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2012年05月10日
「日本人の起源」を識る~エピローグ~最後の渡来O2b,O3は何を与えたか?
シリーズ「日本人の起源を識る」も今回でいよいよ最終回となります。
これまで7回の記事を重ね、日本人の出自、列島内での動きから日本人の形成過程を見てきました。今回の記事ではその流れを総括的に押さえると共に、現代にいたる日本人の連続性を見ていきたいと思います。
まずは現在の日本人のY遺伝子の分布状況です。
東京、徳島、九州で分布を見てみます
C1:C3:D2:O2b:O3
東京 1 : 2:40: 26:14
徳島 10: 3:36: 33:21
九州 4 : 8:28: 34:24
上記でわかるのは、東京、徳島ではD2が最大勢力で九州に行くとO2bが最大勢力であるという事です。またいずれの地域もD2、O2b、O3で8割を占めています。
この3つの遺伝子が日本人の性質を形成している生物学上の遺伝子と言えるでしょう。
このシリーズではこれまでも提起してきたように縄文人を規定している遺伝子はD2であり、そのD2に言語と漁撈文化を与えたのがC1と想定しました。つまり、O2b、O3はかなり後になって日本人に加わってきた一派なのです。
ここから先の議論をわかりやすくする為にO2bは中国江南地方の稲作をもたらした江南人、O3は1700年前以降に日本にやってきた好戦的朝鮮系渡来民~いわゆる「騎馬民族系遊牧民の末裔」としておきます。当然、O2bに朝鮮系渡来民もいればO3に農耕民もいるとは思いますが、その渡来経路と与えてきた文化から固定化しておいたほうが歴史が見えやすくなると思います。
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また、この日本国内で4つも5つも共存する遺伝子群は他の地域、国に行くと様相が異なります。或いは日本では3つの主要な遺伝子系統が分散しているのに対して他の地域では多くて2つ、極端には1つの遺伝子に統合されています。
事例を紹介します。
以下は華北、台湾、朝鮮です。
C3:O1:O2b:O3
華北 5 : 0: 2 :66
台湾 1 :69: 0 : 7
朝鮮 11 : 3:36 :38
華北や台湾はほとんど1つの系統、朝鮮でも主流は2つです。このように日本のような多様な分布を見せないのが世界の標準なのです。
なぜこのように遺伝子が整理されていくか?これはおそらく日本以外の地域と日本とで古代の戦争の度合いが異なるからだと思われます。中国も朝鮮も古代に激しい戦争を経験し、その生き残りが国家を形成してきました。逆に負け組みは奴隷として支配されるか、周辺地域に離散、それぞれの地で定着していきました。日本はその負け組みが到達した一地域だったのです。
これらの特徴を現すと日本の民族は以下のようになります。
・多様な遺伝子系統が並存する事のできた珍しい国である。
・多様な遺伝子系統が存在するにも関らず、国民の大きな差が発生していない。
・後着の遺伝子系統が先住遺伝子系統を駆逐していない。
これは日本が歴史的にほとんど戦争らしき争いを国民規模で行なっていないという事を言っているに過ぎないのですが、改めて日本人の起源、経路からその事実を押さえてみたいと思います。
人類はアフリカで誕生しますが、約10万年前に脱アフリカし、中東、インドを経て現在の東南アジアが陸化したスンダランドに多数集合します。約5万年前の頃です。
スンダランド定着が進む一方で、インドガンジス川上流域に留まった一派がさらなる温暖化で北上する森林地帯に併せてチベット地域、中国長江流域を経て東へ広がって行きます。
彼らは総じて森の中で狩猟採集する特徴を有していました。彼らが後の日本人の源流になったD2の民ではないかとこのブログでは論じました。森の民で土器を擁したD2は1万6千年前の寒冷期に南下して日本列島(九州北部)に到達し、海流で大陸と列島が切り離されるとその後の縄文人の基層として定着拡大していきます。
また、同時期に武器を携えて大型動物を追って北上したのがC3の民であり、彼らはユーラシア大陸の草原地帯に広く分布、そのうちの一派は2万年前前後にアメリカ大陸に渡っています。日本にもまだ大陸と繋がっている時代に北海道上部から入り込み、縄文時代より前の旧石器時代に拡がって行きます。
一方、スンダランドに定着した一派は火山噴火、海面上昇により周辺地域に離散、その一派はC1系統として1万2千年前に日本列島に漂着、定住します。
