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2011年10月25日

「日本人の起源」を識る~3.縄文人を作った採集の民 D2

tibet04.jpg20110813-00000306-soccerk-000-0-view.jpg左の写真はこちらより。
チベット人(D1) 日本人(D2?)・・・なんとなく似てる?
今回はC3に続いて日本にやってきた、D2系統の人々について明らかにします。
前回の記事で明らかにしたように、人種分布においてC系統は世界中に広く分布しており、北はユーラシア大陸の高緯度地域に広がり、一部は北米まで至っています。また南に目を向ければオーストラリアからニューギニアまでこれまた広い分布を辿っています。
一方、今回扱うD系統(出アフリカの第二グループ)の分布の範囲は、C系統に比べると極めて狭く、日本列島、朝鮮半島の一部、チベット高原、モンゴルに存在しているに過ぎません。
大きく特徴付けると、拡散するC系統、適所にまとまったD系統と差別化できるでしょう。
現在の日本で、D2の人々の分布(各地域の人口に占める割合)は、次のようになっています。

(崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』より)
日本列島の随所に渡って高い数値です。またこのように高い集積が見られるのは、日本だけであり、これは世界的にも非常にまれな現象なのです。
なぜD2は日本にしかいないのでしょうか?D2が縄文文化を中心に担ったのでしょうか?今回は「D2」系統の人々の由来、そして日本にもたらした影響を、前回記事の「C3」系統と比較しながら探ります。
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1.D系統はインドから温暖樹林帯に沿って移動(適応)してきた採集系の民!
4万年前の寒冷期、乾燥期の同時期にD系統も移動しています。D系統はC系統より少し遅れて(おそらくは5万年前)アフリカ大陸から移動しており、一旦はインドガンジス川中流の森林地帯に分布していたと思われます。しかしガンジス川中流も寒冷期には乾燥し、D系統はガンジス川を上り、湿潤地帯となったタリム盆地に移動します。そしてさらに3万年前の温暖期には、森林が広がったモンゴル高原まで北上しました。
D祖型は現モンゴル(ハルハ~モンゴル高原と中国東北部の中間に近い位置~)に存在すると言われており、その意味でもこの時期にかなり長い期間モンゴル高原に居住していたものと思われます。モンゴル高原とバイカル湖は約1,000km離れていますが、バイカル湖周辺とモンゴル高原はこの時期、草原と森林という大きな違いがあったと思われます。
D系統の最大の特徴は現在の居住域と移動経路から推定すれば、温帯地域の森林適応という点であり、ここから明らかに木の実を主食とする採集生産を基本的生活様式としていたことが伺えます。

また、中国東北部で栄えた興隆窪文化(8000年前~7000年前)は、クルミなどの堅果類の採集、シカ類を主な対象とする狩猟、河川での漁労が主な生業であったことが明らかになっていますが、33,000年前と12,500年前以降の温暖期の植生は近似している「シリーズ1.日本海の形成によって始まる縄文文化」参照)ことと考え合わせれば、やはり33,000年前のこの地方の生業も「採集狩猟漁労」だったと類推できます。
D系統は3万年前からの寒冷化に伴い南下しますが、それは温帯適応の落葉広葉樹林帯の植生移動に併せて移動したのでしょう。従って、D系統は採集、漁労といったまさに縄文人の文化的特質をその民族の生産基盤として古くから擁していた民族であったと言えるのではないでしょうか?
このD系統は3万年前以降の寒冷期には再び植生の移動と共に南下し、中国長江流域で1.8万年前には最初の土器を発明しています。(※中国湖南省の洞窟で世界最古1.8万年前の土器が発見された~米ボストン大学や北京大学などの国際研究チームが発表 2009年~)
土器は移動の民には必要なく、採集生産で半定住の民であったD系統が土器を発明したのはほぼ間違いないでしょう。D系統は温暖、寒冷を繰り返す2万年前から1.6万年前にかけて南下、北上を繰り返し、その一部はまだ大陸と繋がっていた朝鮮半島の先端を越えて日本に入ってきたと推測されます。
2.1.3万年前の寒冷期に、モンゴル高原から、南下する森林帯を追ってやってきたD2が縄文人!

