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2012年03月24日

縄文考 “ヤマト”とは何か?-序-

みなさんこんにちは。
今日は、以前 当ブログで紹介させていただいた、「ツタ考」の作者のfirstoilさんの新シリーズを紹介させて頂きます。
firstoilさんは画家を専業としつつ里山保全等も活動されており、また「ツタ考」のよう日本人の持つ潜在感覚とに歴史事実に基づいて、縄文由来の世界観を洗練された表現で伝えてくれる方です。
今回は出来たてホヤホヤの新作 シリーズ「縄文考“ヤマト”とは何か?」の序文を当ブログで紹介させていただきます。
実際の中身の検証については序に続く本編で展開されていきますが、なぜヤマトに着眼しようとされたのか、この序を読むとわかるような気がします。
それでは、“ヤマト”の世界をご堪能ください。
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-序-
東日本大震災から一年が経ち、復興に向けて人と人とが“つながる”ことが重要視されています。この震災により日本人同士の“絆”を再確認することとなりました。
私たちは未曾有の震災から言葉を失い、徐々に復興に向けての言葉を産み出しています。
2011年をあらわす漢字は“絆”になり、“つながろう”も多く使われるようになりました。
この文章は“ヤマト”についての論及ですが、今の私たちにとって大切な言葉である
“つながろう”と“絆”を最初に取り上げて考えます。
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“繋(ツナ)がる”と漢字表記されますが、読みは名詞の“綱(ツナ)”と同じ音です。
“繋がる”の意味は
①つらなり続く。継続する
②ひかれる。ほだされる。
③結ばれる。関連する。(広辞苑より)
となります。“繋がる”の意味は“綱”の形状と関連する内容を多く含みます。
であるなら、名詞を動詞化して“つながる”になったと考えられます。
“絆”の語源は「動物をつなぎとめる綱」「引き綱」のことをいい、
「動物や人を束縛して動けなくする」ことから転じて、
「人と人の強い結びつき」「断ち難いつながり」という意味になったようです。
読み方は“キヅナ”と表記されますが、ここにも“ツナ”が使われています。
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どちらにも“ツナ”が使われています。だとしたら
震災後、日本人に必要な言葉には「ツナの思想」があるのではないでしょうか。
そしてそれは「縄文土器」と結びつきます。唐突に感じるかもしれませんが
縄文土器には装飾に“縄目文様”が施されています。
土器のカケラをみつけると必ずと言っていいほど縄を押し当てて転がしてできた縄目文様があります。
“縄(ナワ)”も“綱(ツナ)”も繊維を螺旋状に撚り合わせたロープですが、違いは太さにあります。装飾の意味は綱(ツナ)に隠されています。
縄文土器の縄目文様は“綱文様”と解釈することにより文様に込められた思いが理解できるのではないか、そのように私は考えています。
縄文土器に施された“綱文様”は人と人が繋がり合うことの重要性を説いた
「ツナの思想」を表します。
縄文時代における「ツナの思想」とは、どのようなことを重要視していたでしょうか。
縄文時代の社会状況から考えると、それは「生きること」「続くこと」が中心になります。
そのため、男女の性交によって“ツナがる”こと、そして子や孫に命が“ツナがる” ことになります。
それは「気が遠くなる程つづく、血縁関係や共同体に自らの存在を実感する」という
思想になります。
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もうひとつ、現在もっとも重要なのは
「人と人が助け合う相互扶助の“ツナがり”」です。
私は言葉の“ツナ”に込められた思いを考えると、日本語とは縄文人が積み上げて作り出した「ヤマトコトバ」であることを強く感じます。
これから日本語(ヤマトコトバ)は縄文時代から続く言語であるという前提に立ち、
ヤマトコトバ」の“ヤマト”にはどのような意味があるのかを推論します。
そこに縄文時代から続く祖先の知恵があると考えられるからです。

大和魂、大和撫子、確かに現在でも私たちはこの言葉を使う時に何か特別な思いを込めているようにも思います。そのヤマトがわずかに短い期間ですが、日本の国称になっていました。最初についた日本の名称はヤマトだったのです。きっと何か意味があるに違いない。
この序のfirstoilさんの問題意識に同化すれば、このヤマトの意味を追求する事が私たち日本人の意識の解明に一石を投じるのではないかとわくわくしてきます。
前回のツタ考は何度も推敲を重ねた美しい文章でした。これから紹介していく今回の“ヤマト考”の本編は美しいというより、著者がどきどきしながら追求している過程が伺えます。当ブログへの寄稿は少し先になりますが、本編の掲載を、せひご期待下さい。

投稿者 shinichiro : 2012年03月24日 List  

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コメント

注連縄、たしかに蛇ですね。
交尾の映像をみさせてもらいましたが、まさに注連縄です。
蛇の目ミシンというのが昔ありましたが(今もあるのでしょうが)、あれも蛇信仰と何か関連があるのでしょうか?

