2012年3月6日

2012年03月06日

日本人はいつモノを考え始めるのか 終章

このシリーズはこれまで18回の投稿を重ね、日本人の支配層と庶民に分けてその意識の有り様を通史的に見てきました。まずはその投稿のインデックスを示します。参考にクリックして読んでみてください。
1部「弥生時代の解明」
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2部「支配者から見た属国意識」
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3部「庶民が作り出したお上意識」
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4部「明治以降の支配者の変遷」
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5部「天皇主義の行く末」
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これまで見てきたように支配層は渡来時代に持ちこんだ属国意識が未だに抜けきれず、危機になればこの意識が持ち上がり、長きものに巻かれる体質は2000年経過した現在でも根強く残っています。
また、一方の庶民の方はというと、こちらもやはり同じように縄文由来の集団性、共同性を温存させており、その代わりとして集団を超えて社会を捉える意識が極めて貧困で、お上意識に代表されるように社会を統合する課題は全てお上に任せ、そのお上の存在を捨象する状況に長くありました。
明治以降、列強国からの植民地圧力=外圧の高まりに併せて庶民の意識は共同体内を超えて、社会や超集団を捉えたかのように見えますが、いったん外圧が緩めば元の社会捨象、政治捨象へと意識が下がっていきます。現在、日本を取り巻く外圧は経済的にも諸外国からの圧力から見ても高まりつつありますが、ここに来ても庶民が自ら立ち上がる気配は出てきません。
今回のテーマの最終的な追求ポイントは、
果たして庶民はこのまま思考停止の状態で今後も続いていくのか?あるいはどこかで転換するのか?その基盤は1万年間続いた縄文の歴史にあるのか?あるとしたらそれは何か?
~このあたりに絞り込まれると思います。
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投稿者 tano : 2012年03月06日