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2006年12月16日

卑弥呼伝説を明らかにする!(1)

😀 tanoです。
卑弥呼は非常に謎の多い女王である.
卑弥呼とはどんな人物か?どこに拠点があったのか?何をした人なのか?
どんどん関心が高まります。まだ調べ始めたところでタイトルのように展開できるかは自信がないのですが、方々の優秀な諸氏のHPを参考にしながら読み解いていきたいと思います。(予定では数回に分けて投稿しますが今回はまず第1回です)
まずは基礎データーを押さえておきましょう。ウィキペディアから紹介http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
>卑弥呼(ひみこ、158年頃?-248年頃?)は、日本の弥生時代後期における倭国の女王(倭王)。邪馬台国を治めた。封号は親魏倭王。後継には親族の台与が女王に即位したとされる。
himiko.jpg
↑卑弥呼復原像~大阪府立弥生文化博物館より拝借しました。
次に魏志倭人伝から(同じウィキペディアから掲載です)
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魏志倭人伝によると、
「卑彌呼 事鬼道 能惑衆」
卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたという(この鬼道や惑の意味には諸説あるが正確な内容については不明)。

「年已長大 無夫壻」
年長大であったが夫を持たず、

「有男弟佐治國」
弟がいて彼女を助けていたらしい。

「自爲王以來 少有見者」
王となってから後は、彼女を見た者は少なく、

「唯有男子一人給飮食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設」
ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた。宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた。

「卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩」
卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされている。

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魏志倭人伝を素直に読むと卑弥呼は大衆を惑わす?とてつもない呪術師であり、王になってからは姿すら誰も見れない。生涯独身で長寿。唯一使えたのが側近の男性。卑弥呼の死と共に大衆は悲しみ後を追って死んだという。
さて天照大神から神功皇后まで諸説があるが古事記、日本書紀には卑弥呼の明確な記載はない。
卑弥呼を推定するにはこの魏志倭人伝が唯一の根拠になる。従って卑弥呼の実態には諸説があり、まさに史実から古代ロマンに近いものまで女王伝説が乱立しているのである。

その中で海部氏の『勘注系図』から卑弥呼を割り当てた論説がある。
海部氏(あまべし)とは・・・

>京都府の日本海側、宮津市に、日本三景の一つと知られる、天の橋立がある。
天の橋立が、あたかも参道のように海中に延びた北の端に、籠(この)神社と呼ばれる古い神社がある。その神社の宮司家である、海部(あまべ)家に古い系図が伝わる。

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勘注系図』<は初代彦火明から数えて七代目、すなわち六世孫建田勢命(たけだせのみこと)と同じ時代の人として、とてつもない尊大な名を持つ女性を記す。
宇那比姫命(うなびひめのみこと)、天造日女命(あまつくるひめみこと)、大倭姫(おおやまとひめ)、竹野姫(たかのひめ)、大海靈姫命(おおあまのひるめひめのみこと)、日女命(ひめみこと)である。何れも一人の女性の別名である。
先ず注目されるのは大倭姫である。地方豪族の姫の名としては不思議な名である。
『日本書紀』や『古事記』では、倭(やまと)と名がつくのは皇女や天皇妃など、天皇家と深く関わる人物である。

それでは少し詳しく見てみよう。
宇那比姫というのは、建田勢命の亦の名を大宇那比(おおうなび)と云うから、幼名または本名であろう。天造日女命を国造(くにのみやつこ)などと対比させれば、国造よりもっと大きな権威を持った名前ともとれる。

竹野姫はこの一族が『竹』あるいは『建』とよばれることによる。
大海靈姫(おおあまひるめひめ)命の『大海』はこの一族が『海部(あまべ)氏』と名のるように『海(あま)』に尊称の大がついたものである。

興味深いのは靈(ひるめ)である。巫女(みこ)の意味を持つ。
ご存知のように『魏志倭人伝』は卑弥呼が『鬼道を事とし』とする。『後漢書倭伝』は『鬼神道』であるが、いづれにしても、巫女の要素を連想させる。この名もまた靈姫(ひるめひめ)すなわち巫女姫(みこひめ)なのである。

最後は日女命である。読みは『ひめみこと』であろうが異国の人がこの音を『卑弥呼』と書き表しても不思議はない。
himikokeifu.gif
以上から卑弥呼は海部氏の家系の人物(第6代孫)であると特定できるようだ。
さて海部氏とはなんだろうか?丹後半島に弥生時代に海部氏の足跡がある。卑弥呼を説く鍵は丹後半島にあった。次回に続く・・・。

投稿者 staff : 2006年12月16日 List  

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