日本列島ではこの1万2千年前前後にC3、D2、C1の3つの系統の民族が居住地を分かれて定着していたと思われます。その後最後の特殊寒冷期ヤンガードリアスが約1300年間続きますが、この時期に狩猟の民C3はほぼ絶滅、D2は南下して九州南端でC1と融合、南方的性質を有していたC1がD2に言語的影響を与え、その後の日本人の言語基層になっていきます。
縄文時代はヤンガードリアスを挟んで1万年前から温暖化していきますが、4千年間の温暖期に本州最北まで移動、定着し、南方的特性を引き継いだD2系統が南から北まで広く分布、そしてその一派は火山噴火などを契機に海を越えて北海道に渡り、現在のアイヌ民族の源流に繋がっていきます。同様に7千年前の歴史的噴火である鬼界カルデラの火山噴火により九州南端居住のD2が沖縄まで移住、同様に縄文人の末裔となっていきます。
縄文時代は温暖化が進んだ1万年前以降においても1000年単位で寒暖を繰り返し、その度に食糧源となる樹林地域が上下動、それに併せて民族も移動、縄文時代終盤には列島内の言語と民族がほぼ同化、統一していきました。その意味では海に囲まれて逃げ場のない中で激しい気候変動と縦長の地形が多民族の集合体である日本人を単一民族にした背景にあったとも言えます。
さて、O2b、O3の話に入ります。
後発で日本人の仲間となった02b、O3はこのような状況のなか、日本列島に入り込んできたのです。O2b、O3はすでに大陸で一定の成熟した文化を形成してきており、当然戦争やその結果としての私権社会の波にももまれています。
渡来した彼らが日本列島に新技術(稲作や製鉄)をもたらし、私権社会の仕組み(支配、制度、文字)をもたらしたのは事実ですが、彼らもまた基層であるD2民の縄文人に吸収され、同化していったのではないかと思われます。
個別に見れば、約4千年前から徐々に少数で渡来し、縄文人に融和していった江南人(O2b)は弥生人として日本人化し、1700年前に集団ごと渡来したO3は長くその独自の渡来文化を日本の中で天皇を中心とする貴族社会として存続させていきます。しかし、それとて、渡来して400年もすれば、日本人の共認域に同化し、渡来文化を日本流に変化させ広げていきます。
それが漢字文化のカナ化であり、仏教の大衆化であり、建築や絵画、文学などへ反映されていきました。そして何よりも彼らが日本風に変わっていったのが、同類の戦いを避けるシステムを国家運営で設けた事です。その結果、O3の渡来民は自らの勢力を国内で拡大する事を望まず、ひたすら京都や奈良の地域で定着していきました。
O3が中国ではほぼ全域に拡大し他の系統が排除されたのに対し、日本だけは03が2割も居ながら、その拡大には至っていません。文化は拡げたけど、民族間闘争はしなかった。結果、O3やO2bが日本で与え、拡げたのは単に大陸の技術や文化に留まったのです。
そう考えると、日本という地に訪れたいずれも民もこの地に馴染み、同化し、日本人になっていったと言えるのかもしれません。日本人の起源を困難にしている要因の一つに多民族が流入し、日本の風土に同化した~それほどこの極東の島には引力があったという事を上げてもよいように思います。
日本人の起源インデックスです。
「日本人の起源」を識る~プロローグ
「日本人の起源」を識る~1.日本海の形成によって始まる縄文文化
「日本人の起源」を識る~2.前縄文時代の解明(狩猟・移動の民C3)
「日本人の起源」を識る~3.縄文人を作った採集の民 D2
「日本人の起源」を識る~5.日本に南方の風を吹き込んだ海洋の民「C1」
「日本人の起源」を識る~6.アイヌ民族の謎(縄文人D2の末裔か、狩猟系C3の末裔か?)
長らくのおつきあいありがとうございました。
次回シリーズはこの多様な島~日本を統合した本質は何か?それはひょっとすると言語ではないか?という仮説を建てて検証していきたいと思います。お楽しみに。
投稿者 tano : 2012年05月10日 TweetList
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コメント
投稿者 人類 : 2015年10月25日 15:29
あ、今の呼称だとO2b1aはO-47zですね。
ここで言うO2b*はO-M176(x47z)
分かり易いが分かり難い。
投稿者 人類 : 2015年10月26日 01:01
O2bに関してはO2b*とO2b1aの違いについて論じるのが良いかと。
他の記事でもコメつけちゃいましたが・・・
中国朝鮮のO2bの圧倒的主流O2b*と日本のO2bの主流O2b1系はだいたい八千年前とかの47Z突然変異によって系統が別れたもので、これらの混同が不正確な俗説を広めてしまっています。