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日本人はいつモノを考え始めるのか 終章

このシリーズはこれまで18回の投稿を重ね、日本人の支配層と庶民に分けてその意識の有り様を通史的に見てきました。まずはその投稿のインデックスを示します。参考にクリックして読んでみてください。
1部「弥生時代の解明」
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2部「支配者から見た属国意識」
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3部「庶民が作り出したお上意識」
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4部「明治以降の支配者の変遷」
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5部「天皇主義の行く末」
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これまで見てきたように支配層は渡来時代に持ちこんだ属国意識が未だに抜けきれず、危機になればこの意識が持ち上がり、長きものに巻かれる体質は2000年経過した現在でも根強く残っています。
また、一方の庶民の方はというと、こちらもやはり同じように縄文由来の集団性、共同性を温存させており、その代わりとして集団を超えて社会を捉える意識が極めて貧困で、お上意識に代表されるように社会を統合する課題は全てお上に任せ、そのお上の存在を捨象する状況に長くありました。
明治以降、列強国からの植民地圧力=外圧の高まりに併せて庶民の意識は共同体内を超えて、社会や超集団を捉えたかのように見えますが、いったん外圧が緩めば元の社会捨象、政治捨象へと意識が下がっていきます。現在、日本を取り巻く外圧は経済的にも諸外国からの圧力から見ても高まりつつありますが、ここに来ても庶民が自ら立ち上がる気配は出てきません。
今回のテーマの最終的な追求ポイントは、
果たして庶民はこのまま思考停止の状態で今後も続いていくのか?あるいはどこかで転換するのか?その基盤は1万年間続いた縄文の歴史にあるのか?あるとしたらそれは何か?
~このあたりに絞り込まれると思います。
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最初に答えから提起して起きます。
思考停止は必ずどこかで反転する。(日本人はモノを考え始める)
可能性の基盤は縄文以来、現在まで続いてきた日本人の共同性の中にある。
さてこの根拠をこれから書いて行きたいと思うのですが、その前に今回の主題である「モノを考える」という部分を少し掘り下げておきたいと思います。
モノを考えるとは最もシンプルに言うと外圧を捉えるという事だと思います。
外圧を捉える事で脳みそが動き出し、次々となんで?思考で追求していく。外圧を捉える事で次々と課題が登場し、それに答えていく。これがモノを考えている状態です。
外圧を捉えるとは限定した枠の中だけではなく一番おおもとの社会やその外の地球規模の外圧まで含まれます。
日本人ももちろんこれまでモノは考えてきたのですが、外圧を捉えるという部分で言えば超集団=社会の統合課題は常にお上が考えてきたわけで、本当の意味で集団外の外圧まで対象化してきませんでした。
つまり共同体内の事は考えてきたけど、その外の社会の事(外圧)は考えてこなかった、これが日本人のこれまでモノを考えてこなかった実態であり、原因です。
政治は政治家が行ない、庶民は生活を考える、それはこの国でも同じじゃないかという反論が聞こえてきそうですが、お上が共同体に配慮し、庶民は共同体を維持することでこれまで来た日本人の思考体質は島国故の外圧が加わらない環境と併せて、とりわけ外圧を真正面から捉えるという機会がなかった国民なのです。
平たく言えば、お上捨象(社会課題捨象)と共同体埋没が考えない日本人を作り出してきたとも言えます。
しかし、これは支配系渡来民が来て以降の状況です。それでは縄文時代、弥生時代はどうだったのか?モノを考えていたか?
 後の答えに繋がるかもしれませんので縄文時代の集団とそのネットワークを述べておきたいと思います。
縄文時代は採集、漁労の生産様式です。温暖期に人口が急激に増え、東北地方、関東、中部地方では集団間の縄張りが接触し集団の緊張圧力が高まります。丁度三内丸山が拡大した5000年前の頃です。その時に縄文人達は何をしたのかというと贈与と人材交流です。
黒曜石や翡翠が広域に贈与として運ばれたり、集団間で女や男を交叉したりしてこの時代に共同体を繋ぐネットワークは飛躍的に広がっていきました。
1万年間戦争や大量の殺戮がなかった縄文時代とは争いを止揚するために集団間をどうするについてモノを考えた時代とも言えます。
これは弥生時代も同様です。呉や越の渡来人が次々と渡来し、その文化や技術を吸収し集団が大型化、当然集団間での揉め事や調整事は増えていきますが、古墳や土器の様式を揃えたりすることで集団間の連携を図り、連合という形でクニつくりがすすられます。大王は持ち回りで連合に加わる首長が持ち回りでなり、争いを避けるシステムがつくられました。弥生時代までは縄文から続く集団や共同体をどうするの延長上に国家が乗っかっていました。そういう意味では弥生時代は庶民も首長もともに外圧を捉え、モノを考えた時代だったと思われます。
やはり、状況が一変したのは朝鮮系支配者が渡来した1600年前の大和朝廷以降でしょう。
この後のくだりは当ブログでこれまで展開してきた通りです。支配者と庶民に完全に課題が2分化され、さらに互いに干渉せずという状態を作り出したが故に、庶民は社会を考える、外圧を捉えるという課題から離れ、モノを考えなくなっていったのだと思います。あるいは狭い枠の中で、限定された枠の中でしかモノを考えないようになっていきました。