(環境変化と縄文社会の幕開け~藤山龍造著より)
1.6万年前~1.3万年前がD系統の日本流入期と思われ、1.3万年前のオルダードリアス期に多く南下したと推測します。

D系統の日本列島への本格的な流入は温暖期の中で訪れる寒の戻り(オールデストドリアス期(1.5万年前)やオールダードリアス期(1.3万年前))の度にあったものと思われます。既に1.6万年前から中国華北で土器による定住文化を続けていたD系統はその生活様式を持ち込んで日本での縄文文化(定住、採集)の基盤となっていきました。12,500年前に海水面の上昇によって朝鮮半島と日本が切り離されると、D系統は日本列島に封じ込められ、D2となります。因みにD2は日本にしかいません。(朝鮮半島にもD2が一部存在しますが、数が少ないことと中国にいないことからおそらくは日本からの縄文時代期での逆移動ではないかと思われます。)つまり、D2が縄文人であり、日本人の起源であるという根拠はここにあると思われます。
同様に大陸から切り離され日本に残ったC3ですが、基本的に移動狩猟民である彼らは北海道に封じ込められ、その後アイヌ民族の祖先となっていきます。縄文時代早期には落葉樹林帯の北上によってそれまで九州にしか居なかったD2も徐々に北上し、縄文中期の6,000年前までには三内丸山に代表されるように本州最北端、或いは一部は北海道に渡り採集漁労の縄文文化を開花させます。温帯地方に適応したD系統が日本に定着したのはその民族的帰結だったとも言えるでしょう。

晩氷期13000の日本列島の植生図と古地理

縄文時代早期前半9000年前の日本列島の植生図と古地理
(9000年前には植生が大きく変わっていることを示しています。)
画像はこちらよりいただきました。

3.D2がもたらした文化は、土器と定住!
日本最古の土器は1.6万年前のものが発掘(青森県大平山本Ⅰ遺跡)されていますが、D系統の日本への最終流入時期である1.3万年前頃より古いので、少し矛盾します。おそらく、1.3万年前のD系統の本格流入以前にも、(朝鮮半島~九州へ陸伝いで)1.7万年頃から一部D系統が入り込んでいたのでしょう。彼らが持ち込んだ土器文化を、当時の日本に拡散していた狩猟移動民であるC3系統が広めたと考えれば、短期間に青森県に広がったであろうことも想像できなくはありません。
※また、長崎県佐世保市にある泉福寺洞窟では、約1.2~1.3万年前といわれる世界最古級の土器である豆粒文土器が発見されています。
008_p.jpg
高さ22cm~最古の土器の復元 画像はこちらからいただきました。
一方、最古の定住集落跡は、鹿児島県の上野原遺跡であり(9500年前のものと推測されています)、定住文化への本格移行は土器の使用からは遅れ、D2の本格流入後でした。しかし、この定住文化を持ち込み、日本固有の「縄文式土器」を生み出したのは、狩猟民族のC3ではなく、(大陸で定住型生活を既に発展させていた)採集民族のD系統であったでしょう。
※定住しても生きていける、すなわち食料が手に入る環境(豊かな自然・植生)ができたからこそ、定住は可能になります。
※栫ノ原遺跡(鹿児島県加世田校区村原地区)は、縄文草創期(1.2万年前)の移動生活から定住への発展をよく示した遺跡で、季節的定住(半定住)だったと言われています。
★これまでの記事のまとめ
前回から2回に分けて見てきたように狩猟移動の民C系統と、採集定住の民D系統は極めて対比的です。逆に言えばこの2つの種の比較は人類の適応戦略の系統を象徴しているとも言えるでしょう。
>氷点下の地域でも住めるくらいの寒冷適応したC3は自らの肉体を変えてまで適応しました。彼らはさらにその適応の為に石器道具の開発や、弓矢の発明といった人類史の大きな発明を先行して作り出します。それは彼らが脱インドをした時に狩猟という生産様式で適応しようとした処から始まっています。(前回記事「シリーズ2.前縄文時代の解明(狩猟・移動の民C3)」より)
一方、D系統はC系統ほどには肉体を改造していません。南方的な素質を残しながら、温帯地域を選んで採集技術を特化させていきます。その結果、土器の発明を行い、人類最初の定住を実現します。土器の発明は狩猟民の弓矢の発明同様に或いはそれ以上の道具の発明だったのです。これによって様々な植物資源を食糧として取り込み、本来は困難であった森の中での定住を実現していきます。
肉体は変えていませんが、食性の幅を広げた採集民は移動の民に比べるとはるかに合理的でした。しかし彼らが住めるのは温帯地域の採集生産地域に限定されたが故に、その種が世界各地に広がることはなかったとも言えるでしょう。シリーズ1で紹介したように日本列島は温暖湿潤で世界的にも狭い地域にしかない特徴的な気候を有していますが、それはまたD2も温帯地域限定の選択的な人種で在るということを示しているのではないでしょうか。
主な参考文献
・崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』昭和堂、2008年。
・田野健『定住化の環境的要因~環境変化と森林化』るいネット。

投稿者 mituko : 2011年10月25日 List  

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