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2012年08月27日
縄文考“ヤマト”とは何か?本編6.漢字表記“大和”を探る
firstoilさんの「縄文考“ヤマト”とは何か?」シリーズもいよいよ最後になります。
-序-
1.中心軸の設定
2.なぜ“ヤマのフモト”なのか?
3.“ヤマト”を日本語で探る
4.アヤで解く“ヤマト”
5.“ヤマト”は縄文由来の言葉
と続けてきたシリーズですが、最後は「6.漢字表記“大和”を探る」です。
長文の引用になりますが、firstoilさんの想いの詰まった「あとがき」までお付き合い下さい。
本編も気になりますが、その前に“ポチッ” と応援をよろしく願います。
6.漢字表記“大和”を探る
なぜ、“ヤマト”は“大和”と漢字表記されるようになったのでしょうか?
“大”を“ヤマ”と読むとしたら、4章で考察した“アヤ”から考えると、ヤマ(山)はオオ(大)きいですから、それほど違和感はありません。しかし
“和”を“ト”と読むことは日本人の誰もが不思議に思うことです。
それでは歴史の流れから漢字表記の変遷を調べます。
下記は「ヤマト・ヒノモト・ワに関する年表」になります。
西暦 | ヤマト・ヒノモト・ワ関連 | |||
縄文時代 | ヤマト→地母神信仰 | イザナギ | 日本書紀 | 「昔伊弉諾尊(イザナギノミコト)目(ほめて)此国、 磯輪上秀真国(しわのぼるひつまくに)」 |
前660~ 前585 |
神武天皇 | 記紀 | カムヤマトイワレヒコ |
弥生時代 | 前300 | 水稲耕作 | ヒノモト→太陽信仰 | 57 | 垂仁天皇 | 前漢書 |
「倭」「倭人」
|
71~ 130 |
景行天皇 | 記紀 | ヤマトタケ
|
238 | 魏志東夷伝 | 「邪馬台」ヤマタイ?ヤマト? |
350 | 仁徳天皇 | 「ヤマト朝廷」国内統一。政治権力の名称 縄文由来の治世者 | ||
飛鳥時代 | 604 | 推古天皇 | 十七条憲法 | 一曰、以和爲貴、無忤爲宗 読みは「ワ」ではなく「やわらぎ」。役人の心得 |
607 | 「日出処の天子~」自主独立の理念 | 630 | 舒明天皇 | 遣唐使(第一回) | 681 | 天武天皇 | 国史の編纂 | 「天皇」「日本」を定める | 701 | 大宝律令 | 「大倭国」「日本」 | 702 | 文武天皇 | 遣唐使(第八回) | 久しぶりに派遣。新しい国号「大倭国」を認知させる |
奈良時代 | 712 | 元明天皇 | 古事記 完成 | 「夜麻登」 | 720 | 元正天皇 | 日本書紀 完成 | 「耶馬騰」・「椰磨等」・「夜摩苔」・「夜莽苔」・「揶莽等」・ 「野麼等」・「野麻登」・「野麻等」・「耶魔等」・「野麻騰」 |
738 | 聖武天皇 | 続日本紀 | 「大倭国」の名を改めて「大養徳」とする。 漢字表記からヤマトには道徳観念があると読みとれる。 |
747 | 続日本紀 | 「大養徳」の名を改めて「大倭国」に戻す。 漢文表現に偏りすぎたことへの反省か? |
757 | 孝謙天皇 | 続日本紀 神代巻口決 拾芥抄 |
天平勝宝年間に「大和」と改称 | 759 | 淳仁天皇 | 万葉集 | 十八巻まで「夜麻登」。十九巻から「和」 やまとごころ 賀茂真淵 ますらおぶり・雄々しさ |
平安時代 | 894 | 宇多天皇 | 遣唐使 廃止 | 1010 | 一条天皇 | 源氏物語 | やまとごころ 本居宣長 たおやめぶり・素直なこころ |
日本の歴史において「ヤマト」には下記の意味があるようです。
A. | 超越概念 |
B. | 道徳/理念 |
C. | 国号(国内・国外) |
D. | 政治権力の名称 |
E. | 都の名称 |
なぜ“和”が選ばれたのか?このことを考えるためには重要な土台が必要です。それは
注目すべきは“ワ”ではなく“ト”です。
いままで考えられている「和が選ばれた理由」は