投稿者 むーむー : 2013年1月6日 17:19

コメントありがとうございます!
蛇が絡まり合う映像は何か見てはならないものを見てしまった気持ちになりますよね。森の中で出会ったら目に焼き付いて離れないはずです。蛇信仰の原点だと思います。
蛇の目ミシンについてですが、この疑問はすでに巳右衛門隊長が調べ上げています。
隊長のHPをご覧くださいね。
「蛇の目ってなんぞや?!」
http://www.janonet123.com/index/09_janomette/09_janomette_top.html

投稿者 ハミハミ王子 : 2013年1月6日 22:34

明けましておめでとうございます。
今年の干支の縁起物で「薬師窯 招福干支正月飾り錦彩招福巳(紅白福結び)」と言うのを見つけました、紅白二匹の蛇がとぐろを巻いて金色の卵を抱いています、私にはとても日本的な宇宙観(世界観)を現している様に思いました「紅白巳二重螺旋金福卵抱き」です。
私の家の一番近い所に住んでいる蛇は「やまかがし」「しまへび」でしょうか、家の中に入って来た時は皆でどたばたです、皆苦手なので外へ追い払います、今年の課題は蛇と遊べる様になる事=もっと良く知る事でしょうね、無知が恐怖の原因になりやすいですから。
「かが=へび=かがみ」ですか、人は蛇に自分を投影している(見ている)のでしょうね、保育園の息子は「やまたのおろち」の話が好きで動画の物語を暗記していました、蛇は水や川の流れ、風、渦などの自然現象の基本的な見方(感じ方)ですよね、そして水の特徴でもあります、と言うより「温度や圧力、重力」などによって変化する「作動物質の象徴=水」。
水のもう一つの特徴は「溶かし込み運ぶ」働きが在ります、詳しく書くと長くなるのですが「水が持っている特性はそのまま人の特性に類似している」「70%以上が水で出来ている人の体は、地球の水の一部を骨で支えて袋で包んだ動く水袋」では無いのでしょうか。
食物連鎖を詳しく見て行くと「死」は必ずしも終わりではなく、引き継がれる生命の糧になります、今は火葬にされるので実感し難いのでしょう、言い方は悪いのですが3.11で実感したのは「人の体」は特別な存在ではなく、自然の中では比較的大きめなほ乳動物、津波で海に流された人も捕食者にとってはうさぎや豚が流れて来たのと変わらない。
二匹の蛇が交尾する姿は「生殖器」で遺伝情報を伝えるとともに「五感の全てを使って何かを伝達しています、絡まった姿は螺旋を描いて回転しながら進む形、男女が手を繋ぎ唇を会わせ、まぐわう姿は単純かすれば「環=循環とはしご」何故か二重螺旋(DNA)と重なります。
水そのものに「善悪」は在りません、しかし「多すぎる水も少なすぎる水」も生命の維持には支障を来します、蛇が悪い訳では無く「蛇の中に人(水)の特徴を見ている」エデンの園で智慧の木の実を食べて智慧がついた訳では無く「真理を見落として不安になった」としたらどうでしょうか。
「ホツマツタエ」には双子の様な「ミカサフミ」が在ります、私の勝手な解釈ですが(駄洒落です、ホツマを読む様になってから駄洒落が多くなりました)「ホツマツタエ=三輪の臣=オオタタネコ」「ミカサフミ=三笠の臣=オオカシマ」さんが編纂しています。
「ホツマツタエ=ミワ=身環=体が循環する=生まれ変わり=不死=命の木」
「ミカサフミ=ミカサ=身量=巳の量が増える=知識(真理)を知る=智慧の木」
憶測では在りますが「双子の様な内容で在りながら、あえて二つに分けている理由」は「智慧と命、心と体、善と悪、など、一見二つの対立した概念が本当は一つの存在の表裏(一体)であり切り離す事は出来ない」と言っている様に感じませんか。
しめ縄が、自分を絞めてしまわない様に気をつけたいものですね、でも暴走を止めている可能性も有りますね。
かなりとんちんかんな持論ですが如何でしょうか、判らない事ばかりです。
巳年の千年螺旋さんにとって良いお年であります様に。

投稿者 東北在住 : 2013年1月8日 09:45

すみません、「持論」ではなくただの「寄せ集め」ですね、失礼しました。

投稿者 東北在住 : 2013年1月8日 09:58

東北在住さん、あけましておめでとうございます。
へび信仰は考察するとアイデアが湧いてきますよね。
僕は水の神・蛇よりも形体がツル・ツタに似ていることが最も重要だと考えています。
そして最近、新しい考察に“ウロコ”について考えています。
まだ、まとまっていませんが文献学と日本美術の意匠から導き出すことはできないかとぼんやり思索中です。
実は私、蛇を描いていますが子年の生まれなんですよね。はははっ

投稿者 ハミハミ王子 : 2013年1月9日 09:06

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