2011年10月11日

2011年10月11日

属国意識の源流を辿る6~属国意識の形成過程を通史で見る(前編)

属国シリーズを7月から始めてきて途中少し飛びましたが、いよいよ最終回とさせていただきます。
まずはこれまでの投稿を振り返ります。
属国意識の源流を辿る1~なんで屋劇場における問題提起
属国意識の源流を辿る2~属国意識の形成過程
属国意識の源流を辿る3~日本の属国意識を決定付けた白村江での大敗北
属国意識の源流を辿る4~『漢委奴國王印』や『親魏倭王』とは何か?
属国意識の源流を辿る5~倭の五王が属国の原型
属国意識の形成過程を見ていくうえで、これまで中国、朝鮮半島、日本列島とそれぞれの角度から見てきました。そこで今回はそれらのまとめとして、縄文晩期から奈良時代にかけての支配者の意識の変遷(あるいは一貫性)を見ていきたいと思います。
日本列島は後から来た支配者が常に古い支配者の上に重なり次々と交代していったという流れがあります。そしてそれはいきなり支配という形ではなくまずは融和、やがてその一派となり、最後には寝返って上に立つという構造を有していたようです。それは日本という土地が海を隔てているが故に大量渡来が難しく、常に小規模な勢力でしか入ることができなかった事も一因であろうし、何より日本に来た部族が大陸で武力で負けた敗賊であるという事がそれらの政治構造を作ってきた要因であることは間違いないでしょう。
縄文晩期を経て弥生時代から古墳時代、大和朝廷が誕生するまでの日本の曙時代を見ていきたいと思います。この時代は激しい渡来人同志の国内での勢力争いがありましたが、同時に日本の属国意識が形成された時期でもあり、勢力争いという闘争課題に対して渡来人たちはどのように対峙したのかがその後のこの国の体質を良くも悪くも決定付ける事になります。
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投稿者 tano : 2011年10月11日