① | 聖徳太子「十七条憲法」 以和爲貴(和を以て貴しと為し)の表記から |
② | 孔子「論語」 学而第一(第一巻)の十二 有子曰、禮之用和爲貴、先王之道斯爲美、小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可行也。の表記から |
③ | 「倭」と「和」は中国語の発音が同じだから |
等の理由で考えられていました。すべて関わりがあるように思われますが。
しかし“和”を“ト”と読むことの解読にはなりません。
そして、ヤマトの“ト”に漢字の“和”を当て嵌めた理由にもなりません。
なぜ、“ト”に“和”を充てたのか私の考えを述べます。
中国語においては“和”の意味は“and”です。日本語にすると“~と~”になります。
そのため“和”を“ト”と読ませていると考えます。
中国語は「和」、「跟」、「与」それぞれ「~と」と訳すことができます。なかでも「和」がもっともふさわしいのです。汎用性が高く、日本語の“~と~”に最も近いと思われます。
→10秒でココロをつかむ中国語講座
もうひとつ中国語において“和”の意味で頻繁に使われるのは“plus”です。
日本語にすると“足す・合わせる”です。この意味からも“和”には相互扶助の精神があることが読みとれます。
すでにネット上に掲載されている論考を読むと、“和”の意味が“~と~”・“足す”であることは知られていました。
けれども“ヤマトのト”に“和”を当て嵌めた理由だと結論づけられることはいままでありませんでした。
この論考で調べてきたように、並列助詞“~と~”には重要な役割があります。
757年から漢字表記は“大和”になります。
601年に第一回の遣隋使が送られています。それから“大和”の表記が757年に正式決定されるまでの150年の間にヤマト朝廷は大陸の文化を摂取するために漢字の意味を蓄積しています。
当時の役人が“和”に“~と~(and)”の意味があることを知らないはずはありません。
これ以降、漢字表記は変更されずに主流となり、日本人の民族性を表す漢字が“和”になりました。
実に、弥生時代に“倭”(ワ)・(ヤマト)と表記されてから800年以上の歳月をかけて、日本人自らが納得する漢字表記に落ち着きました。
“和”は“~と~”を表す。これが漢字表記“大和”の答えです。
最後に結びのウタを詠みます。
クニは揺れ ヒノモトのタミ ツナがれば
マトまり目覚め オオヤマトナル
私の友人は会社を辞め、被災された方々と“ツナがる”ためにNPO法人を立ち上げ岩手県釜石市の復興支援に向かいました。現在も仮設住宅の自治をお手伝いし、新しいまちづくりに邁進しています。
私自身は何も被災者の方々へお手伝いをできていませんが
現在の復興に向かい進んでいる状況と縄文時代の相互扶助の精神を結びつけることは、日本人の根源的に持っている分かち合う心を確認し、これからの国づくりのチカラになるのではないかと考えました。
CMプランナーの箭内道彦さんが震災後1年経った報道番組で
「つながろう」を風化させてはならない。聞き飽きたと言われようが絶対、風化させてはならない。
という趣旨の発言をされていました。
常に新鮮さを求めて新しいコトバやフレーズを産み出す業界にいる箭内さんが
「つながろう」に真剣に取り組んでいる姿に、このコトバの持つ根源的なチカラを感じました。
ここでもう一度、「つながろう」に強度を持たせる事ができないか?そのように考えはじめました。
「つながろう」「絆」は未曾有の大震災から復興への意志として日本人の底から湧きあがってきたコトバです。それは祖先が土器に装飾したツナ紋様と関わりがあり、もうひとつは相互扶助のツナがりを表す「ヤマト」と関わりあっていると考えられます。
投稿者 yoriya : 2012年08月27日 TweetList
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