さていよいよ本題にはいります。
・思考停止はかならずどこかで反転する。(日本人はモノを考えはじめる)。
・可能性の基盤は縄文以来、現在まで続いてきた日本人の共同性の中にある。

この根拠をこれから考えていきます。
共同体どうする?でモノを考えてきた日本人は国家や地域といった社会的発想に最も弱く、ある意味もっともモノを考えない民族です。しかしそれが次代の牽引者になる上で最も可能性があるのではないかと考えています。
 大きな歴史のパラダイムを私権社会と私権社会以後に分けた場合、現在はその過渡期で、日本は世界の中でもいち早く大衆レベルで貧困が消滅し、私権原理から共認原理へ社会も大衆の意識も大きく動いてきています。現在はその中にあって上位の統合階級が私権原理にしがみつき、大衆は私権原理では活力が出ないので共認原理で動くといった分断された状態にあり、なおかつ、共認原理はいまだ明確に観念化(言葉化)されておらず、これが社会の統合不全、収束不全を生み出しています。日本は私権社会の純度が低い分、世界の中でも最もそれが進行していると言えるでしょう。
この(私権)観念では統合できないので、観念自体を半ば無意識的に放棄している状態が現在の思考停止の実態です。しかし、本来、考えるという行為は外圧をとらえる為の行為で、頭の先端で観念的にこねくり回すのではなく、まだ言葉にならない潜在思念や周りや仲間との間に生まれた新たな可能性が言語化されていって初めて考えることができます。
最もモノを考えることから遠い日本人が最も可能性があるのではないかという理由はそこにあります。つまり、私権時代につくられた近代観念や現実捨象の為の宗教思想がほとんど定着しておらず、あるいは歴史が浅く、それらが使い物にならないと既に意識下で感じている庶民はお上意識という蓋が外れた途端、潜在思念が顕在化し、追求に移行するのではないでしょうか?余分なものがない分、真っ白な分、可能性がもっともあるのが日本人なのではないでしょうか。
そして日本人がモノを考え始めるとしたらやはり過去の歴史同様にきっかけは外圧の変化です。
現在日本人を取り巻く外圧は否応なく大きくなり顕在化しつつあります。フクシマ原発事故以降、政治や官僚の無能ぶり迷走ぶりは露呈し、アメリカは国内の矛盾をすべて日本に押しつけようとして露骨に要求が激しくなっています。隣国中国もアメリカから覇権国家の位置を奪い取ろうと日本を踏み台にして経済発展していっています。
国内では経済破綻だけでなく、少子化問題から就労問題、教育問題とどんどん課題は難しく先行きが見えない状況になっています。
これら外圧の高まりがさらなる収束不全を生み出しているとも言えますが、いよいよここにきてモノを考え始める基盤が整いつつあります
それが、現在若者と企業社会の間で進行中の充足基調です。
この充足基調とは何であれ対象を「どうやって充足するか」「どうすれば充足できるか」という視点で捉える発想です。そしてその充足主体とは必然的に周りであり仲間、集団になります。したがって回りの充足が羅針盤になって自らが充足する。言い換えると共認充足を作り出していく空気がこの充足基調の出処ですこれによってこれまでの否定から肯定への逆転が可能になり、潜在思念をベースにした可能性探索が可能になります。
若者と言ったのはバブルを経験していない世代で仲間収束をし始めた現在の20代前半までの若者達を指します。企業は中小企業を中心に利益追求から社員の活力上昇へ目を向け始めた、いわば共同体経営を模索する企業を指しています。なぜ企業かといえば、企業とは常に最先端の外圧を捉えており、健全な経営を続ける上で社員の仕事場面での充足に真っ先に目を向け始めている主体だからです。会社の空気をこの充足基調に舵を切る事ができればとりあえず「当面10年は勝てる」というくらい今や企業経営の中心価値になってきています。
