿を譲って、別殿の神となったのだ。遠津神という印象が、脛巾をはかせてしまったのであり、これがさらに神門に安置される左右の武臣にまで変る原因でもあった……」
中山太郎氏は、折口氏の考えを更にすすめて『地主神考』の中で次のように述べている。

①天孫民族が、我国に渡来せぬ以前に、先住民族によって祭られた神。
②天孫渡来後において、天孫民族以外の異民族によって祭られた神が、年時の推移によって、天孫民族の祭った神に取って代られる場合。
③同じ天孫民族が祭った神が、何等かの理由によって、他の天孫民族系の神と変更される場合。

先住民族と後来の民族の交替がおこたわれたという考えに立ってみれば、客人神となったアラハバキ神とは、母屋にいた神が追い出されて自分の家の庇を借りるような形で生きながらえている神といえることができるであろう。
(続く)
>遠来の『遠津神(とおつかみ)』のことで、この神がほんとうは、その土地草分けの地主神であったのだ。それが、あとから来た今来神(いまきのかみ)に、その本殿を譲って、別殿の神となったのだ。
侵略→支配という観点からみれば、先住の人々が祀ってきた神杜以前の土着神(おそらく土地の精霊)は破壊してしまうのが常であろうと思います。
しかし、日本では不思議なことに両者が共存しているのです。
このことから、日本においては、一方的な支配関係ではなく融合・融和という形で同一民族化が進んだと言えるのではないでしょうか?

投稿者 naoto : 2009年08月01日 List  

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コメント

なるほど分かりやすいです。
聖書に詳しいわけではないですが、旧約聖書と新約聖書の部分がつながらなくて、なんでああいう構成になってるんだか?
・・・そんなこともあって、できれば旧約聖書の部分とキリスト教が誕生する過程の部分があるといいなと思ったり。

投稿者 Hiroshi : 2009年9月6日 03:02

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