~るいネット参照「6/27なんでや劇場レポート「日本人はいつ物を考え出すのか?」共認充足が最大の活力源。’10年代はそれだけで勝てる [21]
私はこの収束不全から充足基調への転換こそ日本人がモノを考え始める転換点になるのではないかと思うのです。簡単に書くと以下のような流れで、やがて答え追求に向かいます。
(日本人特有の共同性の再生)
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つまり、充足基調とは必ず回りの期待発掘に向かい、その期待の先には「社会をどうする」「現在どうなっているの?」といった可能性に繋がる答え欠乏が登場するのです。
かつては村落共同体を持続させる事によって縄文以来の共同性を温存させてきた日本人は都市化で一旦共同体を失いますが、あたらな共同体=共同体企業によって共認力が再生されます。歴史的にも外圧が高まる度に、民族意識が高まり共同性が刺激され、これまで日本人は諸外国から見れば奇跡と言われるような変化を度々遂げてきました。
明治維新しかり、戦後復旧しかりです。そして今回加わっている外圧は私権パラダイムの転換という過去のそれらとは比べものにならないほど大きく質の異なるものです。地球規模のこの危機に日本人は初めて外圧を捉え、モノを考え始めるのではないか?当ブログでは期待もこめて、そう予測します。
もちろん、現在でもマスコミの共認支配は続いているし、多くの人の危機意識はそこまで上昇していない段階ではありますが、一握りの人がまず危機を捉え、充足基調に可能性収束しそれがその周囲に広がるーその図式でやがて数年以内には日本人の共同性をベースにしたあたらな動き、社会が登場してくると思われます。
最後になぜ可能性は企業なのか?を扱っておきます。
縄文時代がそうだったように、日本人は共同体のネットワークを作るのに長けています。そして危機の際にはそのネットワークを通じて答えを洗練させていきました。
共同体はどんどんネットワークで繋がる事で期待圧力は大きなものになり、単一集団の時より追求する答えも精度も上がっていきます。企業の共同体化とそのネットワーク作りこそが日本人がモノを考え始める為のインフラになると思える所以です。向こう10年、充足基調の進行と併せてその整備が進められていければと思います。
シリーズ「日本人はモノを考えられるか」は今回で終了します。
共同体ゆえにモノを考えてこなかった日本人は、その共同性ゆえにモノを最初に考え始める民族に転換していく可能性を有しています。最後に日本人の観念力に関して書いた最近の るいネット投稿 [22]を紹介します。長らくのお付き合いありがとうございました。(管理人 tano)

日本人は、よく西洋人などと比べて観念収束力が弱いと言われる。確かに、宗教で国を統合しているわけでもないし、外国と議論をするとほぼ完敗。現に政治や外交などでは騙されっぱなしだ。
でも本当にそうなのか?
観念には2つの使い方があるのだと思う。
ひとつは、みんなが充足のために使う観念。
もうひとつは、自分が充足するために使う観念。

今年の震災時の例などでも、統合階級の無能っぷりは置いといて、一般大衆は何とか危機を乗り越えようと必死に工夫し対応している姿を見ると、決して考えることを忌避しているわけではなく、みんなが充足するために「どうする?」と考え続けているのではないだろうか?
(中略)
つまり、日本人は自分が充足するために使う観念に対しては収束力が弱いが、みんなの充足のために観念を使うという、もともとの観念機能の使い方を色濃く残した存在なのではないだろうか?
観念とは、発信するのも受信するのもどちらの使い方をするかで、認識の仕方が変わってくるものだ。つまり、旧観念力が貧困なだけであって、それらを捨てさえすれば本来の観念力を発揮し適応していくのではないだろうか

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